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夜
お腹が空いた。そう感じてから、何十分経ったのだろうか。
夏希は、自分の手足を無防備に投げ出したまま、ベッドから起き上がる事が出来なかった。
体はドロドロに溶け、頭は鉛のように重い。
手足は地面にくくりつけられており、身動き一つ取れない。
実際には体は溶けていないし、動かそうとすれば動くし、手足は地面にくくりつけられてなどいない。
それでもそう感じてしまうのは、現実を見たくないからだ。
時計の針の音が、耳元で鳴り続ける。
現在時刻は分からないが、妹達が家を出ていってからずっとこうしているので、恐らく二日は経っている。
「……」
静かな部屋に、自分の呼吸音と針の音だけが響いて気持ちが悪い。
ずっとこうしていると、“あの日”の事を思い出してしまう。
瞼の裏にこびり付いている。目を瞑れば、今でもあの時の事を鮮明に思い出す事が出来る。
事故だった。ただただ、悲しい事故だった。
親戚の人々が言っていた。
両親は、車道に飛び出した子供を庇ったのだと。二人は英雄で、素晴らしい死だったと。
「立派な両親で、君たちも誇らしいだろう」
その言葉は、身勝手で、不謹慎で、最低だった。
__本当は。本当は、見知らぬ子供を庇うより、残される娘達のことを考えて欲しかった。
そんな、両親と子供を侮辱するような言葉を、夏希には言える筈もなかった。
言った所で、何も変わらない。両親はもう戻ってこない。
それだけが、現実だった。
部屋に立ち込める重苦しい沈黙が、夏希を押し潰す。
その時、ぐぅ……と、憂鬱をかき消すようにひときわ大きな音が鳴った。
自分の腹の音だ。胃がキリキリと痛む。空っぽになった胃が、食料を求めていた。
のそり、と、夏希は音もなく起き上がる。
肌にへばり付いた髪を乱雑に剥がして、冷たい床に足を付ける。
足から伝わる冷たさに、ぼんやりと霧がかった脳内が冷やされた。
重い体を引きずって、暗い廊下を歩く。
一歩を踏み出す度に、ギシギシと不快な音が響く。
何もかもが鬱陶しい。
鬱陶しい。
鬱陶しい。
妹達の部屋を、両親の部屋を、通り過ぎる。
__暗い。家の中も、夏希の心の中も。
仄かな明かりを頼りに辿り着いたキッチンには、妹達と作ったケーキが放置されていた。
腐ってしまったのか、クリームが変色し、生臭さが漂っている。
「……まき、まなつ」
両親の結婚記念日だから、サプライズでケーキを作って、帰ってきた二人を驚かせよう。
そう提案したのは、末っ子の真夏だった。太陽みたいな笑顔が可愛くて、愛おしくて……。
その笑顔を奪ってしまったのは、夏希だった。
「……うっ」
目の前のケーキの酸っぱい匂いに当てられて、夏希はその場に座り込む。
こんな時、次女の真希が居れば、すぐに心配して駆け寄って来ただろう。
真希は、優しい子だった。少しばかり短気な所があるが、積極的で明るい、自慢の妹だった。
妹が産まれると分かった時は、母親と泣いて喜んだ事を今でも覚えている。
「……」
どちらも、大切な妹だ。
今はもう、この家には居ない。
(思い出すな)
駄目だ。思い出せ。忘れるな。
両親の死に嘆き悲しみ、泣くのをやめない真夏を叩いたのは、夏希だ。
(……違う。だって……だって、私だって辛かったのに、真夏だけあんなに泣いて、ずるいって……)
突然怒り出した姉から、妹を守ろうとした真希を押し倒したのは、夏希だ。
(違う……違うの、私だって混乱してて、どうすればいいのか分からなくて)
長女だから、大人だから。
若くして親を亡くした二人の妹を守るべきだったのに、守るどころか手を上げてしまったのは、他でもない夏希だ。
__“私”だ。
違う、違う、違うの、違う、違う。
だって、だってだってだってだって、私だってまだ子供で、子供のままでいたくて、そんなにすぐに大人になんてなれる筈なくて。
家族仲が良かった。だからこそ、二人の死に酷く傷付いた。
両親が死んだ今、妹達を守らなければいけない。二人の前で泣いてはいけない。心配させてはいけない。
無意識的に自分を追い込み、結果、爆発した思いを、あろうことか二人にぶつけてしまった。
何もかも、自分が悪いことなんて分かっている。そんな事はとうに分かりきっている!
二人を傷付けた今、私はどうすれば良いのか?
両親の分まで生きる?それとも、妹を傷付けた罪を償う為に死ぬ?
そんな事は今はもうどうだって良い。この家に残されたのは、家族がいた形跡と沈黙だけだった。
冷えた手の甲に、ぽたりと温もりが落ちる。
頬が熱い。喉が詰まり、視界が揺れる。
どこまでも無機質な時計の針の音だけが、部屋に響いていた。
コメント
33件
キツイのはわかる、わかるんですが 表現の仕方が本当に大好きで色々と感心してしまいました…でも本当に辛いですねこれは 夏希さん本当に幸せになってほしい、最後は笑顔であってほしいですぅうううう…
精神的なグロさというか…人の闇が垣間見えてもうやばいしか出てこなかったです…。 とりあえず、夏希さん達の思いそっちのけで両親のことを英雄だったとか言ってる周囲の大人はやばい人達ということでよろしいでしょうか?? でも本人達は励まそうとしてるのかなと思うとやるせない…。
夏希さ〜ん……(泣)つれぇ、つれぇなぁ……夏希さんの頭を今すぐに撫で回したい…… 両親が途端に居なくなったら困惑するし色んな感情が暴れ回るのに両親が居なくなったら長女としての責任がずっしり襲い掛かってしまいますもんねぇ……板挟みにされてる感じが本当に苦しいなぁ……