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「ただいま」
実家の玄関先に、重たい荷物を置く。
ドサリ、と横で同じように荷物を下ろす音が重なった。
「おかえりー! 雅くんもいらっしゃい!」
「ご無沙汰してます。お邪魔します」
にこやかに挨拶を返す雅を、私は隣で見つめる。
外面だけは完璧に整え、見事なまでに猫を被っている。
どうしてこの男がここにいることになったのか、説明するには少しだけ時間を遡らなければならない。
𓂃𓈒𓂂𓏸
きっかけは、クリスマス前の電話だった。
年末年始は雅の所へ戻って過ごそうと考えていたのだが、その計画は母からの電話一本であっけなく崩された。
要件は「二人でこっちに顔を出しなさい」というもの。そもそも彼女の実家なんて、進んで行きたがる男がいるはずもないと、私は必死に抵抗を試みたが、雅本人はあっさりと承諾した。
「え、いやいや、冗談でしょ……?」
『お前が声掛けてきたんだろうが。何でその反応だよ』
「普通彼女の実家なんて行く!? 断りなさいよ!」
『じゃあ、話に出してくんなよ』
正論で叩き伏せられ、私はぐうの音も出なかった。
結局、母を納得させるだけの理由も見当たらないまま、こうして雅を連れて実家に行く羽目になった。
あっけないほど簡単に決まってしまった帰省だが、実際に雅がこの部屋にいるのは変な感じだった。
母が「夏帆が使っていた部屋綺麗にしておいたから、そこを二人で使って」と言い、居間に戻っていく。
言われた通り、学生時代の自分の部屋へ向かい、今度はそこに荷物を下ろす。
久しぶりに足を踏み入れたそこは、当時のまま残されていた。
「うわ、懐かし。今とは考えられないくらい可愛い部屋に住んでんな」
「……昔は可愛いものが好きだったのよ」
私は棚に並んだうさぎのぬいぐるみを、一つ手に取った。
当時は背伸びをして大人っぽさを目指していたけれど、自分の部屋だけは好きなものを詰め込んでいたかった。
「なんかいいな。高校生の時の夏帆がここで過ごしてたと思うと」
「前にも来た事あるでしょ」
「もう何年も前だし、あの時大学の時だからそんなに変わってないし。今見るから分かる良さってのもあるじゃん?」
「そう考えたら雅は部屋とか服装とかは何も変わらないわね」
「たかが数年でそんなに変わらねぇだろ」
私の過去に触れて「いいな」と零したのが意外だった。この人が、誰かの過去に興味があるタイプにはとても見えないのに。
再会してから、こうした小さな違和感ばかりが増えていく。特定の相手を作らずに遊んでいた彼が、今は私を優先している。
「……あんた、私のどこが好きなの? 」
「え? 顔」
迷いのない、即答だった。あまりに清々しい答えに、私は思わず呆気に取られる。
顔が好きと言われるのは、決して悪い気はしないけれど、本人を目の前にして一番にそこを挙げられる無神経さに、もはや感心を覚えるほどだった。
そう思ったけれど、もし今、私が同じ質問をされたら。私も迷いなく顔と答える気がする。
呆れる一方で、結局私たちはどこまでも似た者同士なのだと、改めて思い直した。
複雑そうな私の表情を見て、雅は小さく笑って髪に触れた。
「後は、俺しか知らない顔がある所」
指先が髪を滑り、耳朶に触れる。そのやけに優しい触れ方がくすぐったくて、体に力が入る。
「……そんなのあった?」
「普段こんなに気強いのに、抱いたら凄い良い声で鳴いて、良い顔するじゃん」
「……何で私こんなのと付き合ってるんだろ」
「俺の顔面が良すぎたか。罪だな、俺」
今すぐボコボコにして、その自慢の顔を使い物にならなくしてやりたい。
この男に真っ当な愛だの恋だのを求めること自体、間違いだとは理解しているのだけれど、人の実家で誰に聞かれているかも分からないのに、平然と情事の話を持ち出すなんてどうかしている。
「嘘。人前で強がってるのに、時々俺の前で弱い所見せてくれる所も好き」
耳元でそう囁きながらそっと抱き寄せられ、髪越しに柔らかな唇が落とされた。
こういうズルい手口は、昔から変わっていない。散々クズな発言を聞かされた直後だというのに、胸の奥が不覚にも跳ねた。
「……バカね。早く下に降りましょ」
これ以上は危険だと判断し、胸元を軽く押して距離を取る。この男と家以外で密着してはいけない。場所も弁えず容易に触れてくるから、自衛しなければならない。
私の警戒を察してか、雅は軽く口角を上げると、それ以上は追わずに素直に引き下がった。
一階へ降りると、父と母が炬燵で暖をとっていた。
私も迷わず座り、炬燵用布団の隙間に足を突っ込む。
じわじわと身体全体が解れ、眠気が襲ってきた。そのまま机に突っ伏すと、隣に座った雅が肘で小突いてくる。寝るなという無言の合図だと分かっていても、この心地よさには勝てそうにない。
「そう言えば、遠距離恋愛になってからどう?」
「どうって……」
「遠距離になっても付き合いは長いでしょ? 結婚の話とか将来の話もしてるの?」
母の問いに、微睡んでいた意識が再度はっきりしてきた。雅も少しだけ目を見開き、すぐにこちらを見る。
結婚なんて、そんな話は大学時代から一度も出たことがない。このペアリングを贈られた時でさえ、将来の約束なんて一言も交わさなかった。だから雅はきっと、私との結婚なんて考えていないのだと思った。
「……結婚なんてまだ早いでしょ。縒りを戻してそんなに時間も経ってないし、ましてや遠距離恋愛中にする話じゃないから」
「遠距離恋愛が終わった後の事決めといたって……」
「お母さん。もう雅との関係に首を突っ込んでくるのはやめて」
私がそう冷たく放った一言で、和やかだった空気は一気に冷えた。
最悪な空気にした自分に嫌気がさし、頭を冷やそうと立ち上がろうとした瞬間、雅に、ぐいと手首を掴まれる。
「ちゃんと遠距離恋愛が終わったら話し合うつもりなんです。まだお義母さんと呼べなさそうですね」
雅なりに気を遣ったのか、冗談を交えた軽やかな物言いに、母はあからさまに安堵の表情を見せた。
「……心配で口うるさく言ってごめんなさいね。正直、またダメになったらって思って」
「全然俺は大丈夫です。夏帆さんもちょっと不安定になってるだけなんで」
そう言いながら雅が「な?」と顔を覗き込んできたが、その目は笑っていなかった。両親の前だから、言いたいことをすべて抑え込んでいると言うのが、ひしひしと伝わってくる。
何か言いたげな彼の視線から逃げるように「…少し、頭を冷やしてくる」と言い残して、私はその場を立ち去った。
過保護な母親の干渉には、時々、心底うんざりする。
自室に戻りベッドに腰を下ろすと、間を置かずに雅が入ってきた。彼は音を立てずにドアを閉めると、そのままドアに背を預けて腕を組む。
何を言い出すのかと待っていたが、沈黙だけが流れ、痺れを切らした私が「何よ」と声をかけた。
「俺も聞きたくなっただけ。今後の事、夏帆がどう思ってるのか」
「……今そんな話しないで。実家でしなくて良いでしょ」
「こういうタイミングがないと、今は仕事が忙しいのとか言って逃げる癖に今度は実家でそんな話しないで? 本当どこまで自分勝手なんだか。さっきだって、俺がフォローしなきゃどうなってたか」
「それは感謝してる。だけど今はやめて」
こんな所まで来て、母親に続き雅とも喧嘩はしたくない。
「なあ、そんな嫌? 俺と結婚の事話すの」
「…は?」
嫌がっていたのはそっちじゃないのか。耳を疑うような言葉を投げかけ、雅はベッドの縁に腰を下ろした。
今まで一度もそんな素振りは見せなかった。そんな空気になることさえ、器用に避けてきたはず。
「ちょっと、冗談でしょ。そう言う話を雅からしてくるなんて」
「別に俺は今は急ぐつもりなかったけど、あんな風に必死になって否定もしなくてよかったって話をしたかっただけ。けど、よくよく考えたら、いい機会だよなって。今の状況どう思ってんの?」
「……今は無理。考えられない。遠距離中でしょ」
「前は遠距離になるって知っても迷わずに婚約してくれたのに?」
「ねぇ、何が言いたいの」
いつの間にか顔の距離が狭まっていた。私はとっさに、重なりそうになった唇の間に掌を割り込ませる。
険悪な喧嘩をしていたはずなのに、いつの間にか妙な甘さで口説かれている。その変化に、毒気を抜かれた私は思わず吹き出しそうになった。
こんなタイミングで一生に関わる約束なんてされたら、実家で婚約を済ませた男女として、後々まで面白おかしい思い出として残ることになる。
私が見つめたままくす、と笑うと、雅もつられたように、ふっと柔らかい笑みをこぼした。
「流石に笑えるな。この感じで話すの」
「こんな所で結婚しようなんて言われたら思い切りビンタしてた」
「うわ、痛そう」
雅は軽口を叩きながら、私の手首を掴んで掌をどけさせ、そのまま私の頬に優しく口付ける。
再度雅と見つめ合うと、そのまま両手で頬を包んできて優しく笑いかけてくる。
「……遠距離終わったら考える?」
「気が変わらなかったらね」
「気が変わらなかったらって、今は前向きって事?」
将来的に雅以外の誰かと添い遂げるなんて、私にはありえない。だから、ここで強く拒む理由もなかった。
はっきりさせないと気が済まないといった風に問いかけてくる彼に頷くと、雅は嬉しそうに目を細め、私の体をそっと抱き寄せた。
「……指輪、本当にただの独占欲?何の意味も無かったの?」
「何で?」
「何でって、だって、右手の薬指にはめたから……」
たとえ右手でも、薬指という場所に贈られた意味に、彼はその時から何かを込めていたのではないかと期待してしまう。
雅は私の右手をそっと取ると、指輪を優しく撫でた。
「束縛?」
「ちょっと嘘でしょ。笑える」
束縛されるのもするのも嫌いな男が、指輪で私を縛ろうとするなんて、おかしくて仕方がなかった。
よく考えれば、この男はそんなにロマンチックな男ではないし、深読みするだけ無駄なんだった。
「これの答え合わせも遠距離終了したら」
「やっぱりちゃんと理由あるんだ」
「さあな。答え合わせって言ったけど案外答えとかないかも」
「意味のわかんない男ね」
だけど、こうやって駆け引きするのも嫌いじゃない。
コメント
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わああ、実家帰省エピソードきた!!😭💕 雅の「顔が好き」からの「俺しか知らない顔がある所」ってズルすぎん??キュンとしつつもクズっぷり全開なのが雅らしくて最高すぎる……! そして結婚の話で揉めた後の、指輪の意味を問うシーンめっちゃ刺さった……「答え合わせは遠距離終了したら」って駆け引きも二人らしくて大好き⋆♡ 続きが気になりすぎる!!😍
まなこ〜友
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#ますしき
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