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まなこ〜友
117
#ますしき
T
5,800
実家に一日だけ滞在したあと、本社のある地元へと戻ってきた。
雅の家でゆっくりと過ごした翌日の夜、私は久しぶりにバーへ顔を出した。
あと三日もすれば支社へ戻らなくてはならないため、その前に、玲くんにも挨拶をしておきたかった。
まあ、挨拶なんて名ばかりで、結局はお気に入りのカウンターで美味しいお酒を堪能しているだけなのだけれど。
「あー、やっぱここのお酒が一番美味しい」
「夏帆ちゃんまた綺麗になったね」
玲くんの甘いマスクと優しい言葉が懐かしく、ささくれた心が癒されていく。
再会した第一声が遅刻への文句だった雅とは大違いだ。玲くんはいつだって笑顔で迎えてくれるし、こうして惜しみなく甘やかしてくれる。
……雅に会って早々綺麗になったなんて言われても、気味が悪くて受け入れられなかっただろうけれど。
「玲くんの言葉ならすんなり聞き入れられるの何でだろ」
「夏帆綺麗になったね」
私の言葉を拾って、雅がこちらを向き、笑顔でそう言ってきたけれど、全く響かない。
それどころか溜息が零れた。
どうにも胡散臭さが拭えない。
「だめだ、あんたが言うとヤリ目的に聞こえる」
「クソか」
そんなコントの様な会話をして、久しぶりに制服姿の雅を視界に入れる。相変わらず何を着ても似合う男。玲くんがきっちりと着こなしているのに対し、雅は少しだけ楽に着崩している。その絶妙に着慣れた感じが、悔しいけれど格好いいと思ってしまった。
タイプの違うイケメン良い……、と勝手に癒やされていると、グラスを磨いていた玲くんが、ふと手を止めてこちらを向いた。
「夏帆ちゃんは後どのくらいで帰って来れるの?」
「うーん、今上と話してて、二年かかるって言われていたけど、少し早まるかもしれない。あと半年か一年って感じかな」
二年はあくまで目安で、評価さえ得られれば、早めに本社へ戻ることは可能だと言われている。
そもそも、この転勤は経験を積むための武者修行のようなもので、やるべきことを成し遂げたのなら、だらだらと支社に居座る理由なんてどこにもない。
「そっか、戻ってきたらまたバーが賑やかになるね。嬉しいよ」
「私もまた玲くんに簡単に会えるようになるの嬉しい」
「彼氏いる前で他の男に言う? 普通それ」
「嫉妬は見苦しいよ雅」
「いや、これ俺間違えてんの? まじか」
本気で困惑している雅に、私と玲くんが同時に笑いを零す。
こんな他愛ない、少しだけ馬鹿げた会話が心地よくて、離れている間、どれほどこの場所と、この時間と、この人達が恋しかったかを改めて自覚する。
あの日、何となくふらっとこの店に入り、雅と最悪な再会を果たした時はどうなることかと思ったけれど、今ではあの日の最悪な思い出さえ、忘れられない、忘れたくない大切な思い出の一部になっていた。
これまでのことを思い出していると、雅が煙草の火を消し「あ、そうだ。玲、あれ出して」と指示を飛ばした。
雅が玲くんに改まって何かを頼むのは珍しい。不思議に思っていると、玲くんも素直に「了解」と頷いて店の奥へ向かった。
「あれ……? どうしたの?」
「お前本当に忘れてんの? 今日」
何もピンときていない私を見て、雅がありえないとでも言いたげな呆れ顔を見せる。
本当に心当たりがなかった。付き合った記念日でもないし、そもそも私達はそんな記念日を律儀に祝うタイプでもない。
必死に記憶を辿る私を見て、雅がふっと柔らかく笑みをこぼした。
「まあ、忘れるよな。二十代後半にもなれば自分の誕生日なんて」
「え?」
雅がそう言ったタイミングで、玲くんが「夏帆ちゃん、おめでとう!」と言いながら戻ってきた。
目の前に置かれたのは、真っ白なプレートに乗った小さなケーキ。艶やかなチョコレートの上に、控えめにいちごが並び、金粉が上品に散らされている。プレートの余白には『Happy birthday to Kaho.』と筆記体で文字が並んでいた。
自分の誕生日をすっかり忘れていたし、まさかのサプライズに驚いた。
「うわあ! 今日私の誕生日か!」
「雅がサプライズとして手配してたんだよ」
玲くんの言葉に、胸の奥が熱くなる。
日々の忙しさに自分ですら忘れていたのに、それを誰かが覚えていてくれた。それだけでも十分に幸せなのに、こんなに素敵な演出をしてもらえるなんて、間違いなく人生で最高の誕生日だ。
感激して雅に「ありがとう」と伝えると、素直じゃない彼は「はいはい、おめでとう」と素っ気なく応じた。自分でサプライズを仕掛けるのが気恥ずかしいからと玲くんに役目を譲ったのだろうけれど、そんな回りくどいところも彼らしい。
私はスマホを取り出し、食べる前にプレートの写真を撮った。この感動を、形にして残しておきたかったから。
余韻に浸っていると「俺からは、こっち」と玲くんが細長い紙袋を差し出してきた。 彼からも贈り物があるなんて思ってもいなくて、私は驚きながらも「ありがとう」とお礼を伝え、そっと受け取った。
「開けてもいい?」
「もちろん」
丁寧なラッピングを剥がしていくと、手に確かな重みが伝わってきた。一体何が入っているのか、想像もつかないまま箱を開ける。
中に入っていたのは、私の生まれ年のスパークリングワイン。セピ・ランドマンという銘柄で、甘さを抑えた大人の味が特徴的なもの。ボトルの表面には刻印で『Happy birthday』の文字と、私の生年月日が彫り込まれていた。
バーテンダーとして、そして友人として、これ以上ないほど心のこもった贈り物に胸がじんわりと温かくなる。
「俺には夏帆ちゃんの好みとか分からないけど、こういうものなら喜んでもらえるかなって思った」
「最高すぎる、玲くん! ありがとう。」
私はもう一度お礼を言い、丁寧に箱をしまい直した。
こんなに最高な誕生日になるなんて、想像もしていなかった。
バーでゆっくりと酒を楽しみ「今日は早く帰りな」という玲くんの気遣いに甘えて、私達は閉店前に店を出た。
かなりのアルコールを摂取した体は心地よい熱を帯びていて、普段なら震えるような冬の夜風も、今は火照りを鎮めてくれる。
「はー、久しぶりに良い感じに酔えた」
隣を歩く雅に視線を向けると、彼はよほど寒いのか、コートのポケットに深く手を突き込み、少し肩を縮め、鼻先を真っ赤にして黙々と歩いていた。
そんな彼の横顔を見ながら、私は手元の紙袋を意識した。バーに寄る前に密かに買っておいたのだけれど、時期も外れてしまったし、渡すべきかどうかずっと迷っていた。
けれど、もうすぐまた離ればなれの生活が始まる。今、このタイミングを逃したら、もう渡せないかもしれない。
そう思いながら紙袋の中から彼への贈り物を取り出す。
「雅」
呼び止めて、足を止める。不思議そうに振り返った彼の首元へ、私は手にしたマフラーを勢いよく巻きつけた。
驚いて目を丸くしている彼の前で、マフラーを丁寧に結んで整える。仕上げに、冷気に晒されて真っ赤になった彼の両頬を、私の掌で包み込んだ。
「遅くなったけどクリスマスプレゼント」
不意打ちを食らった雅は、首元の感触を確かめるようにマフラーに触れると、呆れたように笑みを零し「時期ずれすぎだろ」とツッコんでいた。
「風邪、残り二日くらいしか一緒に居れないけど引かれたら困るもの」
「子供かよ、俺は」
「寒さに弱いんだから強がらず巻いてなさい」
言いながらグレーのマフラーを少しきつめに締め上げると、雅は一瞬だけ苦しそうな顔をしていて、そんな表情に笑って手を離した。
予想通り、その色もシンプルなデザインも、今の彼によく似合っている。
「イケメン着飾るの楽しい…」
「本当ブレないね、お前。もらうけど」
これまでの大事なイベントを、私達はバラバラに過ごしてきた。だからこそ、再会してからの行事は、たとえ時期がずれたとしても一つも逃したくなかった。
大人になってから作り損ねてきた思い出を、一つずつ取り戻していくために。
「私がサプライズしてるつもりだったのにな」
「そもそも自分の誕生日忘れてるって想像してなかったわ。忘れるとか、本当老けたな」
「日々充実してるって言いなさい」
「大学時代なんか充実してても、一緒に過ごしてくれるよね!って言っていてたくせに。俺が何か言う前から夏帆が催促してた」
「歳取るって本当残酷よね。サプライズは最高に嬉しいけど歳取りたくない」
「二十七歳だろまだ」
「あんたも今年三十なのね……。その顔で?」
「憐れんでんじゃねぇよ」
そんな軽口を叩き合いながら、私達は急ぎ足で家へと向かう。
少しずつ歳を重ねていく雅と一緒にいるのも、きっと悪くない。そう思いながら、冷たい夜道を二人で歩いた。
コメント
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おお、第43話お疲れ様です! もうね、バーで玲くんと雅のやり取り、完全に「あるある」で笑ったわ(笑)。 夏帆が自分の誕生日忘れてて、雅がサプライズでケーキ用意してるの、じわじわ来る…しかも玲くんのスパークリングワイン、生年月日入りって熱すぎるでしょ。 最後、マフラー巻いてあげるシーンも、距離感が絶妙で「大人の再会ってこういう良い感じなんだな」って思った。 27歳の誕生日、めっちゃ良いエピソードだったわ。ありがとう!