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リオンの村に着いたのは、日暮れまでもう少しという頃合いだった。
大きな街のように城壁や門がある訳では無く、看板を過ぎればそこがもうリオンの村だ。
村に入れば、ぽつぽつと民家が並ぶ。
村の周辺には広大な畑があり、豊かに実った作物が大地を緑色に彩っている。
緑豊かな光景とは裏腹に、村は静まりかえっていた。
広い田畑を持ちながら農作業に従事している人も誰もおらず、通りは無人のまま。
「普段はもっと人が居るのですが……」
商人のランドルさんが首を傾げる。
確かに村に入ったというのに、道行く人を誰も見かけない。
夕暮れ前の忙しない時間だが、民家から夕食の支度をする音や匂いさえも感じられない。
「と、とにかく宿に向かいましょう。こちらです」
ランドルさんは手慣れた様子で村人の居ない村内を歩く。
宿は村の東側にあった。どこにでもある、のどかな村の風景。だというのに、その景色にあるべきはずのもの――村人の姿が見当たらない。
まるでマリー・セレスト号だな……と心の中で独りごちる。
航海中の船から乗客が消えてしまったという、前世では有名な話だ。
都市伝説として流布していた内容では、争った形跡も無く乗客の姿だけが忽然と消えてしまったと言われていた。
今の村の風景は、その都市伝説を思い起こさせる。
収穫間近な畑。
生活感溢れる町並み。
だというのに、人の姿だけが見当たらない。
まるで風景画の中に迷い込んでしまったかのように、不安な気持ちがこみ上げてくる。
そんな気持ちが伝わったのだろうか。
私を抱くグラディスさんの手に、力が籠められた。
馬上で寄り添いながら、グラディスさんの胸元に額を寄せる。
何があっても、この人が居れば大丈夫。
まだ出会ってからそれほど長くは無いというのに、不思議とそんな安心感が芽生えていた。
「すみませーん、誰か居ますかー」
ランドルさんが宿兼食堂の扉を開けて、中に声をかける。
誰か居ますかなんて台詞が出てくるのも、ここに来る迄に村人と一人もすれ違わなかったからだろう。
奇妙な違和感、微かな肌寒さをランドルさん親子も感じているようだった。
私とグラディスさんは馬房に馬を繋いでから、ランドルさんと息子のレジナルド君に続いて宿屋に入る。
ランドルさんの顔が不安で曇った頃、ようやく奥から人の駆けてくる音が聞こえてきた。
「はーい、お客さんですか?」
「ああ、良かった!」
この村に入って、ようやく村人と出会えた。
それだけで、今まで抱えていた不安が霧散する気がする。
このまま誰にも会えないのではないか、この村は無人なのではないか……そんな不安がずっと過っていたのだ。
現れたのは、髪を一つに纏めた背の高い青年だった。
知的な容姿だが、目が合うとにこりと人懐っこい笑みを浮かべる。
「ご宿泊でしたら、こちらに記帳をお願いします」
そう言って、青年は宿帳を広げた。
ランドルさんは羽根ペンを持ちながら、キョロキョロと周囲を見渡す。
「あの、レジーナさんは……?」
「レジーナさん?」
「ああ、宿の女将さんは……」
「女将さんでしたら、少し体調を崩してましてね。今は僕が店番をしているんですよ」
「そ、そうですか……」
青年が笑顔で答えれば、ランドルさんもそれ以上は何も聞けず、自分達親子の分の記帳を済ませる。
「そちらの方も、お願いします。お部屋は二部屋でよろしいですか?」
「ああ」
青年がグラディスさんに羽根ペンを手渡す。
グラディスさんは眉間に皺を寄せて羽根ペンを受け取り、言葉少なに宿帳に名前を綴った。
「レジーナさんが体調不良ということは、食事はどうなるのでしょうか」
「ああ、今日の食事はごく簡単な物になります。すみません」
「まぁ、仕方ないですよね。そういう事情では」
食事を楽しみにしていたらしいランドルさんが、がっくりと肩を落とす。
食事まではまだ少し時間があるということで、それぞれ部屋に入って一休みすることにした。
私達の部屋とランドルさん親子の部屋は向かい同士。二階の角部屋だ。
あてがわれた部屋に入れば、ベッドが二つのシンプルな造りの部屋だった。
私はベッドに腰掛け、人心地つく。
ランドルさん親子は悪い人では無さそうだけれど、慣れない相手と一緒というのはやはり気を使うものだ。
息子のレジナルド君とはいまだ会話とも言えないぎこちないやりとりのみ。なかなか打ち解けているとは言い難い。
「疲れたか?」
「ううん、大丈夫です」
グラディスさんの言葉に、笑顔を返す。
移動は馬で、しかもグラディスさんがしっかりと支えてくれているから、肉体的な疲労はそれほど感じていない。
むしろグラディスさんの方が疲れているのではと心配になるくらいだ。
「ご飯が美味しいって聞いてたのに、残念でしたね」
「そうだな」
私の言葉に頷くグラディスさんは、難しい顔をして別のことを考えているようだった。
私は彼の邪魔をしないように、窓を開けて茜色に染まる村を見渡した。
農業が盛んな村だけあって、宿屋の二階から見渡す村は一面の田畑が広がっていた。
相変わらず人の姿は見えないが、見下ろす畑は豊かな緑色に染まっている。
いつの間にかグラディスさんも私の後ろに立って、無言で村を眺めていた。
「すみません、こんな物しか用意出来なくて……」
「い、いえ、気にしないでください。仕方ないですよね」
夕食時、食堂でしきりに宿の青年が頭を下げていた。
テーブルに並べられたのは、スープとパン、そして兎肉のソテー。
確かに手の込んだ料理では無いが、食べるには十分な質と量だ。
デインズ伯爵家で満足な食事を与えられずに育った私にとっては、こんなシンプルな料理でもご馳走に感じてしまう。
「量はたっぷりとありますので、おかわりでしたらいつでもお申し付けください」
「有難うございます」
青年に礼を述べて、料理に口を付ける。
うん、塩味のシンプルなスープ。
美味しい料理を期待していたらしいランドルさんはがっかりとした様子で、レジナルド君も面白く無さそうにスープを運んでいる。
二人とも商家というだけあって、普段から美味しい料理を食べているのだろう。
私にはこれだけでも十分なんだけれどな。
ランドルさんは隣国ボロミアの王都に本店を構える商会の会長さんらしい。
本人曰く会長と言ってもごく小さな商会とのことだけれど、それでも自分の商会を運営しているのだから凄いものだと思う。
今回はアトキンズ王国の王都まで商談で足を運んだ帰りだと言う。
目指す方向は同じボロミア王国。
おそらく、ランドルさんはこのまま一緒に旅を続けたがっている。このレオンの村には冒険者ギルドも無いし、ここで新たな護衛を雇うことは出来ない。
せめて冒険者ギルドのある街まではと考えていそうだ。
てっきり食事の時にそんな話が出るものだとばかり思っていたけれど、皆言葉少なに食事を続けていた。
グラディスさんは珍しく、料理を食べるよりもお酒を注文していた。宿の青年が持ってきたワインの栓を抜いては、一人でグラスを呷っている。
グラディスさんも、こんなシンプルな料理では満足しないのかなぁ。
私一人だけ貧乏舌みたいで、少し恥ずかしい。
そんなことを考えながらスープを飲み干せば、欠伸が零れそうになった。
必死に押し殺そうとすると、目尻に涙が浮かぶ。
そんな私の様子に気付いたのか、グラディスさんが私を抱き上げて部屋まで運んでくれた。
ベッドに寝かされる時に、抱きかかえた私を下ろすグラディスさんと視線が交差する。
「グラディスさ、ごはん、だいじょ……ぶ……?」
そこから先は、言葉にならなかった。
瞼が重くて、目を開けていられない。
グラディスさん、ご飯食べなくて大丈夫? って言いたかったのに、まともに呂律も回っていない。
そんな私の様子がおかしかったのか、瞼が落ちる寸前に見えたのは、グラディスさんが目を細めて笑う姿だった。
「おやすみ、カレン」
優しい声を子守歌に、私の意識はゆっくりと微睡みに溶けていった。
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千椛