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結晶に指が触れた瞬間だった。
何かが、俺の中で弾けた。
意識が、一瞬白く染まる。
まるで水の中に沈むような感覚。
自分の身体が何処にあるのかすら
わからなくなる程に⋯⋯
何かに引き込まれる。
気が付いた時には
俺の足が勝手に動いていた。
それどころか
知らぬ間に⋯⋯跪いていた。
「⋯⋯貴女様に、非は無いと⋯⋯
私は、存じています⋯⋯」
——は?
誰の声だ?
俺は、声の主を探そうとして
自分の口が動いている事に気付いた。
「⋯⋯お慕いして⋯おります⋯⋯」
俺の声だ。
けど
これは〝俺の言葉〟じゃない。
こんな上品な言葉なんざ
一度も使った事はねぇ。
それなのに
喉から勝手に流れ出てくる。
まるで
誰かが俺の口を借りて
喋っているみたいに⋯⋯。
何が起きている?
頭が混乱する。
だけど、身体は動かねぇ。
跪いたまま
俺は金色の髪を揺らす
彼女を見上げていた。
その時だった。
「貴様⋯⋯賊、か?」
不意に、背後から声がした。
俺は反射的に振り返る。
そこに立っていたのは
俺よりも遥かに小さい
包帯塗れのガキだった。
包帯から覗く肌は
ぐじぐじに腐っているようにも見えた。
銀髪。
山吹色の瞳。
そして
鋭い眼光で俺を睨みつけている。
「⋯⋯ガキ?」
思わず呟いた瞬間
そいつの目が鋭く光った。
「小童⋯⋯
此処は貴様の来るような場所では無い。
去ねっ!」
低く響く、威圧のこもった声。
その一言が、空気を一変させた。
俺は思わず笑う。
「はっ! 俺より小さなガキに⋯⋯
小童呼ばわりされたのは
生まれて初めてだなぁ!?」
そいつの身長は
俺の胸にも届かないくらいだった。
見た目だけで言えば
単なる子供。
それなのに⋯⋯
何故か、背筋に冷や汗が流れる。
俺の本能が言っていた。
ー手加減するな、全力でやれー
俺のこれまでの直感が
こいつの危険性を即座に察知した。
だけど
その時にはもう
俺の身体は転がされていた。
何が起きたのかすら
わからなかった。
気付いた時には
地面に叩きつけられ
全身がビリビリと痛みに痺れていた。
「⋯⋯⋯っ!?」
空を見上げる。
視界の端に
桜の花弁が舞っているのが見えた。
⋯⋯負けた?
俺が?
しかも、一瞬で?
まるで信じられなかった。
だが、それが〝現実〟だった。
痛む身体を引き摺りながら
ゆっくりと視線を戻す。
山吹色の瞳が
じっと俺を見下ろしていた。
その目は
まるで俺を〝試している〟ようだった。
手加減されている。
それが
はっきりとわかった。
つまり⋯⋯
こいつは、本気じゃない。
俺は全力を出す暇も無いのに
地に伏せている。
「⋯⋯は、は⋯っ」
苦笑が漏れる。
ーなんだよ、これー
俺は今まで
銃を持った大人にすら
負けた事がなかった。
どんな相手にも
重力の力を使えば
負ける事なんて有り得なかったた。
なのに
こいつには⋯⋯何もできなかった。
俺の誇りは
あっさりと叩き折られた。
⸻
その時だった。
再び
頭の中で何かが弾けた。
激しい頭痛が襲う。
何かが⋯⋯いや
〝誰か〟が爆発するように暴れ回る。
「ぐっ⋯⋯あ、ぁ⋯⋯っ!?」
目の前が
めちゃくちゃに歪む。
知らない光景が
一気に流れ込んできた。
知らない場所。
知らない奴ら。
そして〝あの女の笑顔〟
紅蓮の炎。
焼ける痛み。
響き渡る悲鳴。
——何だ?
何を見せられてる?
俺は、ただの野良犬だった。
俺の人生に
こんな記憶はねぇはずだ。
なのに、俺の頭の中には
まるで〝忘れていた何か〟が
押し寄せてくる。
「っ⋯⋯、ぁ⋯⋯
あああああああああああああああ!!!!」
咆哮のような叫びが
喉の奥から迸る。
わからねぇ。
何も⋯⋯わからねぇ。
ただ
焼け爛れるような痛みの中で
⋯⋯俺は〝理解した〟んだ
唐突に。
理由もなく。
ただ、確信だけが其処にあった。
俺は転がったまま
空を見上げたまま
呟いた。
「⋯⋯なぁ、そこのガキ」
視線を動かす。
山吹色の瞳が
変わらず俺を見下ろしていた。
俺は⋯⋯なんだ?
何者なんだ?
いや、そんな事はどうでもいい。
今、重要なのは〝それ〟じゃねぇ。
俺が、俺自身が
この気持ちをどう処理すればいいのか
それが⋯⋯わからなかった。
だから⋯⋯ただ一つ、聞いた。
「俺は⋯⋯彼女の為に⋯⋯
どうしたら、良い?」
声が震えていた。
そして、その時になって
漸く気付いた。
俺は⋯⋯
物心ついて初めて
涙を流して泣いていたんだ。
「アリア様を御守りし
我が主に尽くせば良かろう」
俺を覗き込む山吹色の瞳が
僅かに細められる。
「私は青龍⋯⋯主様の、式神だ」
俺の目の前で
ガキ⋯⋯いや
青龍は静かに言った。
まだ身体の痛みが抜けきらないまま
寝転がった状態で青龍を見上げた。
小さい身体。
全身に巻かれた包帯。
それなのに
その小さな身体の
何処から湧き出るのかと思う程の
圧倒的な威厳。
こいつは、人間じゃねぇ。
それは、直感的にわかった。
「アリア様って、その女の事か?
主は⋯⋯桜?
はっ! お前、きのこかよ?」
俺が冗談めかして言うと
青龍の山吹色の瞳が
さらに細められた。
「⋯⋯口の減らぬ小童め。
やれやれ⋯⋯
主様が起きるまで
先ずは貴様の口の利き方を
躾ねばなるまいな」
青龍はそう言いながら
静かに桜の方へ視線を向けた。
⸻
それからの数年間
俺は森の中で
青龍に鍛えられる事になった。
⋯⋯いや
鍛えられたって言葉じゃ生温い。
アイツは
〝地獄〟のような日々を
俺に叩き込んできやがった。
「我が主様は⋯⋯
お前ぐらいの頃には
朝廷に居られる帝に仕え
陰陽頭にまで成っていたぞ!
さぁ、立て!」
チョウテイ? ミカド?
そんな言葉、知らねぇよ。
事ある毎に
〝我が主様〟とやらと比べられる。
そして
俺が少しでも反抗すると
礼節がなっていないだの
言葉遣いを正せだの
延々と説教を垂れられた。
その度に
「知るかよ、そんなもん!」
と反抗したが⋯⋯
本気でぶつかれば
俺は何度でも地面に叩き伏せられた。
俺は、青龍には勝てなかった。
最初の頃なんか
手加減されてても
まるで相手にならなかった。
でも、その分
俺は自分の弱さを実感した。
それが、俺を変えた。
〝強くなりたい〟と
初めて心の底から思った。
だから
俺は必死に喰らい付いた。
どれだけ倒されても
何度でも立ち上がった。
青龍は⋯⋯全く容赦がねぇ。
だけど
何処か俺を⋯⋯
〝見込んで〟いるような気もしていた。
⸻
訓練が終わると
俺は息を切らしながら
地面に倒れ込んでいた。
腹は減るし、体はボロボロ。
そんな俺を見下ろした青龍は
溜息を吐くと
何も言わずに森へ消えていった。
暫くすると
奴は川で捕った魚や
森で仕留めた獣の肉を手に戻ってくる。
そいつを捌いて
手際よく飯を作るのが
いつもの流れだった。
焚き火の上で焼かれた
肉の香ばしい匂いが漂う。
白い煙が
夜空へと溶けていく。
俺は夢中で飯を頬張りながら
ふと気づいた。
青龍は
焚き火の前で
桜の幹に身を預けていた。
いつものように
頭を寄せるようにして
まるで何かの音を聴くように。
俺は
口をもぐもぐと動かしながら
ぽつりと呟いた。
「お前さ
いっつも何を聴いてんだよ?」
青龍はゆっくりと目を開き
俺の問いに答えなかった。
だが
その様子に興味を持った俺は
桜の幹に手を当て
耳を押し付けてみた。
その瞬間
俺は息を呑んだ。
桜から
微かに響いてくる音があった。
人間や動物の心臓の音にそっくりな
確かな〝鼓動〟が。
「⋯⋯これ⋯⋯」
言葉が出なかった。
桜が⋯⋯生きてる?
いや、違う。
生きてるのは当然だ。
けど、これは
植物の出す音なんかじゃねぇ。
まるで⋯⋯
人間の心臓が
そこにあるかのような
確かな〝生命の音〟
「主様は⋯⋯生きておられる」
青龍が、静かに言った。
「この身が滅びぬのが、その証⋯⋯」
焚き火の光に照らされた銀髪が
僅かに揺れる。
青龍の横顔は
何処か寂しそうに見えた。
「私は、待っているんだ。
主様に、再び相見えるその日を。」
その声には
何百年もの想いがが滲んでいた。
俺は
それをただ聞いていた。
そして
何を思ったのか
無意識に手を伸ばし
青龍の頭をポンポンと撫でた。
「こら、貴様っ! 何をするか!」
青龍の眉間に皺が寄る。
けれど、俺は気にせず
ニヤリと笑った。
「早く、逢えると良いな。
主様にも、アリアにも。」
「アリア様とお呼びしろ!
この小童が!」
「はいはい」
俺は
さらに小さく感じるようになった
青龍の頭を
軽くわしゃわしゃと撫でた。
その小さな身体の中に
どれだけの〝想い〟が詰まっているのか
この頃の俺には
まだ知る由もなかった。
「⋯⋯背丈ばっかり伸びおって。」
そう呟いた青龍の声が
どこか拗ねたように聞こえた。