人魚姫

洞窟の奥深く、冷たく暗い水の中で、アクアは震える手を握りしめながら、前に進んだ。洞窟の闇にほんのりと輝く青白い光が、彼女の目に映った。そこには、長い年月を生き抜いてきたサイモンが静かに佇んでいた。彼の片目だけが不自然に光を放ち、周囲の闇を押しのけるように見えた。

「アクア、君が本当にその願いを叶えたいなら、代償は大きい。」サイモンの声は静かで、しかし響きには深い重みがあった。

アクアは彼をじっと見つめ、震える声で答えた。「地上に行きたいの。どうしても人間の足が欲しいの…そのためなら、何でも犠牲にする覚悟があるわ。」

サイモンはその決意に一瞬の沈黙を返し、手を掲げた。その手から紫色の光がゆっくりと溢れ出し、洞窟全体を染め上げるように広がっていった。その光がアクアを包み込むと、彼女の体に不思議な感覚が走った。

その瞬間、アクアの心に一つの疑問が浮かんだ。なぜ、サイモンは片目を失ったのだろう？彼がこの場所で何を抱えているのか、彼の哀しげな眼差しがなぜこんなにも彼女の心に響くのか。

「そういえばｍサイモン、どうしてあなたは片目しかないの？」アクアはその言葉を口に出した。

サイモンは紫の光の中で微笑んだが、その微笑みには計り知れない悲しみが滲んでいた。「私はかつて人間だった。地上で生きていた。でも、海の神秘に魅了されてしまったんだ。そして君に…君に恋をした。」

その言葉にアクアは息を飲んだ。彼女の胸の中で何かがはじけるように感じた。

「私は君のために、人魚になることを選んだ。魚の足を手に入れるために、片目を犠牲にしたんだ。だけど、君の愛を手に入れることはできなかった。私の夢は叶わず、その結果、永遠に呪われることになった。だからもうすぐ死んじゃうな…もっと腕の良い魔術師を紹介しておけばよかった」

アクアの心は激しく痛んだ。サイモンが自分にこれほどまでに深い愛情を抱いていたこと、そのためにどれだけの苦しみを経験してきたかを、彼女はようやく理解した。そして、彼の片目に映る自分の姿が、何よりも彼を苦しめていることに気づいた。

「サイモン…ごめんなさい…私、そんなことを知らなくて…」アクアの声は震え、涙が頬を伝って落ちていった。彼女の心は悲しみと後悔でいっぱいになり、彼のために何もできない自分を責める思いが溢れた。

サイモンはそっと彼女の涙を拭おうと手を伸ばしたが、その手は空気をすり抜け、彼女に届かなかった。「いいさ、アクア。君の幸せ。それが私の最後の願いだ。もし君の夢が叶わなくても、君を恨むことは決してない。」

アクアは胸が引き裂かれるような思いで、サイモンの言葉を聞いた。彼女の願いが叶わなかったとき、彼のように命を失うことになるかもしれない。それでも、彼は自分を恨むことなく、ただ幸せを祈り続けている。その無償の愛に、彼女は耐えられないほどの感動と悲しみを感じた。

魔法が完成し、サイモンの姿がゆっくりと消えていく。 彼女の足は人間のものに変わり、同時に声が奪われていった。だが、その声と引き換えに失ったものよりも、彼女の心にはサイモンの愛と犠牲が深く刻まれていた。

アクアはその場に崩れ落ち、声を失った喉から、押し殺された悲鳴のような音が漏れた。「サイモン！サイモン！」彼女の叫びは洞窟の壁に反響し、その悲痛な声が深い闇に消えていった。彼女の胸から絞り出されたその叫びは、痛みと悲しみの限界を超え、地の底から響き渡った。

涙が止まることなく流れ、彼女はその場で泣き続けた。 サイモンがもういないこと、彼の愛が永遠に届かないことが、彼女の心を深く締めつけた。アクアは両手を空に向け、叫びながら涙を流し続けた。

アクアは、心が砕けるような痛みを抱えながら、彼女の新しい足で地上への道を歩き始めた。彼女の目には新たな光が映り込んでいたが、その光景はぼやけ、サイモンのことが脳裏に焼きついて離れなかった。彼女の心には、サイモンの愛と悲しみが永遠に刻まれ続けるのだった。