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「……っ、ごめん……」なつは顔を伏せ、
手をぎゅっと握りしめた。
昨日よりもさらにやつれた顔。
きっと家でろくに眠れなかったのだろう。
らんは深くため息をついた。
怒っている、というより――呆れている。
「謝ってほしくて言ったわけ
じゃないけど……本当にどうすんの。
いるまの治療費、思ったよりかかるよ?」
すちが静かに言う。
「こさめちゃんね、
昨日ずっと泣いてたんだよ?」
「……っ」
言われた瞬間、こさめの方を見た。
こさめは視線を合わせない。
ただ、膝の上で指先をいじり、
不安と怒りが混ざった目をしていた。
「なつくんのこと、
責めたいんじゃなくて……
ただ、どうしたらいいかわかんないの」
こさめの声は震えていた。
らんが続ける。
「なつ、お前謝るだけじゃ何も
変わらない。
治療費のこともそうだけど、
お前……昨日のいるまの反応、見たろ」
なつの表情が一気に曇る。
――“あー、貴方がなつさんか。
恋人だったって聞きました”
――“もう別れるみたいな話を聴いてて”
あの瞬間の胸のざわめき。
落ちていくような感覚。
今も息がしづらいほど残っている。
「……覚えてないの、
仕方ないってわかってるよ。
でも、いるまは今“知らん人”って思ってる」
すちが優しく言葉を添える。
「暇ちゃん、今は焦らないほうがいいよ。
無理に距離詰めたら……いるまちゃん、
また混乱しちゃうから」
こさめは小さく、しかしはっきり言った。
「…でも、なつくんが悪いん
じゃないよね。
いるまが守ってくれたのも……ほんとは、なつのこと好きやったからやと思うし」
なつは唇を噛んだ。
声が震えながら漏れる。
「……でも、俺が……全部……」
「違うって言ってるでしょ」
らんが遮る。
「なつ、泣きそうになってるけど……
いるまの前では泣くなよ。
あいつ、自分のせいって思うから」
「……ッそんなん…わかってるよ俺が
一番ッッ」
胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
昨日、覚えていない目で自分を見てきた
いるまの顔が焼き付いて離れない。
そんな中、病室のベッドから
微かに声がした。
「……ん……?」
らんたちが一斉に振り返る。
「いるま……起きた?」
シーツがわずかに動き、
いるまが目をこすりながらこちらを見た。
「おはよ、いるま」
らんが優しく声をかける。
その時、視線がなつに向いた。
「……あ、昨日の……なつさん?」
なつの喉が詰まり、言葉にならない。
それを見て、いるまは少しだけ
困ったように笑った。
「……あの……昨日、泣かせちゃって……
すみません……」
まるで他人に言うみたいに優しい声。
なつの目が一瞬で潤む。
らんが、すちが、
こさめが息を呑むのがわかった。
“知らない人に向ける優しさ”
それが一番、痛い。
なつの胸の奥で、何かが静かに崩れた。
いるまの「他人行儀な優しさ」が
落ちてきたみたいに胸に刺さって、
なつは喉の奥が熱くなるのを
必死でこらえた。
「……昨日は、ほんと……
びっくりしたので……」
いるまはゆっくりと言葉を探している。
「泣かせた、っていうか……その……
…俺、覚えてなくて……ごめんなさい」
――謝るのは俺の方なのに。
なつは唇を食いしばる。
涙が落ちそうになっても手の甲で
必死に拭った。
すちが少し心配そうに、
「暇ちゃん…座ったら?」
と椅子をすすめるけど、
「……っ、大丈夫……」
と声を震わせて断る。
こさめは横目でなつを見て、
ぎゅっと拳を握っていた。
らんはその様子を見て、
わざと明るく声を上げる。
「いるま、昨日より顔色良くなって!」
「うん、少し……痛みはあるけど」
「そっか。でも安心…だわ」
らんが笑うと、いるまも小さく微笑む。
その“見慣れた笑顔”に、
なつの胸はさらにえぐられた。
——戻ってきた。
でも、俺のいるまじゃない。
らんたちが会話を続ける中、
いるまはふと首をかしげてなつを見た。
「……あの、なつさんも……
俺の見舞いに来てくれたんですか?」
“さん”
距離のある呼び方。
胸が痛むというより、
身体の芯がスカッと
空洞になったみたいだった。
「まぁ……はい……」
絞り出した声は、自分でも驚くほど
弱々しい。
「そっか……ありがとうございます」
にこっと、礼を言う。
まるで優しい後輩に笑いかけるみたいに。
なつは息を吸うのも忘れた。
らんが気がついて、
少しだけ表情を曇らせる。
「……いるま、あのさ……」
「ん?」
「なつはその……めっちゃ、
お前のこと……」
らんが言いかけた瞬間、
なつは慌ててらんの袖をつかんで
首を振った。
「っ、言わないでいい……!」
「……なつ」
「お願い、ほんとに……言わないで……」
声が震え、足も震え、
このまま立っているのもつらい。
いるまはその様子を見て、
心底不思議そうに眉を寄せた。
「……なつさん、大丈夫ですか?
座りませんか?」
その瞬間だった。
なつは耐えられず――
病室の扉に背を向けて、
逃げるように出ていった。
「なつくん!!」
こさめが呼ぶ声も、
らんの追いかけようとする気配も、
全部背中の向こうに消えていく。
走りながら、涙が勝手に落ちてきて
止まらない。
俺のいるまはどこに行たの……?
なんで俺だけ、一人になってん……?
拳で涙をぬぐいながら、
エレベーターの前でしゃがみ込む。
「……返して……」
小さく、誰にも聞こえない声で
つぶやいた。
「俺の……いるま、返してよ……」
病院の薄い空気の中、
なつはエレベーター前の壁にもたれて、
嗚咽まじりに漏れる声を
止められなかった。
「……こんなことになるぐらいなら……
一人で死んどけばよかった……」
涙が落ちるたび、
胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
「なんで俺を庇って落ちたんだよ……
なんで……っ」
声が震えていく。
「死にたかったのに……
なんで……なんで俺だけこんな……
こんなに苦しまなあかんの……っ」
「邪魔すんなよ…、ッ」
言った瞬間、自分でも取り返しのつかない
本音だと分かった。
誰にも聞かれたくなかった。
聞かれたら終わるのも分かってた。
――でも、聞かれていた。
「……最低」
その声に、なつの肩がビクッと跳ねる。
振り返ると、こさめが立っていた。
いつも元気で明るい彼が、
今は真っ青な顔で、怒りとショックを
混ぜた目でなつを見ている。
「……こさめ……?」
こさめは震える拳をぎゅっと握りしめ、
唇を噛みしめたまま吐き捨てた。
「最低だよ、なつくん」
痛烈な声。いつもの柔らかさは一切ない。
「……っ」
「なんで……なんでそんなこと
言えるの……?
いるまくん、あんなにぐちゃぐちゃに
なって……あんなに苦しんで……
なつくん守るために落ちたんだよ!?」
なつは言葉を返せない。
胸の奥がつぶれるように痛い。
こさめの目の端にも涙があった。
「それなのに……
“死にたかった”とか… “苦しい”とか……」
こさめは震えながら一歩近づき、
低い声で宣告した。
「……もう二度と、いるまくんの
病室来ないで」
その言葉は鋭い刃のように胸に
突き刺さった。
「こさめ……違う、俺は、
そんなつもりじゃ……」
なつが手を伸ばすと、
こさめはその手を見ようともしなかった。
「これ以上……いるまくんを傷つけないで」
それだけ言って背を向け、
そのまま走るように去っていった。
残されたなつは、
伸ばした手を宙に置いたまま、
声にならない息を吐く。
廊下の白い光の中で、
ただひたすらに震えながら。
「……もう、会えないのッ…?」
その呟きは誰にも届かない。
家に帰っても居場所はどこにもない。
病院を追い出されるように離れたあと、
なつは重い足を引きずるようにして
“家”に戻った。
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