テラーノベル
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ドアを開けた瞬間、鼻につく酒とタバコの匂いが 襲いかかってくる。
――地獄の匂いだ。
ゆっくり靴を脱いでリビングを覗くと、
案の定、父親はぐでっと座って
酒瓶を抱えていた。
テレビの光がぶつ切りに父親の顔を
照らす。
「……おそいわ」
気に入らないと感じたのか、
父親は泥酔した目でなつを睨んだ。
「す、すいません……」
「はぁ?なんで謝ってんねんお前は」
──この時点で詰み。
幼いころから何度も経験した空気。
次の瞬間、
テーブルの上にあった空き缶が
投げつけられた。
ガンッッッ!!
頬に当たる痛み。
軋む音が耳の中で反響する。
「っ……!」
反射的に痛みで目を閉じる。
父親は立ち上がりながら、
ふらついた足でなつへとにじり寄る。
「人の金、勝手に使いやがって……
全部返せっつっとんのじゃボケ」
「ち、違う……俺じゃ……ない……」
言った瞬間、
胸ぐらを掴まれ壁に叩きつけられた。
ドンッ!!
「言い訳すんなや!!!!」
息が止まるほど強く締め上げられて、
なつは声も出せなくなる。
――ああ、まただ。
手足は震え、
視界がじわっと涙で滲む。
そんな中で、
ふと病院の白い天井が頭に浮かぶ。
あの時、
いるまの顔を最後に見た瞬間の
安心感が 蘇る。
……いるまだけ。
俺を守ってくれたのも、
一緒に死のうって言ってくれたのも。
あいつしかいないのに……
喉が締め付けられながら、
なつは心の中で必死にその存在を掴む。
いるまの笑顔。
いるまの声。
いるまのぬくもり。
――それだけが、
この地獄の中で唯一の救いだった。
小さく漏れたその名前だけが、
父親の怒号よりもずっと強く、
なつの胸の奥に響いた。
父親の怒鳴り声が遠くなっていく。
胸ぐらを掴まれたままなのに、
なつの意識だけがふっと離れていく
感じがした。
その全部が、
殴られる痛みより何倍も鮮明に蘇る。
「なにぼーっとしとんじゃアホ!!」
バチンッ!!
頬に平手が直で入る。
視界が一瞬白く弾けて、
なつの体が床に叩きつけられた。
「っ……く……!」
手首をかばえば足を蹴られ、
足をかばえば背中に拳が入る。
そんな繰り返し。
「返さんかったら……殺すぞ、」
床にこぼれた酒が、
鉄臭い血と混じってぬるく光る。
父の足が離れた瞬間、
なつは咄嗟にうつ伏せのまま口元を
押さえた。
泣いたら余計に殴られる。
小さい頃から覚えた、
生き延びるための反射だった。
呼吸を整えて、
か細く「……ごめんなさい」と言う。
いつも通りならここで終わるはずだった。
けど今日は違った。
父親は立ち去るどころか、
部屋の隅に置かれていた革のベルトを
手に取った。
なつの心臓が一気に跳ねる。
「待っ……やめ……っ、やめてっ」
初めて声に出して拒絶した。
いつもの“無”じゃ耐えられない。
父親の顔が歪んだ。
「反抗すんなや」
ベルトが空気を切る。
ビュッッ!!
「ーーっあ!!」
背中に、過去と同じ鋭い痛みが走る。
息が止まり、涙がぼろぼろこぼれ落ちる。
痛い。
怖い。
逃げたい。
でも逃げられない。
その瞬間、
頭の奥で“たったひとつ”の声が、
何度も何度も反響した。
──“逃げよ。なつ”
──“一緒に な?。”
──“俺は何があってもなつの味方だから”
いるまの声。
その声が、
痛みの中でも唯一、
自分をまっすぐ支えてくれる。
なつは顔を歪めたまま、
涙を流しながらも、胸の奥に確かな決意を
飲み込んだ。
「……絶対……もうここ、出る……」
今度こそ、
何があってもあの地獄から逃げる。
でも──
その時自分の隣にいるまはいない。
痛みより、
その事実が一番つらかった。
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コメント
3件
ほんとうに大好きですまじ最高すぎる 次もたのしみですꔛ