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「久しぶリ」
薄暗く、静まり返った室内に、不気味な声が走る。
窓の外は暗闇が支配し、森そのものが星空と共に寝静まっている。
ここは迷いの森に隠された小さな集落。ひと際大きな家の中には、本来は住民が一人だけのはずだった。
灯りが居住空間を照らす。ぽうぽうと明る過ぎない光量で、本棚だらけな部屋の中を光で満たす。
椅子に腰かけ、読書に励む女の名はハクア。この地の長であり、白衣を脱いで今はラフな服装だ。
彼女の魔眼が声の方へ向く。
「百年ぶりくらい? あんたが来たってことは、そういうことなのでしょう?」
呼んでもいない客人だ。丁重に扱うつもりなどない。されど無視することもせず、答え合わせを要求する。
「サイッコーだったヨ、君の反応。あそこまで喜んでくれるなんてネ。久しぶりの再会はそれほどに甘美だったノ?」
「……殺すわよ?」
「おー、怖い怖イ。君、また腕を上げたよネ? ワタシとしては一回くらい戦ってみてもいいヨ。あ、もしかして、君自身が壇上に上がろうとしてル?」
「そんなわけないでしょう。その点はわきまえてる。私ごときがどれだけ積み上げようと、あのお方には届かない。奴にも敵わない。悔しいけどそれが現実。だから、私は私の役に徹する」
ハクアの回答がよほど嬉しいのか、客人はだらしなく笑い始める。これの出現によって室内はさらに明るく照らされており、もはや灯りは不要なほどだ。
「いいねいいネ! やっぱり君は最高ダ。うんうん、お互いの夢はもうすぐ叶うかもしれないネ」
「……どういうこと? この本はまだ二冊。もう一冊はまだ見つかっていない」
椅子から立ち上がり、その本棚へ向かう。そこには白紙大典と瓜二つの本が真っ白な背表紙で自身を主張している。
「あー、あー、アー……。我慢出来ないから言っちゃうネ。そんな嘘はもう必要ないヨ。ぜ~んぶわかっちゃったかラ。すごいね、ワタシのことをず~とだましてたんだかラ。そういう意味でも君ってサイコー」
「……そう。まぁ、本物を見たのなら当然、か」
腹の探り合いはいつものことだ。嘘で塗り固めた関係ゆえ、手の内が見透かされたとしても動じることはない。
「契約の瞬間っていうノ? すごかったナ~。一目でわかっちゃったヨ。これが本物ダ! っテ。そしてソシテ! ワタシが君の手のひらの上で踊らされているってことにも気づけたんダ。ほんと、笑らせてもらったヨ。道化師冥利に尽きるってネ」
「それで? 復讐しにでも来たの? 言っておくけど、負けるつもりはない」
どちらも隙だらけだ。戦う素振りすら見せていない。
それでも、ハクアは闘争心を沸騰させ始める。相手の力量を考えれば、わずかな油断すら厳禁だからだ。
「しないっテ。君って本当に短気だよネ。そういうところは昔から変わらないなァ。あ、また髪伸びたノ? 邪魔にしか見えないけど、ニンゲンって不思議なことをするよネ?」
それの言う通り、ハクアの赤髪は非常に長い。前髪だけは切り揃えてあるが、背中は完全に隠れており、そればかりか臀部すらも越えて膝裏にまで達しかけている。
「また髪の話? あの子にも言われたわ。いったい何なの? そんなことより聞かせて頂戴。あの子はなぜ、あんたの土の魔力を持っていたの?」
「あ~、そのことカ。もう、本当に……笑いが止まらないヨ、ファファファファ!」
真っ赤な炎を揺らしながら、それは声高々に笑う。我慢など不可能だ。心の底からおもしろいのだから。
その状況を女は黙って眺める。こうなってしまってはどうすることも出来ないと重々承知している。
「ふぅ、実に愉快。まさかこれについても真実を隠していたとはネ。それとも、ワタシって騙される才能があるのかナ? どう思ウ?」
「あなたこそ騙す側でしょう。その反応、どうやら気づいたようね? あれこそが……」
「封印の鍵。う~ん、素晴らしイ。わかるはずもなイ。目立つ存在だけども、あれにはさすがに立ち向かえなイ。ニンゲンも頭がまわるネ~」
「……偶然よ。王ですら最初は気づけなかったもの。倒して初めてわかったから」
「ア~、なるほどなるほド。だから火だけガ……。うんうん、ここに来て良かっタ。ぜ~んブ、わかっちゃっタ」
互いに手の内を晒し続ける。危険な行為だが、今更隠し通す必要もない。
なぜなら、白紙大典が無事見つかった以上、状況は次なる段階へ移行済みだ。
「とにかくあんたは探し続けなさい。百年だろうと二百年だろうと、好きなだけ時間をかけてもいいから」
「ん~、そのことなんだけどネ~……。もう、探さなくていいかナ」
その返答が、魔女の眉間にしわを作る。思考の方向性がかみ合わなくなった瞬間だ。
探し物は白紙大典だけではない。だからこそ、二人はそれぞれの目的のためにまい進していた。
「……どういうこと? さっきも言ったけど、私には無理。だから、探すしかないじゃない。今の女王も腕はたつようだけど、それでも四英雄の方が可能性はある。結局のところ、この時代に合格者はいないはず」
そして静寂が訪れる。発言権は彼女からそれに移ったのだから、二つの魔眼は赤い炎とそこから生える四肢と頭部を眺め続ける。
「あのニンゲン……、あのコドモに決めたんダ。どう? おもしろいでショウ!」
それは再び笑い出す。
踊るように。
演じるように。
その姿はまさしく道化師そのものだ。
それでもなお、この魔女は怯まない。お互いに長い付き合いだ。話を先に進ませるため、吐き捨てるように本心をぶつける。
「馬鹿なことを……。あの子はただの子供、選ばれたと言ってもお情けみたいなもの。資質も才能もない。それに……」
そしてハクアは言い淀む。そこから先は眼前の共謀者にも告げられない。
「キミこそわかってないネ。あのニンゲンは普通じゃなイ。それどころカ……」
狂っている。
大空から観察した結果、これはウイルをそう評価する。
「あんたも所詮は魔物ね。見る目がなさすぎる。あの子は完全にハズレ。本物はね、生まれた時から別次元なの。覚醒者である必要はないけれど、超越者であることは絶対条件。これだけは譲れない」
覚醒者。魔法とも戦技とも異なる神秘、天技を扱える者。一人ひとりが固有の能力を有しており、ウイルの場合、ジョーカーと名付けた魔物感知がそれに該当する。
超越者。人間という規格から外れた者。その身体能力は魔物を容易く葬るばかりか、人々に畏怖さえ感じさせる。
「わかってるっテ。だけど……ネ。あのニンゲンに決めちゃっタ。ワタシの意思はもう変わらなイ。変える必要もなイ」
「その綺麗な顔についてる目は節穴? 何をどう見たら……」
「もし、キミがただのコドモだったら、グラウンドボンドだけで巨人から逃げ切れるかイ?」
その問いかけがハクアを一瞬硬直させる。馬鹿げた内容ゆえ、考えるだけ無駄に思えるも、思考実験に付き合うことにする。
「まぁ、可能なんじゃない? 魔力差で弱体魔法が成立するとは思えないけど、そういう揚げ足取りは無しなんでしょう?」
「……だったら、大きなニンゲンを背負いながらだったラ?」
その瞬間、この魔女も質問の意図を理解する。
ウイルのことだ。ミファレト荒野にて、この少年がやってのけたこと。それがいかに困難か、ハクアもついに思い知る。
それでも納得はしない。静かに食い下がってみせる。
「傭兵だったら、子供だろうと別に……。重いと言ったところで、五十キロとか六十程度でしょう?」
その通りだ。普通の傭兵なら、自身よりも数倍重い荷物すら容易に運んでみせる。そうでなければ務まらない仕事であり、魔物退治ならさらに困難だ。
「あのニンゲンは、歩くことさえままならなかったヨ」
「ふん、くだらない嘘を……。だったらどうやって逃げたっていうの?」
「諦めなかっタ。あんな状況でモ……。地を這うように進み続けタ。大きなニンゲンを背負ったまま、ゆっくりユックリ。君に……、そんなことが出来るかイ?」
そして、ハクアは青ざめる。
見捨てなかったウイルと過去の自分を比較し、その惨めさが胸をえぐる。
「重たかったのかナ? 潰れそうになりながら、それでも芋虫のように歩ク。見捨てれば良いのに、そうしなイ。キミとは違うネェ」
「……黙りなさい」
「まぁまぁ、奇跡はここからだヨ。なんト! 小さなニンゲンが、ついには走り始めちゃっタ! 背負ったままだヨ! あんな成長の仕方、ワタシだって見たことなイ! 偶然? 必然? 違うチガウ! 諦めなかっタ! だからああなっタ!」
炎の魔物は力説する。見た光景を。少年の決意を。
「……それで?」
「ワタシも決めタ。あのニンゲンに決めタ」
「馬鹿らしい。今の話が本当だとして、だから何? 努力の果てに、あれを上回れるとでも?」
「そう思うことにしタ。だから、ワタシはもう探さなイ」
「くだらない。まぁ、好きにすれば? 数日もすれば、また探すことになるでしょ」
再びの静寂。両者の想いがぶつかり合った結果、新たな疑問が浮かび上がったからだ。
「……あのニンゲンはどこヘ? 一人だったけド」
「ラゼン山脈。薬の材料を取りに行かせた。そうそう、呪恨病が今になって現れた理由って、もしかしたあんたなの?」
ハクアの言う通り、ウイルはこの日の日中に北へ向かって出発した。目的地は遠く、往復二週間の旅路が予想される。
「セイカ~イ。あの時奪った毒が、まさかマサカノ! 瓶の中にはほんの少ししか残ってなかったから、感染は一人だけだったけド。まぁ、目的は果たせたから上出来だネ」
「はぁ、やっぱりそんなこと……。で? 目的って?」
「ワタシの存在に気づくニンゲンがいたからサ。目障りだったし、殺しちゃおうかな~っテ。もったいないけド、まぁ、仕方ないかなって感ジ」
その人間こそが、ウイルの母親だ。彼女の天技が息子以外にこの魔物を探知してしまい、結果として狙われるはめになった。
殺害方法が呪恨病という名の毒であり、発症するか否かは運否天賦だったが、天は加害者に味方した。
(母親も覚醒者? だとしたらすごい確率。それとも子供にも同じ天技が受け継がれた? どちらにせよ、もうどうでもいい)
親子揃って天技を覚醒させ、その内容も瓜二つだ。非常に珍しいことだが、ハクアはそれ以上の関心を抱かない。
もはや関係ない。そんな事実は今となっては無価値だからだ。
「あんたのせいで余計な仕事が増えたんだけど。あぁ、でも、本が見つかったから許してあげる。薬の材料も以前のがほぼほぼ残ってるから、すぐに作れるし。あの子のお母さんだけは助けてあげる。あんたの尻拭いみたいで気持ち悪いけど」
赤い髪を揺らしながら、ハクアは大きくため息をつく。そのまま椅子へ向かおうとするも、その足取りは停止せざるをえない。それの発言が空気を凍らせたからだ。
「……あのニンゲンを殺すつもりなんダァ。なるほどナルホド」
「なんの……こと?」
図星だ。ゆえに、女は立ち止まってしまう。
「ラゼン山脈カァ。さすがハクア、と言ったところかナ? あそこに向かわせれば、確かに生きて帰ってはこれないネ。薬の材料を取って来イ。ラゼン山脈ヘ。うんウン、見事なシナリオダ」
「嘘は言ってない」
「そうなんだろうネ~。だからこそ、残酷ダァ。あのニンゲンは魔物に殺されて、それデ? ハクアが白紙大典を回収すル。自分の物にすル。なんデ? そんなに欲しいノ?」
魔物の推測は正しい。ラゼン山脈はそれほどに危険な場所だ。仮にイダンリネア王国が軍隊を動かしたとしても、壊滅する可能性がある。腕の立つ傭兵を大勢雇ったところで結果は変わらない。
そんな場所にウイルを向かわせればどうなるか? ハクアほどの博識な魔女なら容易に想像出来る。
だからこそ、そう仕向けた。彼女を手に入れるために、自分の手を汚さない方法を選んだ。
「……死んだら死んだでそれまでのこと。あの子はあんたが見つけた逸材じゃないの? こんなところで殺されるような人間じゃないのなら、黙って見てなさい」
「ふ~ン、まぁ、いいヤ。本心を知ったところでおもしろくはないんだシ。うん、決めタ。ハクアはハクア、ワタシはワタシ。今まで通り、何も変わらなイ」
「そうね。あんたは探す。私も探す。今はそれで充分」
そして二人は見つめ合う。
赤髪の魔女。その髪は誰よりも長く、その魔眼はどれほどの歴史を眺めてきたのか。
火炎の魔物。姿形は一部を除けば人間の女性そのものだ。
長い髪は真っ赤に燃え、顔つきは鋭いながらも美麗の部類だろう。手足はすっと細く、染み一つない肌には色っぽさすら漂う。
だが、胴体だけがありえない。そこには胸部も腹部も見当たらないのだが、その理由は大きな火の玉が代替品のように浮かんでいるからだ。
そこから顔と両手と両足が伸びている。
赤色と肌色の二色で構成された人型の魔物。それこそがこれの正体だ。
「最後に一つだけ教えテ」
「何?」
「あのニンゲンの名前ヲ」
「ウイル」
今日はここまでだ。なぜなら、答えを聞き遂げると同時にそれが姿を消したのだから、以降は独り言になってしまう。
静寂を取り戻した室内。その中で、魔女は小さくため息をこぼす。
(相変わらず神出鬼没。せいぜい探し続けることね、私のためにも、人間のためにも)
互いが互いを利用し合っている。そこに信頼はないが、利害が一致している間は手を取り合うことが可能だ。
「ウイル……覚えタ」
真っ暗な森の上空を、赤い炎が駆け抜ける。流星のように美しく、されど常人には速すぎるが故に視認など出来ない。
得られた情報は上々だ。ハクアは多くを語り過ぎたのだが、今回はこの魔物が一枚上回った。今まで手玉に取られていたのだから、仕返しに成功したとも言える。
(キミにだって邪魔はさせなイ。アルジのためにも、ワタシのためにモ)
互いが互いを利用し合っていた。
それも今日までだ。目的は依然として同じだが、思惑は一致しない。ならば、縁は切らずとも別の道を歩む他ない。
舞台に立たされた少年。
客席から眺める魔物。
舞台袖から睨む魔女。
立場も思想も境遇も異なる三者だが、それぞれの道がついに交わる。
その果てに待つ者こそが終幕であり、スポットライトすら届かぬ闇の中で自分の出番を待ち焦がれている。
運命を引き寄せる傭兵。
満たされたいだけの観客。
過去に縛られた囚人。
彼らの戦いは、ここから始まる。