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「……俺じゃ、あかんかな?」
「……何言ってるんですか。学校、クビになりますよ?」
俺が高校三年生になってから赴任してきた美術の新(あらた)先生は、ひどく綺麗な人だった。
俺と年齢もそれほど変わらないように見える、透き通った瞳をした人。
「……まあ、バレへんやろけどな?」
西日に照らされた美術室。埃が光の粒のように舞う中で、先生はいたずらっぽく目を細める。
目尻に浮かぶ柔らかな笑い皺が、やけに可愛らしくて、胸の奥が柔らかくなる。
「……あほじゃないですか? 高校生の家に大人が通ってたら周りに勘繰られるに決まってる。バレたら、なんもしてへんって証明出来るもんもないし。ほんま……あほじゃないですか?」
危ない。
あまりにもこの空間が心地よくて、その冗談を真に受けてしまいそうになる。
喉元まで出かかった言葉を急いで飲み込んで、必死に捲し立てる。
「……そんな怒られると思わんかった。……二回もあほって言われたし、やめとこかな」
「理由、それですか?」
ふふ、と優しい垂れ目をさらに細めて、新先生は笑う。
この人は、どこまでが本気で、どこからが優しさなのか、本当に掴めない。
ほんの数分前、俺はソフレに振られた。
セの方じゃない。ただ隣で眠るだけの、温度を分け合う添い寝友達。略してソフレ。
彼女いわく、「付き合ってもないのに重たい」らしい。
俺の悪い癖や。一度心を許せば、狂うほどにその人だけを求めてしまう。
束縛なんて言葉じゃ足りない。その人の視界も、思考も、全部俺で埋め尽くしたくなる。
高一の時、本気で好きだった人に振られて、世界が壊れそうになった。
その時、SNSで見つけたある言葉に救われた。
『好きの分散は必要。一つ失っても、予備があれば心は死なない』
だから、俺も「分散」することにした。
……といっても、俺の場合は一人ひとりに対する比重が「10対10」になってしまう。
結局、誰を相手にしても、この重い愛は削れへんのやけど。
「……そもそも、先生に打ち明けるような内容じゃなかったですね。新先生、先生って感じせえへんし。……お兄ちゃん、って感じ。やから、なんでも話せてまうんかな?」
「……お兄ちゃん、か」
「ん? 不服ですか?」
「いや、光栄やなと思って。学校一モテる空くんのお兄ちゃんになれるなんて」
「新先生も、大概やと思いますよ。その顔で」
はは、と二人で目を合わせて笑う。
けれど、ふとした瞬間に訪れる沈黙が、ひどく甘くて苦しい。
もし、この人が先生じゃなかったら。
「俺じゃあかん?」という言葉に、迷わず縋りついていたかもしれん。
この綺麗な人を独り占めして、自分だけのものにしたいと願うのは、きっと抗いようのない人間の本能やから。
でも、俺はまだまだ子供や。見た目だけはどんどん大人びていくのに、中身が全然追いついていない。
このまま、誰かと身体を重ねてしまえば、俺はきっと愛に狂ってしまう。
相手を壊し、自分も壊れるまで、その体温を貪り尽くしてしまうのが自分でも分かっている。
だから、今はまだ、誰とも繋がるべきじゃない。
この純粋な好意が、どろどろとした執着に飲み込まれてしまわないように。
俺は精一杯の理性で、目の前にいる「先生」という光から、必死に目を逸らした。
「……次、移動教室じゃないの?」
遠くで鳴ったチャイムの音が、魔法を解くように響いた。
「ほんまや! 忘れてた!」
慌てて鞄を掴み、美術室の重いドアに手をかける。
「……空。できれば次は、違うクラスの子にしときなよ?」
背後から届いた声は、さっきより少しだけ低くて、熱を帯びているように聞こえた。
その微かな独占欲に、心臓が跳ねる。
「……はーい」
振り返らずに答えて、俺は逃げるように廊下へと飛び出した。
「あー……顔合わせるの嫌やなぁ」
湿り気を帯びた梅雨どきの空気が、廊下に淀んでいる。
手っ取り早く、俺に好意を寄せていたクラスの女子にソフレをお願いしたのが間違いやった。
最初はあっちが「好き好き」と、甘ったるい匂いを撒き散らしながら縋りついてきたくせに。いざ俺が束縛し始めたら、手のひらを返したように「重い」だの「キモい」だの。
勝手な話やろ。どうしろっていうねん。
まあ、付き合いたいと言われたのを「付き合うのは無理」と撥ねつけ、ソフレという曖昧な関係を強いた俺も悪かったんやろうけど。
だって、次に「恋人」という特別な枠に座らせる人は、俺が本当に心から好きになった人がよかったんやもん。
教室へ向かう廊下、ふと視線を落とした先のグラウンドに、見慣れた姿を見つけた。
陽光を浴びて、一人で泥だらけになってボールを蹴っているのは、もとちゃんだ。
「おーーい!! ぼっちで何してんのーー!?」
湿気で立て付けの悪くなった窓を強引に開け、身を乗り出し大声で呼ぶ。
もとちゃんは声の主を探して、あちこちをキョロキョロと見渡している。その仕草が小動物みたいで、少し可笑しい。二階からやと、やっぱり聞こえづらいか。
「おーーい!! もとちゃーーん!!」
「……おー!! 空!! おーーい!!」
なんやそれ。
男二人で「おーーい」と言い合いながら手を振り合う。端から見れば間抜けな光景だけど、もとちゃんの屈託のない笑顔を見ていると、さっきまでのイガついた気持ちが少しだけ丸くなっていくのがわかった。
「あとでーー!! 電話する!!」
「……おー!!」
一瞬、よく分かってなさそうな顔をしながらも、もとちゃんは笑顔で親指を立てた。
そのまま、眼鏡をかけた特進クラスの連中に首根っこを掴まれるようにして、どこかへ連行されていく背中を見送る。
……あいつ、どんな扱いされてんねん。ほんま特進感ないよな。
とと
#関西弁
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