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#関西弁
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そんなことを思いながら、俺は冷房の効きが悪い教室の引き戸に手をかけた。
「あっ、」
入ろうとした瞬間、誰かとぶつかる。
鼻を突いたのは、かつて俺を夢中にさせた、あの甘い香水の匂い。最悪や。そこにいたのは、今一番顔を合わせたくない相手――カナだった。
「……キッモ」
冷え切った視線。鼓膜を刺すような、蔑みのこもった声。
先週まで、あれだけ一緒にいた仲やのに。女子って、こんなに簡単に男をゴミみたいに捨てられるもんなん?
カナが席に向かった後もそこには彼女の匂いが微かに残っていて、それが余計に俺の苛立ちを煽った。
「……ねえ、カナとソフレ辞めたんでしょ? 先週まで付き合ってるみたいに仲良しだったのに。ねぇなんで?」
カナとつるんでいる少女Aが、ニヤニヤしながら近づいてくる。名前は忘れたが、いつも標準語で俺を弄ってくる鼻につく女だ。
「……そんなん、俺が聞きたいわ」
「あ! あっちの不一致とか?」
「あほか。俺らはソフレ!添い寝だけの寂しさを埋める関係なの!」
呆れて背を向けようとしたが、少女Aは逃がしてくれない。隣の机に肘をつき俺を値踏みするような視線を向けてくる。
「じゃあ……なんで付き合わないの? あんなに束縛して、まるで、自分の所有物みたいに扱ってたじゃん」
核心を突くような問いに、喉の奥が熱くなる。
正直に言うか迷ったが、こいつに嘘をついても見透かされそうで面倒や。俺は視線を逸らしたまま、本音をこぼした。
「……好きになりすぎたら、頭がおかしくなんねん。やから、身体には触れへん。……壁は作っておきたいねん」
愛しすぎるのが怖い。
一度入り込ませてしまえば、俺は自分を制御できなくなる。多分相手を壊すか、自分が壊れるまで執着してしまう。
俺の高い壁の向こう側、誰も触れられない場所に、本当に好きな奴だけを閉じ込めておきたいんや。
「……あー、なんとなくわかる気がする」
少女Aはそう言って、初めて少しだけ真面目な顔をして頷いた。
「……わかんなよ」
低く、自分でも驚くほど冷めた声が出た。
お前如きが、俺の心の壁の厚さを、わかった風な口で語るな。
「え?」
「いや、なんでもない」
危ない、危うくキレそうになった。
俺に共感したふりをして、陰でカナと一緒に「きっしょ」と笑いの種にするつもりやろ。女子のそういう薄ら寒い連帯感は、もう飽き飽きや。
「じゃあさ、次……私なんてどう?」
「……は?」
授業開始を告げるチャイムが、鼓膜を忙しなく叩く。
思わず漏れた俺の「は?」は、喧騒に紛れてこいつには届かなかったらしい。
「考えといてね!」
少女Aは、俺の沈黙を肯定と取ったのか、いそいそと自分の席に戻っていく。
カナはどんな顔をしてこのやり取りを見ていたのか。気になって視線を向けると、不意に目が合った。彼女は渾身の変顔で、大きく舌を出して見せた。
「……ふふっ」
思わず漏れた笑いを、口元に手を当てて隠す。
なんだかんだ言って、焼きもちを焼いてくれてたんかな。少しは、俺の独占欲を理解してくれたんかな。そんな淡い期待が、胸に回る。
♢♢♢
放課後。
重苦しい空気から逃げるように教室を出た途端、もとちゃんに捕まった。
「お~い! 空! さっき窓からなんて言ってたん?」
わざわざそんなことを聞きに、特進クラスから走ってきたん?額に薄っすらと汗を浮かべて、もとちゃんが笑っている。
「……電話するって。それだけやけど」
「お、わかった! じゃあな!」
「は? わざわざそれだけ聞きに来たん? LINEで聞けばよくない?」
「……そっか、ごめんごめん!」
あはは、とアホみたいに大きな口を開けて笑う。
本能のままに生きている感じはもとちゃんらしくて嫌いじゃないけど……。本当に大丈夫か? お前、本当にあの偏差値の高い特進クラスの人間なんか?
「……ほんま、あほやなぁ」
「えっ!?」
真顔で言うと、本気でショックを受けたように目を見開かれた。
いや、絶対これまで何度も言われてきたやろ。ないんやとしたら、お前の周りは優しすぎるあほしかおらん。
「とりあえず、夜電話するから。大人しく待っとけよ」
「……はーい」
思いきりシュンとして項垂れる姿が、主人に叱られた犬みたいで妙にそそる。
俺はそっと肩を組み、「でも、あほなとこも嫌いじゃないで」と耳元で囁いてやった。もとちゃんが、パッと明るい顔でこっちを見る。……うん。可愛い。
――アリやな。これは。
背後から少女Aの声がしたけれど、聞こえへんふりをした。
違うクラスで、そこそこ気が知れていて、顔が好み。優しくて、ちょっとアホで扱いやすい。
男同士なら、余計な恋愛の駆け引きも絡まへんやろうし、男女間みたいなドロドロした末路にはならへんはずや。
これなら、俺の「重さ」も、程よい刺激として受け入れられるんちゃうか。
「……決定」
「ん? 何が?」
「もとちゃんに決定しましたので」
「え……ありがとう?」
何もわかっていないのにニコニコと無防備な顔を晒すから、差し出した右手をギュッと握りしめる。
契約成立や。
一度捕まえたら、一生、離したらへんからな。
「あ、夜。電話じゃなくて家来てよ。何時でもええから」
一歩踏み込んだ言葉に、もとちゃんが戸惑いの色を浮かべる。
「……え、俺、今日用事が……」
「用事より、俺。やろ?」
少しだけ力を込めて手を握り直す。
俺の壁の向こう側へ、こいつを完全に閉じ込めるための、最初の鍵をかける音が聞こえた気がした。