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これを君の愛と言うならば

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これを君の愛と言うならば

2 - 完 これを君の愛と言うならば

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2025年11月29日

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 雨はいつの間にか本降りになっていた。教室へ戻るタイミングを逃したあたしたちは、校舎裏の屋根のある場所へ移動した。

 濡れた制服の袖が重くて、寒いはずなのに、胸の奥は熱かった。

 さっき、あたしは――まろに刃を向けてしまった。


 「……ほんま、ちょっと擦っただけやて。ないこ、そんな顔せんでええのに」


 まろは冗談みたいに笑って見せる。

 濡れた前髪が頬にはりつき、その向こうの瞳がふっと細められる。


 その優しさが、あたしにはつらかった。


 「ねぇ……まろ、なんでそんなに笑えるの?」


 「なんでって……ないこが泣きそうやからやん。うちが笑うんが一番効くやろ?」


 「……それが、つらいの」


 声が震えていた。まろの袖を指先でつまむ。

 まろは気づいているのだろうか。あたしがどれだけ必死で自分の中の何かを押し殺しているかを。


 「まろが優しいとね、あたし、余計に壊れそうになるの。だってさ……」


 まろの視線が真剣になる。


 「だって、もう……まろ以外見えないんだよ。怖いくらいに」


 その言葉に、まろは小さく息を呑んだ。

 比喩でもなんでもなかった。あたしの世界は、ほんとうにまろ一人で成り立っている。


 「ないこ……」


 「まろが他の誰かと笑うのが怖い。まろの心が誰かに向くのが、耐えられない……。考えるだけで、息苦しくなるの」


 そのたびに、あたしはあのナイフに触れた。

 まろじゃなくてもいい、あたしを傷つけてでも気持ちを確かめたいほどだった。


 まろは少し俯き、濡れた自分の手首を撫でた。


 「さっき……刃が触れたときな」


 「……うん」


 「怖くなかったわけやない。正直、痛っ、て思ったし。何してんねんって、一瞬思った」


 胸が痛んだ。


 「でも、そのあとで……ないこの顔見たら、なんか全部わかってもうたんよ。どれだけうちのこと思ってるか、どれだけ不安か……。その気持ちが、痛いほど伝わってきて……」


 まろの声はやさしく揺れていた。


 「うち、逃げへんって言ったやろ」


 「うん……」


 「それはな、怖がってへんから言えるんやない。怖いけど……それでも、ないこと向き合いたいからや」


 あたしの胸が熱くなった。


 「向き合うって……どうするの?」


 「まずは、ないこの気持ちを全部聞くとこからや」


 「全部……?」


 「そ。ぜーんぶ。汚いとこも、嫉妬も、独占欲も。うちは聞くし、受け止める。だから……もう刃物はいらんやろ?」


 まろはそっと、あたしの手を握る。

 あたしの指はまだ震えていた。


 「……まろ、あたし、ほんとに壊れてるよ。普通じゃないよ」


 「普通てなんやろな。うち、ないこの気持ち……全部抱えるつもりでおるよ」


 「……そんなこと言ったら、もっと好きになっちゃう」


 「ええよ。どれだけ好きになられても」


 まろの強い言葉に、胸の奥がぎゅうっと締めつけられた。


 あたしは、両手で顔を覆って泣きたくなった。

 でも、泣く前にまろがあたしの手首を引いて、胸元へ抱き寄せた。


 「あっ……まろ……」


 「ここおいで。泣きたかったら泣いてええ」


 温かい。

 まろの胸に触れた瞬間、あたしの中で張りつめていた何かが溶けた。


 「……まろ……好き……ほんとに、好き……」


 「うん、知ってるで」


 「まろが笑うと苦しい……他の誰かがまろの名前呼ぶだけで心臓痛い……」


 「うん」


 「このまま独り占めしたい……誰にも渡したくない……」


 「……うん、ないこ。それでええ」


 涙が止まらなかった。

 まろは、泣きじゃくるあたしの背中をゆっくり撫で続けた。


 雨の音だけが、二人のまわりに落ちていく。


 どれくらい時間が経ったかわからない。

 泣き疲れて顔を上げたとき、まろはあたしの頬に手を添えた。


 「なぁ、ないこ」


 「……なに?」


 「うちもな、ちょっとだけやけど……胸が苦しかったんよ。ないこが泣いてる間ずっと」


 「まろも……?」


 「うち、人に好かれるの慣れてへんし。そんなん急に向けられて、戸惑ってた。でも、ないこのそれ……向けられたとき、なんか……胸が熱くなった」


 心臓が跳ねた。


 「まろ……」


 「これが恋なんか、まだ断言はできへん。でも……ないこと離れたくないのは、本音や」


 その一言は、あたしの存在を全部肯定してくれるようだった。


 あたしはそっと、まろの傷に触れた。

 赤い線が薄く残っている。


 「……痛かったよね」


「んー……ちょい、かな。でもそんな気にせんでええ」


 「ごめん……でも、まろを傷つけたくなかったわけじゃないの。むしろ……」


 喉が震え、言葉が途切れる。

 まろは静かに待ってくれていた。


 「あたし自身が、怖かったんだよ……まろがいなくなる未来が。それがいちばん怖かった」


 まろはあたしの手を握り、指を絡めて、ゆっくりと頷いた。


 「うちはここにおる。消えへんよ。ないこが望む限り、ずっと」


 泣きそうになった。


 馬鹿みたいに、簡単に泣けるほど、まろの言葉はあたしの生きる理由になっていた。


 「まろ……抱きしめて」


 「もちろんやん」


 まろの腕があたしの背に回り、あたしはすべてを預けた。


 雨に濡れた体温が重なり、呼吸のリズムが合う。

 胸の奥に巣くっていた狂おしいほどの思いは、まだ消えない。

 だけど、その狂気すら――まろは受け止めると言ってくれた。


 「まろ……あたし、生きてくよ。まろがいるなら、生きていける」


 「うちもや。ないこがいるから、前に進める」


 しばらく抱きしめ合って、まろがあたしの耳元で小さく笑った。


 「……なぁ」


 「なに?」


 「うちはまだ“答え”を言ったわけちゃうで? でもな……」


 まろはあたしの頬にそっと唇を近づけた。

 触れるか触れないかの距離。


 「こうしたくなるくらいには……好きやと思う」


 触れた。

 ほんの一瞬、唇があたしの頬を掠めた。


 世界が止まった。


 「……っ、まろ……!」


 体が熱に包まれた瞬間、まろは照れたように目をそらした。


 「続きは……ないこがもう刃物握らんって約束してくれたら、考えるわ」


 「……約束する」


 「ほんま?」


 「うん。まろがいるなら……もう必要ない」


 まろは笑った。


 あたしの胸にあった暗い衝動は完全には消えない。

 でも、まろが手を伸ばしてくれた。


 その手を握って、生きていきたいと思った。


 「これからも、ちゃんと向き合おな」


 「うん。どこにも行かないから」


 雨音が少しだけ弱まった。

 ふたりはまだ、校舎裏の薄暗い影に寄り添っていた。


 その影はどこか歪で、危うい。

 けれど確かに、あたしたちだけの場所だった。


 まろとあたしは、あの雨の日、確かにひとつの未来を選んだのだ。


 壊れた心ごと抱きしめ合って、

 それでも前に進もうとする――

 そんな、ふたりだけの物語を。



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