テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
※もうちょい蓮司回。考察に近い。
Q:蓮司が「壊す瞬間」に静かで軽い理由は?
A:蓮司にとって、他人は「人間」ではなく「素材」「現象」に近い。
痛みや感情に寄り添うことはないが、「反応」「壊れ方」には知的な関心を持つ。
よって「破壊」はドラマではなく、観察と操作の遊びであり、あくまで蓮司にとっては“軽いこと”。
「飄々」としているのは、それが情熱の裏返しではなく、知的な戯れだから。
壊れるかどうかは相手の反応の問題であり、蓮司の内側には感傷も怒りもない。
つまり、「壊す」ことに意味があるのではなく、「どう壊れるか」が面白い。
壊れたあとは「もう終わった玩具」として、興味がなくなるかもしれない。
Q:「本当に壊れた人間」は退屈なのか?
A:ほとんどの場合は、はい。
蓮司が求めているのは、「壊れかけのバランス」であり、それが最も美しい崩壊の軌道を描く瞬間。
完全に壊れたものには、もう観察すべき反応も、押して反応を引き出す余地もない。
壊れるまでのプロセスこそが、蓮司の興味の対象。
完全に壊れてしまった人間は、蓮司の中で“役目を終えた”対象。
Q:沙耶香が壊れたとき、蓮司はどうするのか?
A:ここが非常に特殊です。沙耶香は唯一、蓮司が“人間として扱っている存在”です。
選択肢は2つ。
自分が初めて大切にした存在が壊れたことにより、自分の“破壊者としての意味”が崩れる。
蓮司の“飄々とした仮面”が剥がれ、見せたくなかった“空白”が露呈する可能性。
「この沙耶香も悪くない」と、自分の欲望に再適応してゆく。
ただしそこに「かつての沙耶香」への愛はなくなる。
これは、蓮司という人間に「喪失」や「後悔」といった、人間的感情の芯が存在しているかどうかにかかる。
それを“ある”とすれば壊れる、“ない”とすれば冷笑的に再構成する。