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転校生事件が未だ健在の中——。
今日が新入生歓迎会だったことを、慌ただしい日常の中でふと思い出した。
ちなみに歓迎会とはその名のとおり、高等部の新入生を俺たち上級生が盛大に祝う会のことだ。
先週終えた入学式に劣らないほどの大規模なイベントに、朝から学園は慌ただしい空気に包まれていた。
——だからもし、天下の生徒会長様がそんな日を忘れていたとなれば。
間違いなく“リコール”という処罰が下ることに……。
イヤな汗が背中を伝う。
やばい……。
書類の最終チェックに追われ、いくら片付けても減らない仕事にかかりきりだったせいで、スピーチの原稿なんて何も用意してねぇ……。
いやよそう、こんなのはただの言い訳だ。
だがどうする……?
いっそのこと逃げ出すか?
……いや、スピーチを放り出すなんてそれこそリコールもんだぞ……。
そんな様々な葛藤を煮え立ただせながら、なんとか救済策はないかと考えを巡らせていれば。
「みっともないですよ。全校生徒の憧れであるあなたがそんな態度でどうするんです?」
俺以外、誰もいないと思っていた部屋に苦々しい溜息が落ちた。
驚いて顔を上げると、入り口のドアに背中を預けて腕を組み、優雅に佇む人物がいた。
その姿に思わず目を見開く。
襟足まで伸びたストレートのハニーブラウンの髪。
優しげな目尻をした整った二重。中性的で整ったその顔は……
「譲…」
——なんで
どうしてここに?
転校生は?
みんなは?
聞きたいことは山ほどあるのに言葉が詰まる。
呆気にとられる俺を見て、譲はわずかに眉を寄せた。
はっとして、慌てて顔を引き締める。
「これ」
そう言って、デスクに放り投げられたのは—A4の紙束だった。
訝しげに一枚ずつ捲ると、そのどれもが文字でびっしりと埋まっていた。
「っ、な………なんでだ……?」
動揺で声が情けなく掠れる。
譲が放ったのは新入生歓迎会の手順や、俺に読ませたいスピーチ内容が何枚にも綴られた台本だった。
これはつまり……
助け舟を出してくれたのだろうか?
途方に暮れていた今の俺にとって、有り難い以外の何物でもない。
だがわからなかった。
これを渡してきた譲の意図が。
譲に限定せず、役員達はあの天パに依存というよりもはや執着している。
それなのに、なぜ俺に救いの手を差し伸べる?
嬉しい。
もしかしたら今までの自分の言動を顧みて反省してくれたのか。
もしかしたら自分の元へ戻ってきてくれたのかもしれない。
渦巻く不安と不信感の中で、ひとつの期待が胸の奥で膨れ上がっていく。
……俺はほんとに単純だ。
台本を見ながら喜々と顔を綻ばせる俺の姿は、端から見れば滑稽以外の何物でもない。
ああ……こんな締まりのない顔、親衛隊の連中には絶対に見せられねえ。
そう思いながらも、脳裏に蘇るのは少し前までの生徒会の光景。
あの笑い声が飛び交っていた、温かな日常だ。
……もしかしたら、あの日常に戻れるかもしれない——
「勘違いしないでください」
心の中で膨らんだ女々しい願望を、譲の冷たい声があっさり打ち砕く。
その顔には心底面倒くさいとでも言いたげな表情が浮かんでいた。
譲は童話に出てくる王子のような端麗な顔を歪め、言葉を続けた。
「一応言っときますが、それを作成したのは冬です。万が一の為にと少しずつ作業していたものなんです。……まさか本当に使うことになるとは思ってませんでしたが」
そう繋げて、譲はさらに言葉を重ねる。
「つまり僕が言いたいのはね、その資料をつくり始めたのが美衣が来る前だってことだよ」
射抜くような眼差しが、冷たい色を宿して俺に突き刺さる。
それだけで譲の意図は理解できた。
——お前はもう要らない。
美衣がお前の分の隙間を埋めてくれる。
そう聞こえるのは幻聴か。それとも———
「役職上、僕たちも壇上にはいますので。……ではまた」
淡々と告げると譲は踵を返し、生徒会室を出ていった。
……まるでデジャヴだ。
そういえば、この前もこんな光景を見た気がする。
「………は、」
一人になって、どっと強張っていた全身の気が抜ける。
そもそも俺は緊張していたのか……気づかなかった。
情けねー……
「っ、は……はは…」
やべえ、なんか無性に笑えてきた。
誰もいない部屋でひとり笑うなんて痛すぎんだろ俺。
新聞部に見られたら、明日の神宮聖名物の壁新聞一面にでかでかとこう載るに違いねぇ。
【怪奇!俺様生徒会長の裏の顔に秘められた第3の人格—笑い声が予知するは世界の終わり!?】
———なんでだ。
いやこれが現実逃避ってやつか。
もう一度、手元の台本に視線を落とす。
さっきは動揺してろくに確認できていなかったからな……
パラパラと捲るうちにふと気づく。
几帳面で心配性なあいつらしい、細かいメモ書きの数々。
【ここは真剣な顔で!】
【俺様発言ほどほどに。その分笑顔は絶やさずに】
【会長は会長らしく。頑張って下さい、ば会長】
本音を言うと、破り捨ててしまおうかともちょっと思った。
怒りと悔しさで、こんなもの、とグチャグチャに丸めて。文字の役目も伝えられないくらい、ビリビリに破いて……力任せに外へぶん投げちまおうか。
なんて、思ったりもしたが。
できる……わけないだろ…っ、こんなにたくさん、譲の思いが詰まったものなのに。それをぞんざいになんて扱えるわけがねえ…!
一時でも、過去形になってしまったとしても。
確かに譲が俺のために綴ってくれたものだから。
「………てめえだろうが……」
ばかなのは。
♢
「歓迎の言葉。生徒会長、咲谷結来」
教頭の言葉と同時に、ここが本当に男子校かと疑いたくなるような甲高い嬌声が飛び交った。
黄色い歓声を掻き分けるように、壇上へと歩を進める。
………っ、
視界に入ったのは、既に壇上で進行役を務める役員たち。
さっきの宣告通りだ。
その顔を見た瞬間、不意に足が止まる。
……やべえ、完全に震え上がってる。
みんなより高い位置から俺を見下ろす役員たち。
害虫でも見るかのように寄せられた眉間の皺。
愉快そうな笑みの裏に隠された、おぞましいほどの敵意。
一直線に襲いかかる間接的な蔑みは、少し前の俺なら想像すらできなかった。
ズキ、と胸が握り潰されたように苦しくなる。
だがそれも一瞬で、やつらはすぐに平静を装った。
聞こえるのは俺を支持してくれる生徒たちの熱っぽい歓声だけ。
きっとこの空気の違和感に気づいているのは……俺だけだろう。
小刻みに震える足を叱咤し、再び壇上へと歩を進める。
「祝辞。神宮聖代表、咲谷結来」
ステージ中央に設置されたマイクスタンドの前に立ち、台本を手に読む。
……さすが譲が作成しただけあるな。
人前に出るとあがっちまって、その裏返しでつい俺様発言をしてしまう俺を考慮してくれたその台本は。
ちゃんと俺のことを理解してくれていたんだと、じんわり胸が温かくなった。
たとえそれが結末を迎えた想いだとしても。
「——以上。……まあそう固くならないで一度きりしかない高校生活、精々楽しみやがれ」
かしこまった言い方になったが、結局はこれが言いたかっただけだ。
どんなに面白味のない、何の変哲もない3年間だったとしても。
この先、何年、何十年と経ち、大人になって、もっと険しく過酷な壁にぶち当たったときに———
思い出してほしいんだ。
くだらねえと思っていたあの3年間を。
嘲笑いながらでも、ほんの少し懐かしく思い出してほしい。
あの何気ない日常でも宝石みてえに輝いてたんだ。
楽しかった、有意義だった。
そんな風にふと笑って思い返してくれれば、それだけでいいんだよ。
何の変化もない息詰まる日々を生きる中で、仲間とバカ騒ぎしたあの3年間を「悪くなかったな」って思ってもらえたら、こんな俺だって生徒会長として報われる。
………なんて、ポエミーなことをほざいてる割に随分回りくどい言い方だがな。
俺の言葉の真意を測っていたのか、しばらく会場は忍び声と怪訝な空気に包まれたが
「はいっ!一生ものの宝物、ここで築き上げます!」
その静けさを破ったのは可愛らしい顔をした新入生だった。
大きく右手を上げ、一字一句噛みしめるように想いを返してくれた。
……その顔はまだ見ぬ学園生活への期待で胸を膨らませ、眩しいほどに輝いていた。
俺の言葉が……届いた。
言葉足らずながらも心からの思いがちゃんと受け止められたんだ。
その生徒を皮切りに、次々と立ち上がる声が響く。
「会長!僕…会長の、僕たちを想ってくれるその
優しさと男気に惚れちゃいました!!」
「一生ついていきますっ!」
「会長が会長で本当に良かった!!」
「抱いてください!!」
「俺ら悔いの残らない学園生活過ごします!」
今、初めて心から思えた。
———生徒会長になってよかったと。
生徒たちの真っ直ぐな言葉に、肩の荷が下りたような気がする。
……っていうか、なんだこれ、やばいんだけど。
転校生が来て、仲間だったはずの生徒会の連中に理由もわからず毛嫌いされて。
もう縮まらないだろうと思うほど距離を置かれた。
たった一人でやる生徒会は泣きたくなるほど孤独で、歯噛みするくらい悔しくて。
睡眠も取れず、食欲もなくなっていく日々。
それでも———
気づけなかった、俺を必要としてくれている「誰か」はほんの少し視野を広げればこんなにも近くにあったのか。
「………っ、こ、れにて生徒会は退場だ」
これ以上ここにいたら感情が溢れてしまいそうだった。
……ああ、それでも思う。
なんで本来なら生徒会長である俺が、新入生の不安や緊張をほぐさなきゃならない立場なのに逆に俺が心のモヤモヤを晴らしてもらってんだろうか。
止まない拍手と憧憬の眼差しが、俺の心のわだかまりを優しく溶かしていく。
……じわあ、と目頭が熱くなる。
全身を優しく包むこの温かい感情に、思わず唇を噛み締めた。
……そうしなければ泣いてしまいそうだった。
——『会長は会長らしく』
……俺は、俺らしくいれているか?
俺として立っているか?
生徒の盛大な拍手に包まれながら壇上を去ろうと、役員たちの前を通り過ぎようとしたその瞬間だった。
「調子に乗んな。見てて不愉快」
地面を這うような、低く冷たい声。
さっきまで緊張が解けていた身体が、一瞬にして凍りつく。
「どうしたの〜?退場しないの?」
後ろから投げかけられた、あいつ独特の間延びした声に肩が跳ねた。
「……ぁ、ああ…」
これ以上ここにいれば一般生徒にも不審がられる。
それだけは嫌だ。
期待で胸を躍らせる新入生に余計な心配をかけたくない。
深呼吸を一度だけ小さくして、前を見据える。
見える景色は変わらない。
俺の背中を押す拍手の山。
……なににビクついていやがる。
俺は俺らしく、堂々としてればいいんだ。
ようやく床から足を離し、前へ前へと進む。
両側から全身で憧憬と好意の眼差しを受ける。
それでも、脳内で繰り返されるのは———
……調子に乗んな、不愉快…か。
っ、はは……そんなこと、ずっと前から気づいてただろうが。
ただ今になって、初めて言葉としてぶつけられただけで。
言葉にしなくても、あいつらの態度には痛いくらいそんな感情が込められていたってことくらいわかってた。
それなのに———この胸の奥に広がるこの靄はなんだ?
なんで……こんなにも、俺は……っ
「——へぇ。ここの生徒会長はアンチなんだ」
自嘲と自己嫌悪に陥っていた俺を現実に引き戻したのは——
「……………は?」
前触れなく耳に入ってきた、聞き慣れないその発言だった。
……って、いやなんだ今の?
不意打ちに思わず硬直。
今のは誰だ?と辺りを見回すが、溢れる生徒たちの波の中たった一人を見つけ出すのは不可能だった。
「会長ーー!!こっち向いて下さいっ!」
「きゃあっ!っちょ、押さないでよ!会長様が見えなくなるじゃん!!」
くそ…!
目の端に映るのは生徒たちのざわめきだ。
声の主を探すより生徒たちの安全が先決。
会場から出る間際、なんとなく視線を後ろに向けた。
肩越しに視界に飛び込んできたのは、一般席に座る転校生に満面の笑みで手を振る役員の姿で。
ぎゅっ、と目を瞑り逸らした。
◇
——『一度きりしかねぇ高校生活、精々楽しみやがれ!』
その瞬間、なんとなく理解した。
ああ……この学園の生徒会長だけは王道じゃないのか。
いや、今の言い方だと語弊があるな。
なんたって銀髪に青い瞳、その容姿はまるで芸術家の最高傑作。
遠目にも伝わる他を圧倒する存在感とカリスマ性。
加えて全身から溢れる、雄々しい色香。
正直、入学式で初めてその姿を見たときは思わず頬が緩んだ。
なぜなら会長こそが、俺の描いていた理想像を現実にしてくれる鍵だからだ。
これを……このためだけに外部生が高等部から入学する唯一の方法、全国模試で主席を取ったんだ。
そこまでして手に入れたチャンスを手放すわけがない。
目の前に転がる宝石をみすみす見逃すわけにはいかないし。
(なんて、期待してたんだけどなぁ)
容姿や雰囲気、態度だけを見れば何様俺様生徒会長様だ。
だからこそ、これからの展開を心待ちにしていた。
……のだけれど。
ここの会長……残念ながらアンチだ。
つまり、王道ものの定番ともいえる“あの”会長とは違う。
それを証明する確固たる証拠は?と問われれば正直あやふやなんだけどね。
ただ、気づいてしまった。
壇上に上がるとき、役員が会長をまるで敵でも見るような目で捉えていたことに。
まあでも気づいたのは俺くらい。
それくらい俺は会長や役員に視線を配ってたってわけ。
……いや、あともう一人いたか。
不穏な空気に気づいたやつが。
(…ふぅん。ま、これはこれで)
会場を去る際、僅かだが悲痛に顔を歪めていた会長。
心なしかその身体は震えていたようにも見えた。
そして退場指示が出ているにも関わらず未だに残り続け、顔の半分以上ある真っ黒な天パに瓶底眼鏡——俺の理想体をした生徒に愛想を振りまく会長以外の役員たち。
そんな光景に一般生徒たちは叫び、天パくんに数え切れない罵声と悪口を浴びせている。
(俺はあくまで傍観者だけどさ………)
もっと俺を萌えさせてよ、アンチ会長。