テラーノベル
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荒野の陽が傾きかけたころ、ヴァルチャーは唸るようなエンジン音を上げながら、急な坂を登り切った。前方には、分厚い砂塵の中にうっすらと影――かつて橋だったものの、無惨な残骸が横たわっている。
「……派手にやられてんな」
カイがハンドルを切って停車すると、レナが助手席から降り、崩落箇所を覗き込む。
「ダメだわ、これ。工兵でも復旧に一週間はかかるわ」
「今そんな悠長なこと言ってられねえっての」
ミッションのルートはこの橋を通るはずだった。だが、恐らく敵の爆破により、既に“道”はなく、代替ルートも容易には見つからない。
屋根の上のボリスは端末を操作しながら怪訝そうな顔をしている。
「友軍の通行履歴もない。……迂回しかねぇな クソッ、30キロは回り込まねえとな。」
そんな彼らの背後から、突然声がした――
「そっち、通れないんだー?」
金属がこすれるような音と共に、瓦礫の頂上に異形の機体が現れた。
それには逆関節の脚があった。まるで虫の脚のように折れ曲がり、剥き出しの油圧ダンパーが関節ごとにうねるように取り付けられている。ギシリと鳴るその動きは、どこか生き物のような静けさと、機械的な精緻さを併せ持っていた。
こちらに向かってくる機体が下りの斜面に差し掛かると、軽やかに膝を折り、ゆっくりと重心を後方に移す。滑るように足を運び、脚部の三爪型クローが細かく瓦礫を掴み取っていく。一見不安定にすら見える二脚が、破片と崩れかけたコンクリートの上を器用に渡るその姿は、まるで巨大な昆虫が足場を選びながら進むかのようで、生き物特有の“気配”をそこに漂わせていた。
陽光を受けたその装甲の側面には白いステンシルでこう刻まれていた。
「ERIS」
そして、そのフレーム中央、剥き出しに近い簡易シートに座っていたのは、小柄な少女ーーあどけない笑顔を浮かべながら両手でスティックを器用に操作していた。
明るい髪をツインのお団子に束ね、ぶかぶかのジャケットの袖を肘までまくり上げ、短パンを履いている彼女の軽装は、戦場の空気とは対照的で、どこか気の抜けたような身なりだった。
「やっほー。なんか見たことある車だと思ったら、カイじゃん。久しぶり~!」
少女はひらひらと手を振り、悪びれもせず笑いかけてくる。
「でさ、ちょっと聞いていい? ボリス、なんで屋根に乗ってんの? 遠目で見たら、タイヤの予備がくくりつけてあるのかと思って笑っちゃったんだけど~!」
ボリスが鼻を鳴らして何か言いかける前に、少女の視線はレナへと移った。
「で、おねーさんは初めまして?……あれっ、映画から抜け出してきた人? スタイル良すぎだし、背筋ピンとしてて姿勢も完璧だし、その服の着こなし、もうプロでしょ? 私が横に立ったら、ただの公開処刑になるやつじゃん。やめてよー、自信なくす~!」
レナはわずかに眉を上げたが、それ以上何も言わず、少女の軽口を静かに聞いていた。
「……ラビ」
カイが一言、名を呼んだあと、レナに向かって淡々と言う。
「昔からの知り合いだ。あの乗ってる機体はエリス。腕は確かだが、口数が多くて騒がしい。あと、無駄に元気だ」
「えー、全部正解だけど言い方~!」
そう言った瞬間、エリスの右脚が一気に屈伸し、機体全体が思い切り横に沈み込む。
ギギギギギ――ッ!ガシャン!
バランスを崩したように傾いたエリスは、そのままガクンッと地面に横転した。だがそれは明らかにわざとらしく、“盛大にコケた”ように見せかけた演出だった。
「……どう? 師匠直伝、“ずっこけ”! お笑いは足元からってね!」
脚部がプシューッと油圧音を立てながら、何事もなかったかのように立ち上がる。完全に茶番だった。
カイは短くため息をついた。
「……騒がしい、ってのはこういうことだ」
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「君らの車じゃここ超えるの無理でしょ。目的地、こっちと同じなら分担する?」
ラビはエリスのフレームを指で叩きながら言う。
カイは一度だけ深く息を吐き、それから静かに言った。
「……ああ。ただの足止めじゃ済まない。今回のターゲットは動く。時間をかければ、国境線を超えて消えるかもしれない」
カイの視線が助手席のレナに向く。
「レナの砲が必要だ。先に行ってもらうしかない。レナ、ラビと行けるか?」
カイの言葉に、レナはわずかに目を細め、ラビとその機体を見上げる。
その機体の脚部――逆関節の構造は、まるで昆虫のようにしなやかで、関節ごとに微細なバランス制御が行われているのが見て取れた。脚先は瓦礫の破片をつまむように繊細に動き、今この瞬間も呼吸するように静かに揺れている。
(あれだけ繊細に動けるなら……崖を登って向こう岸までいけそうね)
「問題ないわ」
「じゃあ、任せた。俺とボリスは迂回してから追いかける。」
「どうぞお乗りくださいましお姫様~!」
フレームの上から、ラビがひらひらと手を振りながら、ふざけた調子で叫んだ。
それと同時に、エリスの逆関節脚が滑らかに折りたたまれ、機体全体がスッと腰を落とす。脚部の関節が静かにしなり、フレームは地面すれすれの位置まで降下――いわゆる「降着ポーズ」を取った。装甲の少ないフレーム構造が、降りた機体の姿勢によってさらに乗り込みやすく開かれる。
コクピットは、想像以上に簡素だった。クッションも少なく、剥き出しのフレームに薄いパッドが打ち付けてあるだけ。両脇のコンソールには数本の配線がむき出しのまま這い、計器類はどこか不揃いで、工場で組み上げられた“製品”というより、ラビの手で改造され続けてきた“相棒”という印象を受ける。
ほんの一瞬、背筋を伝う冷たい感覚があった。もし攻撃を受けたら、ここには装甲も、脱出装置もないに等しい。むき出しの命。それでも彼女は、シートベルトを自分で締め、片手で荷電粒子砲のスコープを確認した。
「シートベルトしっかりねー。最初、ちょっと跳ねるから」
跳ねる?
レナが聞き返す前に、エリスが爆発的な反動と共に地面を蹴った。
「――なっ、ちょ、待っ――ぎゃあああああああ!!!」
【エリス】都市廃墟・峡谷・瓦礫地帯など、通常車両が踏破不可能な地形を超長距離跳躍によって突破することを主目的とした特化型戦術機である。
その最大の特徴は、鳥類や昆虫に近い構造を持つ逆関節型の脚部機構。関節の可動域を最大限に活用し、最大跳躍高度は410m。着地時の衝撃制御と滑らかな運動性能を両立している。
また、関節の反動と脚部アクチュエーターの連動により、瓦礫や段差を足場にした連続跳躍も可能。さらに、高高度からの落下時には背部および脚部に装備されたバーニアとエアブレーキを自動展開し、機体へのダメージを最小限に抑える。
任意のタイミングでブレーキを解除し、奇襲的な着地攻撃も可能。
そして、空中機動の応用として 跳躍後の慣性滑空による短距離飛行も可能。背部の可変式フラップと微調整可能な推力ベクタリングにより、滑空姿勢を維持したまま斜面越えや目標地点への急行など、多目的な運用が実現されている。
「ごめんねー最初はびっくりするよね」
ラビの呑気な声が聞こえたが、レナはそれに返す余裕もなかった。
「ぎゃあああああああ!!!あひいいいい!」
身体が浮く。視界が跳ねる。耳がキーンと鳴る。シートベルトがなければ、彼女の身体はとっくに空へ投げ出されていただろう。
強烈なGで内臓が浮いたかのように錯覚し重力の感覚が狂う。息が詰まる。肩のシートベルトが食い込むのも構わず、レナは必死にフレームの手すりにしがみついた。
だが、恐怖と混乱が沸点を超えた、その一瞬――
空の彼方、眼下に広がる砂漠地帯の一点で、閃く光をレナの目が捉えた。
無意識に、レナの手が動いた。身体が、震えていたはずの指が、荷電粒子砲のスコープを滑らかになぞり、トリガーへと吸い込まれる。
レナの瞳が変わった。怯えではなく、鋭利な光を宿し、照準に重なる一点を確実に捉える。
「……見えた……!」
敵の補給部隊。トラックが列を成し、兵士たちが装備を点検している。あまりにも油断した布陣。背後から迫る音も、警報も、何ひとつ察知していない。
レナの口元がわずかに引き締まる。
「……雷を落とすわ」
引き金を引く。
青白い閃光が、空から一直線に地上へと突き刺さる。
光の矢が降り注ぎ爆発と衝撃波が大地を割り、兵士たちが為す術もなく吹き飛んでいく。
「な、なんだこれは!?」
「上空!? 空爆か!?」
敵は混乱し、抵抗する間もなく制圧されていった。
その凄まじさに、地上を迂回中のカイとボリスも空を見上げて息を飲んだ。
「……あれ、レナだな」
「雷神が舞い降りたな、こりゃ」
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戦場の喧騒が去ったあと、空に残ったのはただ――美しい夕焼けだった。
濃いオレンジが地平線を染め、風が砂を巻き上げながら吹き抜けていく。空の一角にはまだ硝煙が揺らめいていたが、それさえも夕陽に溶け込んで、まるで幻のように薄れていく。
エリスは高台を跳躍し、今まさに緩やかな弧を描いて滑空していた。
空中姿勢を維持するため、背部の小型バーニアが静かに火花を散らし、機体全体を安定させている。逆関節の脚は空を切り、まるで巨大な鳥のように静かに――しかし確かな意思を持って、砂塵の海を越えていく。
その眼下には、地上をカイたちのヴァルチャーが並走していた。
「……すごい夕日」
レナはふっと息をつき、遠くを見つめたまま言った。
「あなた、いつも……この景色を見てるのね」
ラビは少し驚いたような顔をして、それから鼻で笑う。
「キレイな景色って、たいてい余裕ある人のもんじゃん? 私、いつも余裕ないほうだからさ……でも今日は、レナが仕事早かったから、こうして見れてるってわけだ。」
レナは微笑んだ。その笑顔は、先ほどまで敵の車列を焼き払っていた時の鋭さとは違い、どこか素朴で柔らかかった。
夕日が、彼女の髪を黄金色に染め上げていく。ラビはレナを横目に見て、ふざけたような口調で捲し立てた。
「いやもうさ、……ねえさんさ、戦場をかっこよく駆け抜けたかと思えば、今は夕焼けの主役。雷ドカーンからの、はい夕暮れキメ顔。完璧すぎでしょ~ずるいってば、絵になりすぎ!」
レナは肩をすくめた。
「うるさいわよ」
だが、その声には怒気もなく、むしろ少し照れたような響きが混じっていた。
そしてその先で、太陽はゆっくりと沈んでいった――。
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