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紫 苑 。( 元 あ や 。)
29
#文ストBEAST
#文豪ストレイドッグス
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白瀬の、「中也お前、線香臭いよ。また墓参りに行ってたな?」の台詞から膨らんでいった妄想です。
脳内でぐるぐるして止まらない思考感が出したくて一文をわざと長くしてあります。読みにくいと思いますが、それでも良い方だけお進み下さい。
線香の匂いが、どうしても落ちない。
とうに燃え尽きて灰になっているはずの煙はどこにも見えないというのに、その残滓だけが喉の奥に薄く張り付いたまま剥がれ落ちる気配もなく、呼吸をするたびに内側をざらつかせるような不快な感覚を何度も引き伸ばしてきて、まるでここに立っている限りこの匂いは永遠に消えないのではないかと錯覚させるほどに執拗に残り続けている。
足元に供えられた花はもはや花と呼べる形をしておらず、色は濁って沈みきり、輪郭は崩れて水に溶けかけ、花弁だったものはただの柔らかい塊として底に沈んでいるだけなのに、そこから立ち上る甘ったるく腐った匂いだけはやけに鮮明で、それを取り替えようという考えが浮かばないのは面倒だからでも忘れているからでもなく、ここにある事実が何一つ変わらないと分かりきっているからだった。
新しい花を置いたところで、整った形に戻したところで、腐る前の状態をなぞったところで、結局のところ何も変わらないし、変えられないし、そもそも変わる余地なんて最初からどこにも存在していないのだと、そんな当たり前のことだけがやけに明瞭に、逃げ場もなくそこに横たわっている。
中原中也は、その前に立っている。
どれくらいの時間そうしているのかはもう分からず、最初のうちは数えていたような気もするし、時間というものに意味を持たせようとしていた気もするが、途中でそれが無意味だと気付いたのか、それとも数えるという行為そのものが削り取られていったのか、そのどちらだったのかすら思い出せなくなっていて、ただ一つ、今が夜であるということだけは確かで、光がないというその事実だけがここにいる理由としては十分すぎるほどだった。
視線を落とせば、自分の手がわずかに汚れているのが見える。
乾きかけた血が皮膚の上に薄くこびりついて、それがいつ付いたものなのかをわざわざ思い出す必要もなく、洗えば落ちる程度のものであることも理解しているし、実際に水で流せば簡単に消えるだろうということも分かっているのに、それをしようとは思わなかったし、思えなかったし、仮に今ここで綺麗に拭い去ったとしても、それで何かが変わるとは到底思えなかったから、ただそのままにしているしかなかった。
表面に付着しているものだけを削ぎ落としたところで、もっと奥に沈んでいるものには触れられないし、そもそもこれは血の問題ではなく、どうやっても取り除くことのできない何かの象徴みたいなものだと分かっている以上、それをわざわざ見えなくする理由はどこにもなく、むしろ見えていたほうがまだ正確だった。
喉の奥で、何かが引っかかる。
言葉になりきらないまま沈んでいく感覚だけが、妙に鮮明に残る。
泣けない。
その事実は驚くほど静かに、しかし確かにそこに存在していて、本来ならばおかしいはずの状態であるにも関わらず、それを異常だと認識する機能そのものが削り落とされているように、違和感すら薄れている。
「….っは」
短く息が漏れて、それが笑いなのかどうかもわからないまま、ただ口の端だけがわずかに歪んで、すぐに元に戻る。
泣けない。
目の前に並んでいるのは、名前を呼べばすぐに返事をしてきた連中で、ついこの間まで当たり前のように喋っていて、どうでもいいことで笑って、どうでもいいことで言い争って、それでも最後には同じ場所に立っていたはずの奴らで、それが今はもうどこにもいないという事実を頭では理解しているはずなのに、その理解に見合った反応がどこにも出てこない。
胸が痛むわけでもなく、視界が歪むわけでもなく、ただ事実としてそこにあるだけで、それ以上でもそれ以下でもない状態がそのまま持続している。
「….慣れた、か」
誰に向けたものでもない言葉が、ほとんど無意識に零れ落ちる。
マフィアに長く居すぎたのだと、今更のように思う。
死ぬ奴は山ほど見てきたし、昨日まで笑っていた奴が次の日には冷たくなっていることなんて珍しくも何とも無くて、その度に確かに何かを感じていたはずなのに、それを一つ一つ覚えているわけでもなく、積み重なって、削れて、擦り減って、気づけば何も引っかからなくなっていた。
だから、あれだけ大事だったはずの連中の死に対しても、何も“それらしい反応”が出てこないことに、妙な納得が生まれてしまう。
「…ああ、そうかよ」
息を吐くように、呟く。
「こういうとこが、もう….っ、」
言葉の先を、自分で止める。
人間じゃない、と言い切ってしまえば簡単だった。
あまりに簡単に、全てが説明できてしまう。
その時、背後で足音がした。
軽く、一定で、何のためらいもない音が夜の静けさを乱すこともなくそのままこちらへ近づいてきて、そこにいることを隠そうとしないまま距離を詰めてくる。
振り返らない。振り返る必要がないからだ。
「まだそこに居たんだ」
間延びした声が、すぐ後ろに落ちる。
「煩ェ」
吐き捨てるように返すが、それ以上のやり取りをするつもりは最初からない。
短い沈黙が落ちて、その隙間を埋めるように線香の香りがさらに濃くなる気がする。
「…..なァ」
喉が僅かに痙攣する。
「俺は、人間か」
答えは分かっているし、聞く意味がないことも理解しているのに、それでも口に出さずにはいられなかった。
「違うよ」
間はなかった。
迷いも濁りも一切無く、ただ当然のこととして切り捨てられる。
小さく息を吐いて、「….だよな、」とだけ呟くが、それで終わるはずの会話は、足音が一歩だけ近づいたことで途切れずに続いてしまう。
「それで」
「…..あ?」
「だから何」
言葉が滑るように綴られていく。途中で止まる気配はない。
「泣けないから人間じゃないって、そう思うならそれでいいんじゃない、どうせ結果は変わらないし」
軽い声音のまま、何も含まないまま、ただ事実だけを述べるように言葉が落ちていく。軽いくせに妙に確信を突いてくる言葉が鬱陶しくて、甘ったるい香りを放つ花に目を落とした。
「….変わらねェ、な」
「そうだね、最初から何一つ変わっちゃいない」
即答だった。
「君が“何か”だろうと、彼らが死んだ理由は一つでしょ、君がそこに居たからだ」
何の装飾もなく、ただ一文として落とされる。
否定できない。最初から分かっている。
「…嗚呼」
短く、肯く。
それで終わるはずだったのに、わずかな間の後でさらに言葉が続く。
「化け物か何かだよ、今更でしょ」
あまりに軽く、当たり前のことのように、まるで常識だとでも云うように云い切られて、その瞬間にようやく逃げ場が完全に消えたことを理解する。
中也は何も云わない。
云えないのではなく、云う必要がないからだ。
分かっていた。最初から、全部。
自分が残ってしまった理由も、彼奴らが消えた理由も、全ては一本に繋がっていて、その中心に自分が居るという事実だけが、どうしようもなく揺るがない。
自分が居たから。それだけで、十分だった。
その時、ふと、視線が自分の右手に落ちる。
手首のあたりに、黒く沈んだ傷がある。
それは浅く表面に残っているだけのものではなく、もっと深いところにまで食い込んだまま固着しているような種類のもので、時間が経っているはずなのに妙に輪郭だけははっきりしていて、そこだけが他の皮膚とは違う質感を持っているように見える。
それが何を意味しているのかを、俺はよく知っている。
それが、自分が“人間である証拠”として残されたものだということも、理解している。
ほんのわずかに、指先が動く。
触れた。その瞬間、はっきりとした感触が返ってくる。
鈍いでもなく、曖昧でもなく、確かにそこにあると分かる程度には明確な、逃げ場のない感覚が指先からじわじわと広がっていき、そこだけが妙に生々しく、生きているみたいに存在していることを厭でも理解させてくる。
一瞬だけ、思考が止まる。
だが、それをどう解釈すべきかを考える前に、切り捨てる。
必要がない。
そんなものに意味をもたせたところで、ここにある結果は何一つ変わらないし、変わるはずもなく、そもそもそれを“証拠”として受け取る理由が自分にはないのだと、あまりにも簡単に結論づけることができてしまう。
「….下らねェ」
小さく、吐き捨てる。聞かせるつもりもない声で。
人間である証明が、そこに一つ残っているとしても。
それを認める理由にはなりはしない。
むしろ、そこだけがやけに正確に存在していることの方が、不快で、邪魔で、納得が行かない。
どうしてそこだけが残っているのか。
どうしてそこだけ消えないのか。
どうしてそこだけが、まるで“まだ間に合う”みたいな顔をしているのか。
考える必要もない。
考えたところで、どうせ何も変わりはしないのだから。
線香の香りが、また濃くなる。
腐った花の甘さが、さらに深く沈んでいく。
動かない。泣けないまま。
最後まで、泣けないまま。
ただ、そこに立ち続ける。
人間である証拠を確かに持ったまま、それを否定し続けることでしか成立しないまま、化け物だと断じられたまま、それでも何一つ壊れることすら出来ないまま。
その傷だけが、最後まで正確に残り続けている。
コメント
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うわ、すごい空気感…。冒頭からずっと線香の匂いが読んでるこっちの鼻の奥にも染みつくみたいだった。中也の「泣けない」って感覚の麻痺、あれって人間じゃないからじゃなくて、人間でありすぎて壊れるのを拒んでるようにも見えたな。「慣れた」って自分に言い聞かせる痛々しさが刺さる。最後の傷だけが正確に残ってるっていう対比、設定好きだ。続き読みたい。