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今宵は満月の夜。
人の声も賑やかな音楽も今は遠く、
馬車の走る音が森を駆けてゆく。
その馬車の中にいるのは、髭の男と貴族の装いをした青年の2人であった。
髭の男は先程とは打って変わって、
にこやかに青年に話しかけていた。
髭の男「やぁ、君のおかげで待たされる事なく早々と馬車に乗る事が出来たよ。」
髭の男はご機嫌であった。
それは青年の根回しによる成果であった。
青年「いえいえ、僕の方こそ、相乗りさせて頂けて、大変助かりました。」
髭の男の機嫌を損ねない様に青年は、にこりと微笑む。
髭の男「同じ方面だと聞いてますが、お住いが?」
さり気なく詮索しているのか、
それとも世間話のつもりなのか…
髭の男は質問する。
青年「知人と待ち合わせているもので。」
青年の表情は不審な部分を少しも感じさせないほど、さわやかに返答をする。
嫌味のないその笑顔に髭の男もこれ以上質問を重ねられないでいた。
だが、髭の男は内心では疑っていた。
なぜなら、髭の男の向かう先には研究所以外、周りには何もない場所であったからだ。
後ろ暗い心持ちの髭男は、世間話を装った次なる質問を考えていた。
研究所の事件を悟られないように気を張らなければいけないからだ。
いくら急ぎとはいえ、ここはやはり慎重になるべきだったのかもしれない、と心では冷や汗を垂らしていた。
事件が公(おおやけ)になれば、今まで築き上げてきた地位も名誉も失い兼ねない。
やはり軽率だったか…
髭の男は緊張感から随分と冷静な思考になっていた。
読めない表情の青年。
何食わぬ顔でにこやかに″嘘″を吐く人物。
それに急ぎすぎて見落としていたが、
袖に血がついている。
気品溢れる衣服への違和感も拭えない。
ところどころ土が付着しているのは
なぜなのか。
見れば見るほどに怪しい。
でも今更馬車を降りる訳にも、馬車から降ろす訳にもいかず、髭の男は頭を抱えていた。
だが、この怪しい男をそのまま見過ごして良いものかどうか…
もし研究所を調べる立場の者であるとしたら、野放しにしておくにはあまりにリスクが高い…
けれど、本当に無関係な人間であるのならば触らぬ神に祟りなしというやつだ…
もう少し踏み込んだ質問をしてみて判断するのも悪くないか…
そう思った髭の男は、怪しい青年に意を決して質問をした。
髭の男「その…袖の辺りに血が付いてらっしゃるのは、どうされたので?」
随分と我ながら切り込んだ質問をしたものだと緊張から笑顔が引きつりそうになる。
大丈夫だ、心配しているふりをするのだ。
とても一般的で素朴な質問だ、この程度は。
まるで自分を洗脳するかのように言い聞かせる。
そんな質問を受けた青年は、少し驚いた様に綺麗な青い瞳を一瞬丸くさせたかと思うと、またすぐにこやかに言葉を返してきた。
青年「いやぁ、お恥ずかしながら、思い切り転んでしまいましてこれこの通り、泥だらけの擦り傷を。」
青年は綺麗な美しい顔で無邪気に笑いながら話す。
一見すると、それが人懐っこくも可愛らしくもある。
とても怪しい人物には見えないのである。
思わず信じてしまいそうになる髭の男は騙されまいと襟を正す。
髭の男「なにか慌てておいでだったのですか?」
青年「いえ、少し体調を悪くして外で涼もうかと出てみれば目眩を起こして、この通りに。」
青年は恥ずかしさからか、苦笑いを浮かべ頭をかいた。
やはり…話せは話すほど、怪しさが消えていく…
髭の男「知人とお会いになるとの話でしたが、体調の方は大丈夫なので?」
もはや素朴な疑問が口をついて出る始末。
青年「今は平気ですが、どうでしょうね…」
わりと青年は自分の事に対して無頓着なのだろうか?
おいおい…と思わず心配してしまう程だ。
髭の男「あまり無理をなさらない方が良いのでは?」
そして、純粋に心配した言葉がついポロッと零れ落ちる。
髭の男の心には、もう先程の警戒心など青年の空気により解けてしまっていた。
そんな会話に着地したところで馬車は二人の目的の場所へ到着したのであった。