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第3節 千崎雄二『招かれざる客』-2-
玄関の戸を押さえた男の横をすり抜けたもう一人が、雄二とくっ付きそうなくらい距離を詰めてくる。
その動作に、雄二の陰になった八重子と百合香の息が詰まる気配が伝わった。
「対面では初めましてぇ。電話でもお話ししましたが……わたくし、ネクサスファイナンスの坊野と申しますぅ」
笑顔のまま間延びしたように告げられたセリフだったけれど、声の温度だけは氷のように冷たかった。
それは、丁寧な言葉を心掛けるようにしつつも、相手を心理的に疲弊させる〝武器〟として使うことに慣れている人間の物言いだった。
「いやぁ、お父様がわたくしどもに借金を遺したままお亡くなりになったと風の噂で聞いたんですけどねぇ、どうやら本当のようだ」
規制線テープをちらりと見遣ると、「ご愁傷様です」と感情のこもっていない口先だけのお悔やみを述べる。
「それで……さっそくなんですが皆さんはご存知ですかぁ? お父さんが亡くなられても連帯保証人は八重子さんと雄二さんに相続されちゃうんですよぉ」
坊野の視線が雄二と、その後ろの女性陣ふたりを舐めるように動く。
「……うちとしても借りた人間に逃げられたうえ、連帯保証人の幸太郎さんにまで死なれたわけですからぁ、あなたがたお二人にまで逃げられるわけにはいかないんですよねぇ」
そこでふと百合香に目を留めると、坊野の唇の端がにんまりと持ち上がった。
「おやぁ? ひょっとしてそちらにいらっしゃる別嬪さんは雄二さんの恋人さんですかぁ?」
「あなたには関係ありません!」
気丈にも、百合香が坊野に反論する。それを聞くなり坊野がククッと笑った。
「気が強い女性、嫌いじゃないですよ。そういうのを力づくで押さえつけて言うこと聞かせるのが好きって御人もいらっしゃいますからねぇ」
坊野がスッと動いて雄二の背後の百合香を覗き込もうとする。
「雄二……」
八重子が百合香を庇っているんだろう。雄二の背中越しに震える声で息子の名を呼んだ。
雄二はその声にグッと拳を握ると、すぐそばの坊野を玄関外へ押し出す。
「帰ってくれ。親父が死んだばかりでこっちも落ち着かない。まだ警察だって出入りする。今はそういう話が出来る状態じゃないの、分かるだろう!」
「あ? なに寝ぼけたこと言ってやがる! そういう話だから来てんだよ!」
今までほぼ無言で玄関扉を押さえているだけだった男が、ギロリと雄二を睨んだ。
「こっちは出すもん出してんだよ! どんな形であれそれが回収出来りゃー文句はねぇんだ! 金が用意できねぇーってんなら、グダグダ言ってねぇで後ろの女差し出せや!」
坊野を押しやったことが気に要らなかったんだろう。ガラの悪さを隠そうともせず、狂犬さながらに雄二を恫喝してくるその男を、坊野が諫めた。
「こらこら、志柿。そんな汚い言葉を使ったら雄二さんだけじゃなく、後ろの可愛いお嬢さんがおびえてしまう」
そんなこと、微塵も思っていないだろうことが、ニマニマした笑みを浮かべたまま配下をたしなめる表情から、ありありとうかがえた。
さすがにここまであからさまにロックオンされて、不安に感じたんだろう。
雄二の背後の百合香が「雄ちゃん……」と、か細い声で恋人の名を呼んだ。
その声を聴いた瞬間、雄二の中で何かが定まった。
鷹槻れん

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鷹槻れん

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鷹槻れん

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#契約結婚
鷹槻れん

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「もう一度だけ言ってやる。帰れ……」
低い言葉を吐き出すなり、雄二は背後の百合香と八重子を奥へと押しやり、壁際の傘立てに立てかけられていた傘を手に取った。
「おいおい。雄二さん。あんたバカなのかい? そんなボロッちぃ家ン中へ匿ったところで何の解決にも……」
――ならないことは分かるでしょう?
恐らくはそう続けられたであろう坊野の言葉は、雄二が傘を上段に構えたと同時にピタリとやんだ。
「貴様……」
すぐそばで志柿と呼ばれた男がそんな雄二を再度押さえつけようとするのを、坊野が手で制した。
「やめとけ……」
恐らくは雄二の本気を感じ取ったんだろう。これ以上追い詰めれば、如何に暴力慣れした自分たちであっても無傷というわけにはいかない。そんな殺気が雄二から伝わってくる。
「雄二さん、あんた銀行員よりこっちの方が向いてるんじゃないかな?」
ククッと笑う坊野に、雄二の低い声音が響く。
「――もうこれ以上、くだらないことを言うな」
声を張っているわけではない。だが明確な怒気を含んだ雄二の声は、自分たちを前にして恐怖も焦りも感じていなさそうな雰囲気だった。
眼鏡越しに注がれる射抜くような視線からはこれ以上手出しをすれば、タダじゃ済まさないという覇気が感じられる。
坊野はそんな雄二の気迫に押し負けたように肩をすくめてみせた。
「なぁ雄二さん。冗談抜きにして、俺の下で働かないか?」
そうして気が付けば、坊野は結構本気で雄二をスカウトしてしまっていた。
だが雄二はそんな坊野の言葉を完全に無視すると、淡々と続ける。
「警察は引き上げたが、まだ工場には指紋も証拠も残っている。お前らが今回のことにどれだけ関与しているか、調べればすぐに分かるだろうな」
チラリと玄関扉に残る志柿の指紋を見遣りながら告げられた雄二の言葉には、冷たい理性がある。
銀行員として培った、感情を全て排して計算ずくに動く男の声――。
「……わざわざ言わなきゃただの自殺で処理されるだろうが……あんたらがここへ〝脅しに来た〟って警察へ報告をするのもいいかもしれない。『あすな』の顧問弁護士に話をつけるのだって簡単だ。どうせあいつらも今回の件にゃ、一枚噛んでるんだろ? 俺は銀行員だ。数字と証拠の扱いは、そっちよりずっと慣れてる」
坊野は雄二の言葉に笑みを保とうとしたが、唇がわずかに震えた。
すぐそばの志柿が、力づくで押さえられるもんならやりましょうか? といった剣呑とした雰囲気を漂わせる。
それを制したまま、坊野が吐息を落とした。
「……怖いことを言いますねぇ、雄二さん」
坊野はそう言いながら一歩だけ後ろへ下がると、軽く手を上げ、「いや、こちらもちょっと勇み足が過ぎたようです。出直すことにしますよ」と、へらへら笑ってみせる。
だが、その笑顔の端には、確かに何かを隠蔽しようとしている空気が漂っていた。
「ではわたくしらはこれで。――まぁお二人ともお父様を亡くされて大変でしょうけど、お身体にはお気をつけくださいね? わたくしらにとってもあなた方のお身体は大事ですから。……ああ、もちろんそちらのお嬢さんも」
それでもさすが百戦錬磨の悪といったところか。
坊野は最後にしっかりと脅しの台詞を残すことを忘れない。
それに雄二が反応するより早く、志柿に「行くぞ」と声を掛けて、くるりと踵を返した。
スーツの裾が揺れ、ドアの向こうの夜気に紛れていくと、ややしてエンジン音が高らかに響き、車のライトが遠ざかっていった。
***
玄関の戸を閉めた雄二の手は、無意識に傘の柄を握りしめたままだった。
「母さん、百合香、今すぐ荷物をまとめるんだ」
百合香が息を呑んでこちらを見ようともしない雄二の横顔を見つめる。
「すまないが、俺が迎えに行くまでの間、身を隠して欲しい……」
八重子は淡々と告げられる息子の言葉に何も言い返せず、ただその背中を見つめていた。
(法も、正義も、守っちゃくれなかった。なら――次は、〝筋〟に頼る番だ)
先ほどまでの騒がしさが嘘のように、家の中はひどく静かだった。
何もかもの気配が、まるで夜に呑まれてしまったみたいだ。
握りしめた傘の先が、床に当たって乾いた音を立てる。
その音が、夜の底に沈む覚悟の合図のように響いた。
コメント
2件
重い😢
うわ、このエピソードすごく重くて、でも惹き込まれました。坊野さんのあの「丁寧だけど温度が氷」みたいな口調、めちゃくちゃ不気味でリアルで…金融屋の脅し方、よく描けてるなって思いました。あと雄二が傘を構えた瞬間、ゾクッとしました。銀行員として培った冷静さと、家族を守るための覚悟が混ざってる感じがすごく伝わってきた。最後「毒には毒を」って決意して門を叩く場面、痺れました。続きが気になりすぎる!