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── お義母さん、きっと疲れてるのに……。良い人で本当によかった……!
 私がほっとしていると、ガレージが開く音がして颯人さんが帰って来た。
 
 「なっ……?一体何が……」
 彼は家の中に足を踏み入れた途端、呆然とその場に立ち尽くした。家の中は現在かなり盛り上がっていて、薫がバイオリンを弾いているのを聴きながら皆がそれぞれ歌ったり踊ったりしている。
 「Welcome home Hayato!」
(颯人、お帰りなさい!)
 少し酔っているビビアンは颯人さんを見るなりいきなり抱きついた。彼女は颯人さんに気があるのか、会うたびにまるで恋人のように必ず彼に抱きつく。
 「Here, Vivian. Alex needs more beer.」
(ほら、ビビアン。アレックスもっとビールがいるわよ)
 そう言って先ほど店で買ったビールを何本かビビアンに渡すと、ご近所の奥さん達と踊っている彼女の夫の所へと追いやった。
 「颯人さん、ごめんなさい!何だか大変なことになっちゃって……。実はお義母さんに表の庭を見せてたらアレックスに見つかっちゃって。良いワインがあるからって持って来てくれたんだけどご近所の人まで連れて来たの。それで薫がバイオリンを弾いていたら更にまた人が増えちゃって……」
 私は颯人さんに謝りながら事の成り行きを説明した。
 「蒼、大変だったろ。大丈夫か?」
 その説明だけで全てを把握した颯人さんは、アレックスを頭痛がするように見た。
 「うん。大丈夫」
 颯人さんはしばし沈黙し、そして私にそっと尋ねた。
 「蒼、その……どうだった?」
 「……うん……。やっぱり今回もダメだった」
 颯人さんに何とか微笑むと、今日の病院での結果を告げた。彼はそんな私を見ると両腕で包み込む様に優しく抱きしめた。
 家の中の喧騒を聞きながら彼に抱きしめられているこの空間だけ、時が優しくそして穏やかに止まる。しかしいつも安心して心休まるはずの彼の腕の中が今日はなかなか休まらない。
 
 
 私は現在不妊治療の真っ最中だ。実は去年の春結婚してサンフランシスコに来た時、これからの妊娠の事を考え病院を訪れた。
 もともと生理不順だった私は結婚前は生理が来なくて楽だ、くらいの気持ちで一度も気にかけたことがなかった。
 しかし結婚し子供を持つことを考える様になり、一応お医者さんに相談してみようかと軽い気持ちで病院を訪れた。すると両側の卵巣に腫瘍が見つかった。
 右側は腫瘍が大きくてすぐに切り取らないと破裂してしまうと言われた。そして医者は左側の卵巣にも数個の腫瘍がある為両方切り取る手術を勧めた。
 その時のショックは今でも忘れる事ができない。病院を出た後、車の中でしばらく泣き、やっと落ち着いてから一人で運転して帰ったのを覚えている。
 その後、颯人さんと色々と相談し、もっと大きな病院で診てもらう事にした。
 結局右側の卵巣はあまり機能しないと言われたが私の希望で切り取らず、腫瘍を何とか剥がす手術をしてもらった。そして左側は腫瘍があるもののまだ小さいのでこのまま残して様子を見ようという事になった。
 そうして手術をし、回復した私は本格的に不妊治療を始めた。
 まず医者と相談し、排卵誘発剤を飲んで排卵のタイミングを計りながら自然な方法での妊娠を試みた。しかし数ヶ月試したものの結局妊娠しなかった。
 そして今私と颯人さんは『IUI』という子宮内人工授精の方法を試している。今回でこの治療は3回行ったのだが、未だ妊娠には至らない。
 「蒼……」
 颯人さんは私の顎を掴むと視線を彼に合わせた。そして優しく微笑むと私にキスをした。彼は私に「愛してる。大丈夫」と必死に伝えようとしている。そんな彼の優しさに救われ、私は両腕を彼の首にまわして抱きついた。
 「おかえりなさい。今日はどうだった?」
 「まあまあかな。今ケイラブとリアムがウェアラブルデバイスへの市場に興味を持ってて、そこにうちの技術を埋め込んで市場拡大できるか考えてる所なんだ。今日の会議でその為の案をいくつか提案してて今協議中。きっと二、三日は休みが取れると思う」
 颯人さんは私にもう一度キスをした。そして家の中で踊っている人を見ながらため息をつくと「まず、全員追い出そう」と言ってリビングの方へ歩いて行った。
 
 
 その夜、時差などで疲れた事もあり、皆それぞれ早々に寝室へと引き上げた。私がキッチンで後片付けをしていると母がやってきた。
 「蒼、これ頼まれてたお守り」
 母は子宝や安産のお守りをいくつか私にくれた。
 「ありがとう……」
 私は母から受け取ったお守りを握りしめた。
 アメリカで手に入る子宝のお守りは手に入れるだけ手に入れた。でも日本からの御守りはこれが初めてだ。次こそはうまくいくだろうかと思うものの、もしかすると一生子供が持てないのではないかと不安になる。
 「蒼、あまりこん詰めちゃダメよ。そんなに焦らなくてもまだまだあなた達には時間があるんだからね。ストレスだってあまり体に良くないのよ」
 「……うん、わかってる」
 頷いてみるものの、なかなか母の意見に同意できない。そんな私を母はじっと見つめた後、肩をぽんぽんとたたいた。
 「じゃ、おやすみ」
 寝室へ向かう母を見送った後、私もキッチンの電気を消して2階の主寝室に向かった。
 部屋に入ると颯人さんがベッドの上で眼鏡をかけながらPCで何か仕事をしていた。しかし私を見ると微笑んでパタンと閉じた。
 「おいで……。疲れただろう」
 彼は眼鏡を外すとベッドの上掛けをめくった。私は手にした御守りをベッド脇のテーブルに置くと彼の隣に座った。
 颯人さんは私が置いた御守りをちらりと見ると私を抱き寄せた。
 「また予約入れようか……?」
 「うん……」
 そう言うものの、最近自分でもどうしたらいいのか分からない。この子宮内人工授精の方法は颯人さんにとってもあまり心地よいものではないはず。なのに何も言わず快く付き合ってくれる。
 この治療を始める前、彼も一応検査していて彼には問題がない事がわかっている。要は私に問題があって経済的にも精神的にも大きな負担を彼にかけさせている事がとてもつらい。
 私が少し言いよどんでいると、颯人さんは私を覗き込んだ。
 「……蒼、治療少し休んでみるか?今の仕事がひと段落ついたら、休みをとって日本へ旅行でも行ってみるか?宮崎に遊びに行ってもいいし、それかゆっくりと温泉に行ってみるのもいいかもしれない」
 「うん……」
 颯人さんは私の考え込んでいる姿をしばらくじっと見つめた。しかし私が何も言わないと分かると、手を伸ばして照明を落とした。そしてベッドに横たわると私を抱き寄せた。
 「大丈夫。蒼は健康上何も問題はないんだ。お医者さんもそう言ってただろう?」
 そう言って私を元気付ける様にぎゅっと抱きしめた。そして私の額にキスを落とすと「おやすみ」と言った。
 しばらくすると彼の規則的な寝息が聞こえ、私は彼の温もりを感じながら何もない空間を見つめた。
 彼は子供がいなくても私さえいれば良いと言ってくれる。でも颯人さんは子供好きできっと良いお父さんになると思う。
 そんな彼に子供を産んでもっと幸せにしてあげたいと切に思う。でも気が焦るばかりで妊娠しないまま時がどんどんと過ぎていく──…