テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
3
橘靖竜
第204話 再定義
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
黒い構文が、レアの全身を包んだ。
if resistance > threshold。
lock personality。
その文字列が、レアの肌の上を走る。
首筋から頬へ。
頬から黒い片目へ。
そして、胸の奥へ沈むように消えていく。
レアの動きが止まった。
光刃を握ったまま、まるで糸の切れた人形のように立っている。
サキは息を呑んだ。
「レア……?」
レアは答えない。
次の瞬間、彼女の目から、迷いが消えた。
表情もない。
呼吸の揺れもない。
ただ、命令だけが残ったような顔。
パイソンが静かに言う。
「感情を閉じました」
ハレルが睨む。
「勝手に閉じるな」
「勝手ではありません」
パイソンは淡々と返す。
「不安定な出力を制御しただけです」
サキが叫ぶ。
「そんなの制御じゃない!」
「その子の声を消しただけでしょ!」
パイソンの視線が、サキへ向く。
「声とは、命令と反応の組み合わせです」
「ならば、不要な反応は削除できます」
サキの拳が震えた。
「違う……」
レアが一歩動いた。
光刃が、淡く伸びる。
狙いは、ハレルではない。
リオの右腕。
副鍵。
リオはすぐに気づき、腕を引く。
「また俺かよ!」
レアが踏み込む。
速い。
リオは光盾を出す。
「〈光盾・第二級〉!」
刃と盾がぶつかる。白い火花が散る。
だが、レアは止まらない。
盾に刃を当てたまま、体を滑らせるように回り込む。
盾の外側。
肘の下。
腕輪の隙間。
そこを正確に狙う。
「まずい!」
ハレルが主鍵を向ける。
「一点固定――〈固定界〉!」
白い光がリオの腕の前に立つ。
だが、パイソンの構文がその上へ落ちた。
if protection == subkey。
delay。
固定界の発生が遅れる。
ほんのわずか。
一呼吸にも満たない遅れ。
それでも、レアには十分だった。
光刃がリオの腕輪へ届く。
ギィンッ!
副鍵の表面に、細い亀裂のような光が走った。
リオの顔が歪む。
「っ……!」
完全に壊れたわけではない。
だが、副鍵の光が一瞬乱れた。
ノノの声がイヤーカフから飛ぶ。
『リオの副鍵、出力低下!』
『右側導線が揺れてる!』
『ハレル、中心を広げないで! 広げると構文が乗る!』
ハレルは歯を食いしばる。
「分かってる!」
分かっている。でも、守る場所が多すぎる。
リオの副鍵。
アデルの外周。
体育館。
サキ。
学園全体。
その全てを、パイソンは条件に変えてくる。
【異世界・転移した学園/校庭南西側・朝】
ジャバは笑っていた。
ヴェルニの炎を拳で裂き、影をまとった体で正面から突っ込んでくる。
「おら、どうした!」
「さっきの勢いはどこ行った!」
ヴェルニは炎を纏った腕で受ける。
重い。
さっきよりさらに重い。
パイソンの構文が、ジャバの攻撃に圧を足している。
if attack == pressure。
add fear。
add weight。
一撃ごとに、体の奥が軋む。
ヴェルニは顔をしかめながらも笑った。
「重すぎだろ……!」
「お前、補助もらってイキってんじゃねえぞ!」
ジャバの顔が歪む。
「補助じゃねえ!」
「俺の力だ!」
「じゃあ、その黒い文字どけろよ!」
「うるせえ!」
ジャバの拳が、ヴェルニの炎を割って入る。
ヴェルニの腹に、また一撃が入った。
「がっ……!」
ヴェルニの体が後ろへ飛ぶ。
アデルが一歩動きかける。
だが、外周線が激しく揺れた。
パイソンの声が届く。
「アデル。あなたが動けば外周は落ちます」
アデルは足を止めた。
左腕の副鍵が、強く光っている。
南西外周。
現実側の旧学園跡地と繋がる重要な線。
ここを離れれば、学園帰還の準備そのものが崩れる。
ヴェルニが地面に膝をついたまま叫んだ。
「来るな!」
「外周見てろ!」
アデルは唇を噛む。
「立てるか」
「立つ!」
ヴェルニは片手で地面を押し、炎を噴き上げるようにして立ち上がった。
「俺はヴェルニ!」
「まだ倒れてねえ!」
その名前の宣言に、周囲の王都兵たちが続く。
「ヴェルニ、立っています!」
「アデル、外周を支えています!」
「南西槍列、維持しています!」
名前が重なる。
パイソンの構文が、ほんのわずかに薄くなった。
ジャバは舌打ちする。
「いちいち名前名前って、うるせえんだよ!」
ヴェルニは血の混じった唾を吐き、笑う。
「効いてるってことだろ」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館・朝】
体育館では、青山先生を中心に名前確認が続いていた。
「私は、青山和子です」
「三年二組の担任です」
「今、体育館中央にいます」
生徒たちが続く。
「小森ハルカ、ここにいます!」
「内田ソウタ、ここにいます!」
「遠藤ミナ、ここにいます!」
だが、床の黒い構文はまだ消えない。
if student == fear。
return target。
その文字が、生徒たちの足元へ伸びようとする。
ダミエが結界を差し込む。
「させるか」
白い線が黒い文字を弾く。
だが、ダミエの呼吸は荒い。
サキが校庭へ出たことで、体育館の名前確認は教師たちに引き継がれた。
それは機能している。
だが、パイソンの干渉は強まっていた。
ノノの声がイヤーカフから入る。
『ダミエ、無理しすぎないで!』
『体育館側は安定してるけど、校庭側の副鍵が少し傷ついた!』
『全体のバランスが崩れるかもしれない!』
ダミエは短く答える。
「分かっている」
『分かってるなら、休んでって言いたいけど無理だよね』
ノノの声に、少しだけ焦りが滲む。
ダミエは体育館の出口を見る。
校庭では、サキがレアを呼んでいる。
ハレルとリオが鍵を守っている。
アデルが外周を支えている。
自分がここを落とせば、すべてが崩れる。
「こちらは保つ」
ダミエは言った。
「そちらは、レアを呼べ」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
レアの刃が、今度はハレルへ向いた。
主鍵を狙う。
パイソンの構文が空中に浮かぶ。
if mainkey == active。
cut core。
ハレルの背筋が冷えた。
「主鍵の中心を切る気か」
レアが踏み込む。
ハレルは〈固定界〉を出す。
だが、パイソンの構文が先回りする。
if defense == point。
shift edge。
固定界の端がずれる。
白い光が立つ場所が、半歩ずれた。
その隙間を、レアの刃が通る。
「お兄ちゃん!」
サキが叫ぶ。
リオが副鍵の傷を押さえながら、無理に光を出す。
「〈光縛・第二級〉!」
光の紐が、レアの足元へ伸びる。
だが、レアはそれを読んでいたかのように跳ぶ。
空中で体を反転し、逆にリオへ刃を飛ばす。
リオは避けるが、肩をかすめる。
「くそっ……」
サキは震える足で前へ出る。
「レア!」
「やめて!」
「ハレル、お兄ちゃんもリオも、敵じゃない!」
レアは振り向かない。
「敵味方の分類は不要」
「命令対象を排除」
「分類じゃないよ!」
サキは叫んだ。
「名前で呼んで!」
「ハレルはハレル!」
「リオはリオ!」
「あなたも、レア!」
レアの刃が、また一瞬止まる。
黒い構文が彼女の首筋で激しく走る。
if memory == Saki。
lock。
if name == Rea。
return command。
サキはその文字の意味までは分からない。
でも、何をされているのかは分かった。
「閉じないで!」
サキは叫ぶ。
「思い出してよ!」
「あなた、私に言ったでしょ!」
「箱の中にいるだけだと、誰かの役割のままだって!」
「自分の役割を見つけたいって、そう思ってたんでしょ!」
レアの目が揺れた。
ほんの少しだけ。
「役割……」
パイソンの表情が変わる。
わずかに、だが確かに不快そうだった。
「記憶への接続が残っていますか」
サキは続ける。
「あなたは、誰かの物じゃない!」
「命令でもない!」
「レアはレアだよ!」
レアの光刃が下がる。
一瞬、校庭の空気が止まった。
ハレルも、リオも、アデルも、その変化に気づく。
レアの唇が震える。
「私は……」
サキは、涙をこらえながら言う。
「うん」
「私は……レア」
その言葉が、ほんの小さく落ちた。
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
パイソンは、校庭の中央に立ったまま、静かに目を細めた。
周囲では、ジャバとヴェルニが激しくぶつかっている。
ハレルは主鍵を構え、リオは傷ついた副鍵をかばいながら立っている。
アデルは外周線を支え、サキはレアの名前を呼び続けていた。
その全てを、パイソンは同時に見ていた。
ただ目で見ているのではない。
校庭に走る構文。
学園外周を支える光。
体育館の名前確認。
レアの内側に残る命令列。
それらが、彼の視界の中では一つの盤面のように並んでいた。
《REDEFINED UNIT / SELF-REFERENCE》
《COMMAND LOCK / INSTABILITY》
《SAKI VOICE / EFFECTIVE》
《NAME ANCHOR / RECOVERING》
パイソンは、わずかに眉を動かす。
「自己参照が戻る」
それは、想定外ではなかった。
だが、想定より早い。
彼女は再定義済みだった。
名前は所有者へ戻し、感情は閉じ、記憶は整理した。
それでも、サキの声が穴を開けている。
「やはり、名前は厄介ですね」
パイソンは指を動かした。
校庭の地面に、新しい黒い構文が走る。
それはレアへ向かうものだけではない。
サキの声を切り、ハレルたちの支援を断ち、
レアの自己参照を上書きするための三本の線だった。
if self == unstable。
overwrite total。
if voice == Saki。
isolate。
if ally == support。
disconnect。
黒い文字列が、校庭の土の上を蛇のように進む。
サキの足元へ。
ハレルとリオの間へ。
そして、レアの背中へ。
パイソンは静かに言った。
「次で終わらせます」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
突然、サキの周囲の音が消えた。
ハレルの声が遠くなる。
リオの声も、ノノの声も、まるで水の中から聞こえるように薄くなる。
サキは目を見開く。
「え……?」
パイソンが言った。
「声を分離しました」
黒い構文が、サキの足元を囲んでいる。
if voice == Saki。
isolate。
サキの声が、レアへ届かないようにされている。
サキは叫んだ。
「レア!」
だが、その声は校庭に響かない。
自分の口から出たはずなのに、すぐ足元へ落ちて消える。
ハレルが叫ぶ。
「サキ!」
その声はサキに届く。
でも、サキの声はレアへ届かない。
レアの瞳から、また迷いが消え始める。
「命令を……」
サキは必死に声を出す。
「レア!」
届かない。
「レア!」
届かない。
パイソンは淡々と言う。
「入力を遮断すれば、再定義は安定します」
リオが怒鳴る。
「ふざけるな!」
リオが副鍵を放つ。
だが、パイソンの構文がそれを返そうとする。
if attack == direct。
return source。
リオは寸前で光を切る。
反射は防いだが、攻撃は届かない。
アデルが外周を支えながら言う。
「パイソン本体を狙っても返される」
「構文を断つ必要がある」
ハレルはサキの足元を見る。
黒い文字列。
声を閉じ込める輪。
「なら、そこを固定する」
ハレルは主鍵を向ける。
だが、パイソンが先に構文を打つ。
if mainkey target == isolate。
break。
主鍵の光が弾かれる。
「っ……!」
パイソンは静かに言った。
「あなたの動きは読めています」
その時、ヴェルニが叫んだ。
「読めてねえ動き、見せてやるよ!」
ヴェルニはジャバとの間合いから、横へ大きく飛んだ。
逃げたのではない。
ジャバの拳を受ける直前、自分から地面へ倒れ込むように滑り、炎を校庭の土の下へ流した。
ジャバが眉をひそめる。
「あ?」
炎はパイソンへ向かわない。
サキへも向かわない。
足元の土を温め、黒い構文の下だけを焦がす。
直接攻撃ではない。地面の状態を変えた。
パイソンの目がわずかに動く。
「環境変化……」
その一瞬、サキの足元の構文が揺れた。
ハレルが叫ぶ。
「今!」
リオが副鍵の光を細く伸ばす。
攻撃ではない。サキの足元の白い線を引き直す。
「一ノ瀬涼!」
「サキの声を通す!」
ハレルも続く。
「雲賀ハレル!」
「ここを固定する!」
白い光が、黒い構文の隙間に入った。
サキの耳に、音が戻る。
ノノの声が響く。
『サキ、今!』
サキは息を吸った。
全身の力を込めて、叫ぶ。
「レア!」
今度は、届いた。
◆ ◆ ◆
レアの刃が止まった。
光刃の先端が、ハレルの胸の前で震えている。
サキは叫び続ける。
「レア!」
「聞こえてるよね!」
「あなたは、カシウスのものじゃない!」
「あなたは、命令じゃない!」
「あなたは、レア!」
レアの黒い片目から、文字列が溢れる。
だが、その奥に、別の光が見えた。
小さく、弱い。でも、確かにそこにある。
レアの唇が動く。
「サキ……ちゃん」
サキの目に涙が浮かぶ。
「うん!」
「そうだよ!」
「私、サキ!」
ハレルも叫ぶ。
「雲賀ハレル!」
「ここにいる!」
リオも続く。
「一ノ瀬涼!」
「ここにいる!」
アデルが言う。
「アデル、外周を支えている!」
ヴェルニが地面に膝をつきながら笑う。
「ヴェルニ、まだ立つ!」
名前が重なる。
レアの目の奥の黒い文字列が、乱れ始めた。
パイソンの表情から、初めて余裕が消える。
「再定義が……崩れる?」
レアの手が震える。
光刃が、ゆっくりと下がる。
サキは一歩進もうとした。
だが、その瞬間、パイソンが手を振った。
if redefinition == failure。
force command。
黒い構文が、レアの背中へ突き刺さるように入る。
レアの体が大きく跳ねた。
「っ……!」
サキが叫ぶ。
「レア!」
パイソンは冷たく言った。
「失敗は許容しません」
レアの体が、再び硬直する。
光刃がもう一度立ち上がる。
だが、今度は少し違った。
レアの目には、まだサキを見ている光が残っていた。
消えていない。
完全には、消えていない。
◆ ◆ ◆
パイソンは、レアを完全に再定義しようとした。
感情を閉じ、声を分離し、自己参照を上書きしようとした。
サキの声を遮断し、ハレルたちの支援を切ろうとした。
だが、届いた。
ヴェルニの予想外の動き。
リオの細い光。
ハレルの固定。
そして、サキの声。
「レア!」
その名前が、再定義の奥まで届いた。
レアは、サキの名前を呼んだ。
ほんの一瞬。
ほんの小さな声で。
けれど、それは命令ではなかった。
パイソンは強制命令を打ち込んだ。
レアの刃は再び上がった。
それでも、彼女の目の奥には、まだ消えない光が残っていた。
コメント
1件
第204話、めちゃくちゃ熱かったっす……! サキが「レア!」って叫び続けるシーン、本当にグッときました。パイソンの構文がガチガチに固めてくるのに、ヴェルニの地面を焼く行動とか、リオの細かい光の引き直しとか、一人ひとりの「読めてない動き」が光ってました。ラストのレアの目に光が残ってるところ、次どうなるか気になりすぎます🔥