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第205話 選ぶ
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
レアの刃は、再び上がった。
サキの声は届いた。
レアは一度、確かに「サキちゃん」と呼んだ。
けれど、その直後にパイソンの構文が彼女の背中へ突き刺さった。
if redefinition == failure。
force command。
黒い文字列が、杭のようにレアの体へ食い込んでいる。
背中から胸へ。
胸から喉へ。
喉から黒い片目へ。
レアの表情が消えていく。
消えきっていない光が、まだ奥にある。
だが、命令がその上から押し潰そうとしていた。
パイソンは静かに言った。
「失敗は許容しません」
「再定義を継続します」
レアの右手に、光刃が伸びた。
狙いはハレル。
主鍵の中心。
「命令を実行します」
ハレルは主鍵を構える。
「レア、やめろ!」
レアは答えない。
光刃が、真っ直ぐハレルの胸へ向かう。
ハレルは〈固定界〉を出そうとする。
「一点固定――〈固定界〉!」
だが、パイソンの黒い構文が先に走った。
if defense == point。
shift edge。
固定界の位置が、半歩ずれる。
「っ……!」
白い光は立った。しかし、レアの刃はその端をすり抜けた。
刃がハレルの肩を切る。
「ぐっ……!」
血が散った。
サキが叫ぶ。
「お兄ちゃん!」
リオが横から飛び込む。
「レア、こっちだ!」
副鍵の光が伸びる。
だが、レアはリオへ振り向いた瞬間、刃の角度を変えた。
ハレルからリオへ。
主鍵から副鍵へ。
その切り替えに迷いはない。
「副鍵、破損優先」
「くそっ!」
リオは光盾を出す。
「〈光盾・第二級〉!」
刃と盾がぶつかる。
だが、レアの刃は盾の表面を滑り、リオの右腕へ向かった。
すでに傷の入っている副鍵を、正確に狙っている。
パイソンの構文が空中に浮かぶ。
if subkey == damaged。
finish。
リオの顔が歪む。
「まずい――」
ハレルが痛む肩を押さえながら主鍵を向ける。
「リオ!」
しかし、また構文が走る。
if mainkey == support。
delay。
主鍵の光が遅れる。
その一瞬で、レアの刃がリオの腕輪へ届いた。
ギィンッ!
副鍵の表面に、さらに亀裂が走る。
リオが膝をついた。
「っ……!」
ノノの声がイヤーカフから飛ぶ。
『リオの副鍵、出力さらに低下!』
『右側導線が落ちる!』
『ハレル、広げないで! 広げたら構文が乗る!』
ハレルは歯を食いしばる。
守りたい。だが、広げられない。
主鍵を広げれば、パイソンの黒い構文が入り込む。
一点だけを止めれば、他が崩れる。
パイソンは、その迷いまで読んでいた。
「守るものが多すぎる」
「だから、条件を分ければ崩れます」
黒い構文が、校庭全体に広がった。
if protect == Hareru。
Rio breaks。
if protect == Rio。
outerline breaks。
if protect == outerline。
Saki exposed。
ハレルの息が止まる。
「ふざけるな……」
パイソンは淡々と答える。
「ふざけてはいません」
「最適な選択肢を提示しています」
「そんなもの、選択肢じゃない!」
サキが叫んだ。
パイソンは、ゆっくりサキを見る。
「あなたは、やはり邪魔ですね」
その言葉に、校庭の空気が冷えた。
【異世界・転移した学園/校庭南西側・朝】
ジャバも攻撃を強めていた。
ヴェルニは、もう何度も地面に叩きつけられている。
炎はまだ出ている。
だが、最初より明らかに弱い。
ジャバの拳には、パイソンの構文が重なっていた。
if attack == pressure。
add fear。
add weight。
add break。
一撃ごとに、重さが増す。
ヴェルニが炎の腕で受ける。
「ぐっ……!」
骨が軋むような音がした。
ジャバが笑う。
「どうした!」
「王都の術師ってのは、その程度か!」
ヴェルニは血の混じった唾を吐いた。
「うるせえ……」
「まだ立ってるだろうが」
「じゃあ、倒してやるよ!」
ジャバの拳が振り下ろされる。
王都兵たちが槍列を作って割って入った。
「ヴェルニを支えろ!」
「南西外周を守れ!」
槍が折れる。兵士が吹き飛ぶ。
それでも、ほんの一瞬だけジャバの拳を遅らせる。
アデルは外周線を支えたまま、唇を噛んでいた。
動けない。
動けば、南西外周が落ちる。
外周が落ちれば、学園帰還の準備が崩れる。
だが、目の前で仲間が傷ついている。
ジャバがそれを見て笑う。
「動けねえんだろ」
「お前がそこを離れたら、帰還の線が落ちる」
アデルは低く言う。
「黙れ」
「図星か?」
「黙れと言った」
アデルの左腕の副鍵が、さらに強く光る。
「私はアデル」
「ここで外周を支える」
その声に、周囲の兵士たちが続く。
「アデル、外周を支えています!」
「ヴェルニ、まだ立っています!」
「南西槍列、維持しています!」
名前が重なる。
一瞬だけ、パイソンの構文が薄くなる。
だが、ジャバの圧は止まらない。
「名前なんかで、俺の拳が止まるかよ!」
ジャバがさらに踏み込んだ。
ヴェルニの炎が弾ける。
槍列が崩れる。南西外周の光が大きく揺れた。
ノノの声が叫ぶ。
『南西外周、危険域!』
『アデル、あと少しでもずれたら落ちる!』
アデルは歯を食いしばった。
「持たせる」
だが、その声にも疲労が滲んでいた。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館・朝】
体育館の床にも、黒い構文が増えていた。
if student == fear。
return target。
if teacher == command。
redirect。
if gym == shelter。
return cage。
避難場所であるはずの体育館が、閉じ込める檻へ変えられようとしている。
青山先生が必死に名前確認を続ける。
「私は、青山和子です!」
「三年二組の担任です!」
「今、体育館中央にいます!」
生徒たちも声を出す。
「小森ハルカ、ここにいます!」
「内田ソウタ、ここにいます!」
「遠藤ミナ、ここにいます!」
だが、生徒たちの顔には恐怖が濃く出ている。
校庭から響く衝撃音。
ハレルの苦しそうな声。
リオの叫び。
ジャバの笑い声。
パイソンの冷たい声。
全部が聞こえている。
ダミエは体育館の結界を支えながら、片膝をつきかけていた。
ノノの声が飛ぶ。
『ダミエ!』
「まだ落としていない」
『でも限界近い!』
「限界でも、落としていない」
ダミエは床に手をついた。
白い結界線が、体育館の中心から広がる。
黒い構文が、その線に噛みつく。
ダミエは低く言った。
「ここは檻ではない」
「避難所だ」
「青山和子が、生徒たちを守っている場所だ」
「小森ハルカがいる」
「内田ソウタがいる」
「遠藤ミナがいる」
名前を一つずつ言うたび、黒い構文が少しだけ薄くなる。
だが、完全には消えない。
パイソンの干渉は強い。
体育館も、校庭も、外周も。
全部が同時に押し潰されようとしていた。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
サキの足元に、黒い構文が走った。
if voice == Saki。
isolate。
また、声を遮断する構文。
サキはすぐに叫んだ。
「雲賀サキ!」
「ここにいる!」
前回のように、声を奪われないために。
だが、パイソンは同じ手だけではなかった。
黒い構文が、さらに太くなる。
if Saki == interference。
pierce。
サキは意味を理解できなかった。
だが、ハレルは直感した。
「サキ、逃げろ!」
黒い構文が、地面から槍のように立ち上がった。
サキへ向かって走る。
速い。
王都兵が盾を構える。
「下がってください!」
盾の前に黒い構文が突き刺さる。
バキンッ!
盾の表面に文字列が走り、盾が内側から割れた。
兵士が吹き飛ばされる。
サキの前が空いた。
パイソンは冷静に言う。
「あなたの声は、再定義を乱します」
「ならば、入力源を停止します」
ハレルが主鍵を向ける。
「させるか!」
しかし、彼の足元に別の構文が走る。
if mainkey == rescue。
break。
主鍵の光が弾かれる。
リオも動こうとする。
だが、傷ついた副鍵がうまく光らない。
「くそっ……!」
アデルは外周を離れられない。
ヴェルニはジャバに押さえ込まれている。
ダミエは体育館を保つだけで精一杯。
誰も間に合わない。
黒い構文が、サキへ向かって一直線に伸びる。
サキは動けなかった。
怖い。
足がすくむ。
でも、目はレアから離せない。
「レア……」
その声は、小さかった。
けれど、レアには届いた。
レアの体が、わずかに反応した。
◆ ◆ ◆
レアの内側で、命令が暴れていた。
if owner == Cassius。
return command。
if self == Rea。
error。
if Saki == interference。
erase。
消せ。
斬れ。
戻れ。
従え。
黒い文字列が、頭の中で何度も鳴っていた。
でも、その奥に、サキの声があった。
レア。
何度も呼ぶ声。
箱の中で聞いた声。
怖いと言いながら、それでも話しかけてきた声。
「今出たら、敵の都合で開いた外へ出るだけだ」と言った声。
「箱は戻る場所じゃない」と、誰かと話していた声。
「あなたはレア」と呼んだ声。
そして今。
サキへ黒い構文が向かっている。
レアの目が、ゆっくり動いた。
サキが見えた。
黒い構文が、サキの胸へ向かって伸びている。
レアの体に刺さった構文が、彼女を縛る。
if target != key。
reject。
if target == Python。
deny。
if action == self。
error。
動くな。
選ぶな。
戻れ。
レアは、小さく息をした。
「うるさい」
黒い文字列が暴れる。
「うるさいよ」
レアの指が、光を握った。
それは、ハレルへ向けた刃ではなかった。
リオへ向けた刃でもなかった。
サキへ向けた刃でもない。
レアは、ゆっくり足を動かした。
黒い構文が足首に絡む。
if command == active。
obey。
レアは一歩進む。
if Rea == weapon。
execute。
レアは、さらに一歩進む。
「違う」
その声はかすれていた。
でも、自分の声だった。
「私は……」
黒い構文が彼女の背中に深く食い込む。
それでも、レアは振り返った。
視線の先に、パイソンがいる。
パイソンの目が、初めて大きく動いた。
「何をしているのです」
レアは答えない。
サキへ向かっていた黒い構文は、もう彼女の目の前まで迫っている。
ハレルが叫ぶ。
「サキ!」
リオが叫ぶ。
「くそっ、間に合わない!」
アデルが歯を食いしばる。
ヴェルニがジャバの拳を受けながら叫ぶ。
「動け、誰か――!」
誰も間に合わない。
その瞬間。
レアが消えた。
いや、そう見えるほど速く、動いた。
黒い構文がサキの胸へ刺さる寸前。
その構文が、止まった。
サキの前で、黒い文字列がぴたりと止まり、震えた。
次の瞬間、構文は内側から白くひび割れた。
パキンッ。
乾いた音を立てて、黒い文字が崩れる。
サキは目を見開いた。
「……え?」
校庭の中央で、パイソンが立ち尽くしていた。
その胸に、光刃が突き刺さっていた。
レアが、そこにいた。
パイソンの胸へ、自分の光刃を深く突き立てている。
誰も声を出せなかった。
ハレルも。
リオも。
アデルも。
ヴェルニも。
ジャバでさえ。
パイソン自身も、理解できないという顔で、自分の胸を見下ろしていた。
「……なぜ」
その声には、初めて揺れがあった。
「条件に、ありません」
レアは、光刃を握ったまま、震える声で言った。
「命令じゃ……ない」
パイソンの目が細くなる。
「君は、再定義済みです」
レアは首を横に振った。
「違う」
体の中で、黒い構文がまだ暴れている。
それでも、レアは光刃を離さなかった。
「やっと……できた」
サキの目から、涙が落ちた。
「レア……」
レアは、ほんの少しだけ振り返る。
その顔には、苦しさと、悲しさと、ほんのわずかな笑みがあった。
「選べた……」
パイソンの胸に突き刺さった光刃が、白く強く輝いた。
◆ ◆ ◆
レアは、パイソンを刺した。
パイソンがサキを消そうとした、その寸前に。
黒い構文はサキへ届く直前で止まり、崩れた。
ハレルたちは誰も間に合わなかった。
リオも、アデルも、ヴェルニも、ダミエも。
間に合ったのは、レアだけだった。
再定義されたはずの駒。
命令だけを実行するはずだった刃。
カシウスのものに戻されたはずの存在。
そのレアが、自分で選んだ。
「やっと……できた」
「選べた……」
その言葉は、命令ではなかった。
レア自身の声だった。
コメント
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おおっ……第205話、読み終えたわ……! レアが「サキちゃん」って呼んだところで心臓掴まれたんだけど、その後パイソンの構文でまた押し潰されそうになって、もうずっと手に汗握りっぱなしだった。 「うるさい」って自分の意思で言い返して、しかも「選べた」って……。 命令じゃなくて自分の意志で動いたんだなって思うと、胸が熱くなった。 橘さん、今回めちゃくちゃ良い回だったわ。ありがとう!
3
橘靖竜