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ある雨の日だった 。
その日は、”空が泣いている”。そう言えるような大雨だった。
いつもそう。
私の周りは、いつも”雨”。でも、雨は嫌いじゃない。涙を隠してくれていたから。
けれど、その日だけは雨を煩わしく思った。彼の顔がよく見えなかったから。
この日は、
そう。彼と私が出会った日。
彼は私の光だ。雨雲を破る、強い光。私にはそれほどの存在。
彼は私に手を差し伸べてくれた。皆に置いてかれてしまった私に。唯一。
「どうしたんだ?濡れるぞ」
「もしお前が1人なら、俺と行こう」
私に言ってくれた言葉。初めて会ったはずなのに、どこか見た事があるような、そんな暖かさを感じさせてくれた。
私の恩人。大好きな人。口には出来ないけど、
私は彼を愛している。いままでも、もちろんこれからも。
私は、あの日と同じ暗い雨の日。そんなことを思い出していた。
私は霞野時雨、23歳。世界のゴミ。
彼は霧原恵雨、26歳。私の恩人。なぜかは分からないけれど、私を助けてくれた人。
そんな私と恵雨は、訳あって同じ家に住んでいる。
⋯一緒に住んでいるというか、私が居候している。
そのワケも、他人に話してもなかなか信じてもらえるようなものじゃない。どうせ、作り話としか思われない。
だから、知っているのは私と彼しかいない。
私と恵雨が知っていればいい。2人だけの秘密。
今から、その秘密と、恵雨と出会ったばかりの頃の話をちょっとだけするね。
私は、昔はお母さんとお父さんと一緒に住んでた。
だけど、世間一般的な”普通の家庭”なんかじゃなかった。
暴力なんて日常茶飯事、まともな食事なんて摂れたことがない。自分のミスをいつも私のせいにして暴言を浴びせてくる。そして、私を家から追い出して、数日は帰らせてくれなかった。
友達なんてひとりもいなくて、頼れる人もいなくて。
私が持ってるのは、アザだらけの身体と下手くそな作り笑顔だけ。
私はただのサンドバッグとしか見られていなかったんだと思う。
ある日、またいつものように家を追い出されて。冬の土砂降りの雨の中、薄い半そでのシャツに短パンで、裸足だった。 傘なんて贅沢なものがあるわけがなくて、ずぶ濡れになって、ひたすらずっとさまよっていた。
寒くて、寒くて仕方なかった。全身が痛くて、意識が朦朧として。歩けなくなって、倒れた。あぁ、ここで死ぬんだなって思ってた。でも。
そんな、どうしようもない私を助けてくれたのが、恵雨だった。
優しい眼差しで、私に手を伸ばして。こんな人と出会ったのは初めてだった。
このまま死ぬと思ってたのに。死ななきゃいけない人間なのに。
そして、私は恵雨の手を取った。だから、まだ生きている。生き延びてしまっている。
でも、血の繋がってる家族に捨てられたってことは、私は、それだけの出来損ないで。生きてる価値なんてないはずなのに、じゃあ、なんで、恵雨は。
あぁ、考えれば考えるだけ嫌になってくる⋯。
ふと、自分の手元を見たら、カッターを握っていた。
なんで、いつの間に持っていたのかなんてわからない。だけど、今、無性に自分自身を傷つけたいということだけはわかる。
「⋯⋯あは、ごめんなさい」
果たして、これは何への謝罪なのだろうか。
勝手に自分を追い詰めて、自傷行為に手を出すなんて。こんな私が大嫌いだ。
⋯⋯こんな私を、誰が好きでいてくれるというのだろうか?
刃を手首に押し当てる。怖くて目をつぶった。いつの間にか手が動いていて、目を開けたら、私の手首には浅い傷ができていた。
ちょっとだけ、気分が上がってきた気がする。
あと、ちょっと、ちょっとだけ⋯⋯。
切っていく度に、どんどん傷が深くなっていく。血が、たくさん流れ出ていく。頭がくらくらする。でも、止められない。あぁ、こんな、こんなに簡単にらくになる方法があるなんて、
「⋯⋯時雨?」
「⋯⋯⋯あ、」
ふと、聞きなれた声がした。見ると、呆然として私を見ている恵雨がいた。
いつからここにいたんだろう。なんてこと考えてる場合じゃない。
どうしよう、こんなことしてたなんて、きっと怒られる。嫌われる。でも、今更ごまかせるわけがないし⋯。
「ごめ、なさいっ 」
「⋯⋯俺は怒っていない」
「⋯なんで」
「怒るわけがないだろう。俺はお前の行動を縛るようなことはしない」
恵雨はそう言って、私の頭を撫でてくれた。
⋯⋯なんで優しくしてくれるんだろう。恵雨はお人好しすぎる。
「⋯⋯私の事なんて、捨てて、いいですよ⋯」
「そんなことするわけがないだろう」
即答されてしまった。でも、私が恵雨といても、恵雨には損にしかならないし、置いておく意味なんてまったくない。でも、恵雨の表情を見るに、私を捨てるなんてことは到底してくれないのだろう。
「⋯でも、」
「⋯⋯まだ分からないか。じゃあ、俺にもやってくれるか?」
恵雨はそう言って、カッターを持っている私の手を掴んで、恵雨の手首まで引っ張った。
ど、どうしよう⋯⋯。
ちょっと、ちょっとだけやってみたいと思ってしまったけど、でも、恵雨のあんなに綺麗な手首を私が傷つけるわけには⋯。
そうして戸惑っている私を見た恵雨は、
「そんなに迷う必要はないだろう⋯」
呆れながらそう言って、私の手を強く握っている。
まばたきをした、次の瞬間。恵雨の手首にひとつの傷ができていた。
その傷から、血が溢れて流れている。
やってしまった。しかも結構深く入っちゃった気がする。どうしようどうしよう、今度こそ、おこらせてしまうんじゃ?
慌てている私をよそに、恵雨はいまだに血が流れでている腕を見て、笑っていた。
「お前は、これほどの痛みを感じていたのか」
「⋯ごめんなさい、怒ってる?」
「まさか、怒るわけがないだろう」
恵雨はそう言って、どんどん傷を増やしていく。
恵雨の手首に傷が増える度、私の手に切った感触が残る。
あぁ、
少し、少しだけ、嬉しいと思ってしまった。
恵雨に傷をつけてしまったという後悔はあるけど。それでも、恵雨が私と同じように堕落しているという事実が。私にとってはどうしても甘美なことで。
そんなふたつの感情が、ぐちゃぐちゃに入り混じって。ぐるぐるして、吐きそうなくらいに気持ち悪い。
既に止血を終えた恵雨は、手首に包帯を巻いている。ああ、私のせいで、こんなことに⋯。
なんだか、頭がぼーっとしてきた。なにかが、床に落ちた音がした。
恵雨は、なにをそんなにあわてているんだろう。
「__れ、しぐれ!!俺の声が聞こえるか?」
そんな恵雨の切羽詰まった声で気がついた。
なにを心配してるんだろう。まずは謝らないと⋯。
「っは、ごめっ、きこ、え、っげほ、」
⋯あれ、おかしいな。上手く喋れないし、苦しい。なんで、うまくいきがすえない、なんでなんでなんでなんでなんで。
うるさいからはやくとめないと、でも、とめかたなんてわかんない、どうしようどうしようどうしようどうしよう。
「時雨、俺を見ろ。大丈夫だ、一緒に治そう。怖くないからな」
恵雨が呼吸の仕方を教えてくれる。私も、それに合わせてやってみるけど、うまくできている気がしない。こわい、やだ、たすけて。くるしいくるしいくるしいくるしい、
「大丈夫、上手くできてる。もう少しだけ頑張ろうか」
恵雨が私の手を握ってくれている。すこしだけ、怖くなくなった。大丈夫、うまくできてる⋯。
そんなことを繰り返しているうちに、だんだん呼吸が落ち着いてきた。
あーあ。
迷惑かけてばっかの、ゴミ人間。
これだから、私は。
こんなのなら、もう、私は。
「偉いな、時雨。よく頑張った」
そんな、私の大好きな人の優しい声が、聞こえて。
恵雨は私を抱き寄せて、頭を撫でてくれた。
なんで、私を捨てないでいられるんだろう。
恵雨は優しすぎる。
だけど、そんな恵雨が、大好き。
「俺は、無条件に時雨を愛している」
これが、私の秘密と、私と恵雨が出会ったばかりの頃の話で、恵雨のことを好きになってしまった理由のひとつ。
この一件から、恵雨も自傷をするようになってしまったみたい。
昔、初めて時雨と俺が自傷行為に手を出した、そんな時を思い出していた。
あの日以降、あの感覚が癖になってしまった。
今日も、既に傷だらけの手首に更に傷を増やした。
さっき止血したはずだが、また血が流れ出てきている。深く切りすぎたか⋯。
そんなことを考えていたら、既に0時を過ぎていた。そろそろ寝なければ⋯。今のところまったく寝れる気がしないが。
睡眠薬をシートから1錠取り出して飲み、ベッドに入った。
昔、俺はいわゆるブラック企業に勤めていた。そのせいで、寝る暇なんてものはなかった。そして、いつの間にか、俺の身体は長時間の睡眠を受け付けなくなっていた。睡眠薬なしでは1時間ほどしか眠れない。
このことは、時雨には隠している⋯つもりだ。多分、きっと気づいていると思う。まあ、眠れないから仕方ないことだ⋯。時雨からも、このことに関してはまったく聞いてこないからいいだろう。
優しい時雨。そんな時雨に対して俺は何もしてやれていない。なら、それなら俺は⋯⋯。
俺は、いつの間にか眠りに落ちていた。
使えない奴、あんたはゴミと同然、死んだ方がいい⋯。
昔、お母さんとお父さんに言われた言葉が、ずっと頭の中で流れている。恵雨はあんな奴は家族じゃないって言ってたけど⋯。
ああ、どうしよう⋯⋯寝れる気がしない。
うるさいって思うけど、この声は当分消える気がしない。
やだ、やめて、もう何も言わないで、こわい、でも、たすけてくれる人なんて⋯。
⋯恵雨の顔が思い浮かんだ。けど、この時間だときっと寝てると思うし、仮に助けを求めたとして、恵雨にも、同じことを言われたら⋯⋯。
恵雨はそんなこと言わないってわかってるけど、でも、どうしても怖い。
未だにあの声は消えない。気持ち悪くなってきた⋯。ちょっと頭冷やそう⋯。
私は、家の鍵だけ持って外に出た。
外の風が冷たくて気持ちいい。この頭の中の声さえなければよかったのに。
これだけじゃダメだ、これならまだ歩いてた方が気が紛れる⋯。今回こそあまり遠くに行かないようにしないと⋯。
そうして、私はあてもなく歩き始めた。
窓から差し込む陽の光で目が覚めた。
考え事をしていたら、いつの間にか眠っていたようだ。薬の力は凄い⋯。
この時間なら、時雨もとっくに起きているだろう。リビングの扉を開けて、おはよう__と言いかけたところで、時雨がいないことに気づいた。
「時雨、いないのか。⋯⋯時雨?」
おかしい、 いつもこの時間は絶対に家にいるのに。可愛い笑顔でおはようって返してくれるのに。
なぜいないんだ?まだ寝ているだけなのか?それだけならいいんだが⋯。
嫌な予感がして、胸騒ぎがする。
昔からこういうことは何回かあった。時雨は1人でなんでも抱え込む癖がある。それが爆発して家出をする、ということが前に何回かあった。いつも深夜に家を出て、俺が迎えに行くのを待ってくれている⋯。危ないからせめて日が昇ってる時間帯にして欲しい⋯。
俺は時雨の寝室に行き、扉をノックする。
⋯⋯返事がない。
いや、焦るな。寝ているだけかもしれないだろう⋯。
入るぞ、と声をかけて、寝室の扉を開けた。
__いない。時雨が、どこにもいない。どこに行ったんだ?いやだ、おれを、おいていかないでくれ。
⋯⋯慌てるな、まずは時雨がどこにいるか確認しよう。
俺は、すぐにスマホで時雨の位置情報を確認した。
「また⋯そんな所まで行ったのか⋯⋯」
これまたずいぶんと離れた場所にいるじゃないか。⋯⋯時雨が初めて家出した時から、場所はずっと変わっていない。徒歩で行くにはかなり厳しい距離だが、よく歩いたな⋯。早く迎えに行ってやらなければ⋯。
俺は、お前に拒絶されようと、何度でも迎えに行く。
だから、頼むから、一人でいかないでくれ。
なあ、俺ではお前の役には立てないのか?時雨⋯。
「 結局、またここに来ちゃった⋯」
色んなことをぐだぐだ考えながら歩いてたら、いつの間にかずいぶん遠くまで歩いてきてしまった。
この場所は、私と恵雨の思い出の場所。
これも恵雨と出会って少しした頃の話。今回と同じように家出した時に、今回と同じようにここにたどり着いた。
その時は、それはもう死にたくて消えたくて 仕方なくて、ひとりで海に入った。歩いて歩いて、胸の辺りまで水が浸ったとき、後ろから誰かに抱きしめられた。その人は恵雨だった。
私でも振り払えてしまうような力だったけど、伝わってくる温もりと、いかないでくれ、という恵雨の弱々しい声に引き止められてしまった。どうしようもなく涙が溢れて、止まらなかった。
その日以来、あてもなく歩いていると、いつの間にかここにたどり着くようになってしまった。
そして、恵雨が迎えに来てくれるのを、ずっと待っている。
見限られて、迎えに来てくれなくなるのかもしれないのに。
もう、とっくに夜は明けてしまった。じきに、恵雨が私を探しに来ると思う。
私がいる場所も、恵雨がいる場所も、GPSでわかるようになっている。
スマホで位置情報を共有しても、どこかに置いてきてしまったらわからなくなってしまう。
だから、お互いの場所がぜったいにわかるようにって、お互いの身体に小型の発信機を埋め込んだ日が懐かしい。
恵雨のことだから、多分、迎えに来てくれるんだろう。
見つけなくていいから、私のことなんて放っておいてほしい。
だけど、私を見捨てないで、見つけに来てほしいという思いもある。
「⋯⋯はやく死んじゃえばよかった、かな」
私はそう呟くと、小さくため息をついた。
そして、またあの日のように海に入ろうとした、その時。
「どうしてそんなことを言うんだ?」
背後から声が聞こえて。振り向くと、恵雨がいた。
ああ、迎えに来てくれたんだ。こんな、こんな私を⋯。
涙が出てきそうになって、思わず恵雨に抱きついた。
そんな私を、恵雨は優しく受け止めてくれた。
「俺は、何度でもお前を見つけ出してやる」
「⋯ありがとう、恵雨」
「さあ、帰ろうか」
そう言って、恵雨は私に手を差し伸べた。
私は、その手を取った。
車に乗って、私たちの家に向かう。
恵雨の運転は優しくて、好きだ。
「ねえ、恵雨は、」
私のこと、どう思ってるの。
そう言いかけたけど、やめた。こんなの聞いたら、面倒なやつだって思われる⋯。
「⋯やっぱいいや、ごめんね」
幸い、恵雨は特に気にすることもなかったみたいで。そうか、と言っただけだった。
本当は気になったと思うけど、でも聞こうとはしなかった。そんな優しいところが大好き。
ねえ、恵雨。まだ、私のこと、捨てないでいてくれるの?
助手席に乗る時雨を見つめていると、あっという間に楽しいドライブは終わってしまう。
家に着くと、時雨は自分の部屋に戻った。
俺は1人、ベランダに出て煙草を取り出す。
時雨があの場所を覚えてくれていて嬉しかった。あの場所は俺たちの思い出の場所だ。
煙草に火をつけて、吸う。
あまり頻繁に吸う方ではない。なんとなく興味があったから吸ってみたら、いつの間にかたまに吸うようになっていた。
また、これで自傷をするようにもなった。
もしかしたら、自傷をするために吸い始めたのかもしれないと思っている⋯。
ただ、時雨にはあまりやってもらいたくはない。本人はやろうとは思っていないようだから大丈夫だとは思うが、そろそろ辞めなければ⋯⋯。
「⋯恵雨。ここにいたんだ」
ふと、後ろから愛しい人の声が聞こえた。
振り向けば、そこには時雨が立っていた。
「⋯時雨、どうしたんだ__っ、ぅぁ」
肌が焼ける音がした。熱い、そして痛い。
⋯まずい。くせで自分の腕に煙草を押し当ててしまった。
悲鳴をあげた俺に、時雨は慌てた様子で駆け寄ってきた。
そんな時雨を愛おしく思った。それと同時に、そこまで俺を心配してくれているのか、と心のどこかでぼんやりと思っていた。
「⋯⋯⋯返事してってば⋯ねえ、恵雨!」
時雨の憔悴した声で意識が戻る。
⋯今にも俺が死んでしまうかもしれないとでも思っているような声色だ。だが、残念ながら俺はこの程度では死ねない⋯。
「⋯だいじょうぶだ、俺は生きてるから⋯安心してくれ⋯⋯」
「だって⋯全然返事してくれなくなったから⋯⋯」
時雨はそう言うと拗ねてしまった。そんなところも可愛い。好きだ。
そして、そんな可愛い時雨は先程俺がしてしまった行動に珍しく興味を持っている様子。
「⋯⋯やりたいのか?これはあまりやりたそうには見えていなかったが」
「⋯うん。でも、1回だけ、やってほしい⋯」
時雨はどこか暗い顔をしてそう言った。
どういう心境の変化なんだ?今までやろうともしていなかったはずだが⋯。
⋯⋯まあ、1回だけなら、いいか⋯。
迷いに迷った末、俺は時雨の腕に煙草を押し当てた。
「⋯〜〜〜っっ」
時雨は声にならない悲鳴をあげた。
痛みこそ感じているようだが、どこか慣れている様子だった。
⋯やらない方が良かったかもしれない。
「⋯、ごめ、なさい⋯⋯ゆるして、ごめんなさい⋯!!」
⋯⋯そう思っても既に手遅れだったが。
おそらく、過去に同じことをしたことがあるのだろう。⋯⋯された、という方が正しいか。
⋯こんなことを考えている場合じゃない。さて、どうやって宥めるか⋯。
ああ、今度こそ嫌われてしまう。きっとわたしから離れていってしまう。
頭の片隅で、ぼんやりとそんなことを思った。
じゃあ今は何を考えているのかって?今は私は灰皿だと自分自身に言い聞かせているところだよ。
わたしのお父さんとお母さんが、お前は灰皿だって何回も言ってた。だから灰皿。
だから、わたしはまた灰皿になるべきで、だから、わたしは、
「__時雨、おい、時雨!」
恵雨が焦った様子でわたしを見ている。ごめんなさい、今度こそちゃんとした灰皿になりますから、だからゆるして、ごめんなさい。
「__なあ、時雨、俺がわるかった⋯頼むから、戻ってきてくれ⋯⋯」
「__ぁ⋯⋯⋯けい、う」
恵雨の声で意識が戻った。そうだ、ここにあの人たちはいない。ここには、大好きな恵雨だけがいる。
いつの間にか恵雨に抱きしめられていた。恵雨が今どんな顔をしているのかわからない。怒ってるかな。どうしよう、もし怒らせてしまったのなら⋯。
「⋯時雨。俺のこと、きらいになったか」
そんな私の考えは違っていた。
今にも泣き出してしまいそうな声だった。
私が、恵雨のことを嫌いになる?そんなこと、絶対にありえない。
「なるわけないよ、私が恵雨を嫌いになることなんて絶対ない。」
だから、即答した。
私は恵雨のことがずーっと大好きだから。
でも、私は、恵雨に嫌われてしまうことをたくさんしてしまった。あんなに散々迷惑をかけてしまった。殴られる程度じゃ許されないくらいに。
「⋯⋯私のこと、きらいになった?」
「なるわけないだろう、俺が時雨を嫌いになることなんて絶対ない」
恵雨も即答した。
嬉しいなぁ、でも、やっぱり私にはこんなに優しい人はもったいないと思う。でも、それでも私に優しくしてくれる恵雨が大好きで。
嫌いだ。
いつもこうやって恵雨を振り回している自分が。
やっぱり私みたいなのが生きてる意味なんてない。
やっぱり、いない方が良かったんだと思う。私なんて。
もう、私なんて、死んでしまった方がいいんだ。
「⋯どうした」
ずっと考え込んでいた私を、恵雨は心配してくれた。
でも、言えない。こんなの、 言えるわけがない。
「大丈夫だよ、なんでもない」
なんて言って、笑ってみる。けど、
「俺がお前のことを分かっていないと?」
当然、ごまかせるわけがなかった。
「⋯⋯⋯⋯」
きっと、私から言い出すまで待つんだろう。ねぇ、どうしてそんなに私に…。
ここで嘘をついたとしても、すぐにばれる。
どうせ、何を考えていたのかなんてわかってると思うけど。
「⋯わたし、」
どこまでいってもダメな人間だな、私。
「もう、生きてる意味がわかんなくって、」
ごめんなさい、
「死にたい」
私と恵雨の間に静寂が訪れる。
恵雨は、今何を考えているんだろう。
きっと、私に失望してしまったに違いない。
お願い、どうか私を捨てて。
「⋯⋯わかった。俺と一緒に死のう」
⋯⋯どうして。
やっぱり、恵雨は優しすぎる。
普通だったらゴミみたいな私なんてとっくに見捨てるはずなのに。
こんな私なんて、いない方がいいって、普通だったら思うはずなのに。
どうして。
「だめだよ、恵雨まで道連れにしたくない」
「言っただろ。俺はお前とずっと一緒にいる⋯⋯ずっと、一緒にいたいんだ」
⋯諦めてくれるつもりはなさそう。
でも、でも、私のせいで、こんな素敵な人がいなくなってしまうなんて、それはだめだ。
だめだ、けど。
「⋯⋯最期まで、一緒にいて。1人じゃいやだ⋯」
あぁ、どこまでもワガママな私を、どうか許してください。
「さぁ、俺と行こう。お前を1人になんてさせない」
恵雨はそう言って、私に微笑みかける。
そして、恵雨は私から体を離すと、あの日⋯出会った日のように手を差し伸べてくれた。
私は、その手を掴んだ。
車の鍵を持って、指輪だけは絶対に外さない。その他はどうでもいい。
車に乗り込んで、エンジンをかける。最期のドライブの始まりだ。
目的地はもうとっくに決めている。あの場所以外ありえない。
最期だから、信号無視くらいしてもいいだろうか。
こんな真夜中に、こんなところを走る車なんていないだろう。
決めた。全部の信号無視してやろう。
なんて、どうでもいいことを考えている。
「信号無視なんて、どうせこの後死ぬんだからしたっていいだろう。最期だから、好き勝手にやってやる」
「あは、最高だね。⋯そうだ、ついでに飲酒運転しちゃおう!私、飲みたかったから缶ビール持ってきたの」
「はは、最高だな」
ああ、本当に最高だ。
こんなに愛おしい時雨と死ねるのは最高だ。
ふたりで同時に蓋を開けて、飲む。
飲みなれている味のはずだが、なぜかいつもより美味しい気がする。
時雨はとても楽しそうにしている。そんな姿が本当に可愛い。
狂おしいほど、愛している。
死にたい、なんて言わせたくなかった。
1回だけでもいいから、生きてるのが楽しいって言わせたかった。
俺じゃなかったら、生きたいと思えたのだろうか?俺だったからダメだったのか?
なあ、お前のそばにいるのは、
「、俺で、よかったのか」
なんて言葉を、いつの間にか口走ってしまっていた。
時雨は少し驚いた後に、彼女なりの不器用な笑みを作って、
「あなたじゃないとダメだったよ。そうじゃなきゃ、私はとっくに死んでた。
あのまま雨に打たれて死んでたかもしれないし、他の誰かに拾われても、どうせ自殺に走ったと思うから、だから、
私、あなたじゃなきゃだめなんだよ」
彼女はそう言って、俺に笑いかける。
初めて見た屈託のない笑顔。
それが見れたのなら、
全部、どうでもいい。
全部、お前がいないとどうでもよくなった。
お前がいない世界には興味なんてない。
だから、お前が望むのなら、俺も。
『もう⋯1人になりたくない』
『大丈夫だ、俺がいる。 お前がどこに行こうと、何をしようと、俺がいる』
『本当に?』
『ああ、そうだ。死ぬまでずっと一緒にいると誓おう。いつまでもずっと一緒だ。⋯いや、』
『『死んでもずっと一緒』』
「覚えているか?一度も忘れることなんてなかった」
「覚えてるよ。忘れたことなんてない」
初めて来た海。初めて見た綺麗な景色。私の初めてできた思い出。忘れられるわけがない。
月光に照らされた水面はきらきらと輝いている。これが、俗に言う”幻想的な光景”、というものだろうか?
「⋯本当に、いいの」
「お前と一緒にいられるなら」
「⋯後悔、しない?」
「お前と一緒にいられるなら」
2人手を繋いで、歩き出す。
ずーっと離さない。死んでも離さないわ。
だって、
いつまでも、ずっと一緒。
「「死んでも、ずっと一緒!」」
そう言って、互いの顔を見て微笑んだ。
あぁ、なんて幸せなんだろう?
2人の左手につけられた指輪が、月明かりに照らされて輝いていた。
今まで、大雨に降られ続けた彼女。
その夜だけは、雨に愛された彼女らを祝福するように。
雲は消え、優しく撫でるような雨が、水面を照らしていた_