テラーノベル
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大学四年の春。
就職活動で面接を終え、疲れた足取りで駅前を歩いていた。
空は柔らかな夕焼け色で、風は桜の花びらを舞い上げている。
そのとき――ふと視界の先に、見覚えのある背中があった。
背筋の伸びた立ち姿、少しうつむきながら歩く癖。
胸が強く跳ねる。
「……先輩?」
声が勝手に漏れた。
振り返ったその人は、少し大人びた顔になっていたけれど、間違いなく吉沢先輩だった。
驚きと、ゆっくりとした笑み。
「…○○?」
一瞬で、過去の記憶が押し寄せる。
コートでの笑顔、冬の海、卒業式の抱擁――全部が鮮やかによみがえる。
「どうして…日本に?」
「大学、卒業した。向こうでの勉強も終わって、やっと帰ってきたんだ」
言葉が出ない私を見て、先輩は少し照れくさそうに笑った。
「ずっと言えなかったことがあるんだ。…あの日から、ずっと○○のことが好きだった」
桜の花びらが、二人の間をふわりと舞う。
涙が込み上げるのを必死でこらえて、私は笑った。
「…私も、変わらず好きでした」
人混みの中で、先輩がそっと手を差し出す。
その手を握った瞬間、時間がまた動き出した気がした。
再会から数ヶ月後。
私が社会人になり、先輩も就職して落ち着いた頃、自然な流れで「一緒に住もうか」という話になった。
新しいマンションの鍵を受け取った日。
家具の配置を決めながら、先輩が笑う。
「こういうの、まるで新婚みたいだな」
「みたいじゃなくて…いつか本当に、でしょ?」
そんなやり取りに、胸が温かくなる。
最初の朝。
目を覚ますと、キッチンから包丁の音といい匂いが漂ってきた。
「おはよう。スクランブルエッグ作ったよ」
眠そうな目で先輩が微笑む姿に、思わず「おかえりなさい」って言いそうになった。
夜は、ソファで並んでテレビを見たり、お互いの仕事の愚痴を言い合ったり。
先輩が私の肩に手を回し、「こうやって毎日帰ってこれるの、幸せだな」と言った瞬間、
胸の奥にあった数年前の寂しさが、そっと溶けていくのを感じた。
もちろん、ケンカもする。
洗濯物のたたみ方や、洗い物を後回しにしたこと。
でも、先輩はいつも最後に「ごめん、仲直りしよ」と言って、抱きしめてくれる。
その腕の中で、私は「もうこの人を失わない」と心の中で何度も誓った。
桜が咲くたび、あの日の別れを思い出す。
でも今は、それ以上に、同じ屋根の下で迎える春の喜びを感じている。
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