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第318話 半分以上
【異世界/王都イルダ・軍医療区画】
エルン・ヴァイスが運び込まれたのは、戦闘から一時間ほど後だった。
地下通路で使った拘束線を解くことはできず、そのまま治療用の寝台へ固定されている。
両腕。
両脚。
胸元。
さらに寝台の周囲には、ノノが組み直した観測線と、イデールの治癒術式が重ねられていた。
見た目だけなら眠っている兵士だった。
顔には疲労がある。
左肩にはジャバの拳を受けた傷。
口元にも乾きかけた血が残っている。
だが寝台の横に浮かぶ観測表示は、そんな穏やかな状態ではなかった。
白。
黒。
そしてそのどちらとも言い切れない灰色。
ノノは、さっきから一度も画面から目を離していない。
「もう一回、出すね」
アデルが壁際から見る。
「さっきも見た」
「今度は細かく分けたの」
ノノが表示を切り替える。
エルンの全身図。
頭。
胸。
腕。
脚。
そこへ黒い反応が重なっていく。
最初に目立つのは首筋と胸。
そこから神経のような細い線が広がり、肩、腕、背中、さらに頭部へ伸びている。
ヴェルニが眉を寄せた。
「……広いな」
ノノは答えない。
指先を動かし、さらに内部の反応を表示する。
今度は
筋肉。
神経。
魔力経路。
記憶参照領域。
アデルの表情が変わった。
「そこまで入ってるのか」
「うん」
ノノの声は低かった。
「外側にくっついてるだけじゃない」
イデールがエルンの脈を確認しながら聞く。
「どのくらい?」
ノノはすぐには答えなかった。
数値を何度も確認する。
片鱗が表に出た時。
エルン本人が戻った時。
ジャバの衝撃で二つの反応がずれた時。
その全部を重ねる。
やがて。
一つの数値が表示された。
アデルが見る。
「……五十八?」
ノノが頷く。
「今確認できる範囲だと、五十八パーセント」
ヴェルニが顔をしかめる。
「何がだ」
「片鱗側の情報が入り込んでる領域」
部屋が静かになった。
半分以上。
アデルがもう一度表示を見る。
「身体の半分以上を、乗っ取られてるってことか」
「少し違う」
ノノが首を振る。
「乗っ取られてるだけなら、まだ分かりやすい」
「じゃあ何だ」
「使われてる」
アデルが眉を寄せる。
ノノはエルンの腕の表示を拡大した。
「ここ」
右腕。
片鱗の反応が濃い。
「さっき戦ってた時、この腕は片鱗に動かされてた。でも」
ノノは別の波形を重ねる。
「今は、この黒い反応が落ちると、エルン自身の神経反応まで弱くなる」
イデールが顔を上げた。
「どういうこと?」
「片鱗が入り込んだ場所を、身体がもう自分の一部として使い始めてる」
ヴェルニが黙る。
ノノは続けた。
「侵食されたところが、全部死んでるわけじゃない。むしろ逆」
表示の一部が光る。
「エルン本人の身体が、片鱗の情報を経由して動いてる場所がある」
「待て」
アデルが一歩近づく。
「じゃあ、片鱗だけ抜いたら」
ノノが答える。
「その場所も動かなくなるかもしれない」
◆ ◆ ◆
イデールはすぐに治療光を弱めた。
「今までより慎重にするね」
アデルが聞く。
「何か危ない?」
「治療術って、基本的には身体を元の状態へ戻そうとするから」
イデールはエルンの左腕を見る。
「でも今のエルンは、何が“元”なのか分からない」
その言葉が重かった。
片鱗が入る前。
それが本来のエルン。
理屈ではそう言える。
だが、身体はすでに片鱗が混じった状態で何週間も動いている。
ノノが別の記録を開く。
「これ、後方勤務に戻ってからの反応」
荷物を運ぶ。
階段を上る。
槍を持つ。
食事をする。
普通の生活。
その時すでに片鱗由来の反応が混じっていた。
「……この時点で?」
イデールが小さく聞く。
「うん」
「でも普通に歩いてたよ」
「だから」
ノノが画面を見る。
「エルン自身も、気づかないまま使ってたんだと思う」
アデルが拳を握る。
片鱗がただ身体を奪ったのではない。
侵入し、馴染み、本人の身体機能そのものへ入り込んだ。
そしてエルンはそれを知らずに自分の身体として使っていた。
ヴェルニが低く言う。
「じゃあ、どうすんだ」
誰もすぐには答えなかった。
◆ ◆ ◆
しばらくしてノノが一つの仮説を表示した。
《片鱗反応・強制分離》
アデルが見る。
「できるのか」
「理屈だけなら」
「危険は?」
ノノがためらう。
「かなりある」
表示が切り替わる。
《運動機能障害》
《部分記憶欠落》
《魔力経路断裂》
《人格反応消失》
ヴェルニの表情が変わる。
「最後のは何だ」
「そのまま」
ノノの声が小さくなる。
「片鱗と一緒に、エルン側まで消える可能性」
アデルが画面を見る。
「どのくらい」
「分からない」
「予測も?」
「できない」
ノノは首を振った。
「重なってる場所が多すぎる」
イデールが静かに聞く。
「記憶は?」
ノノが記憶領域を開く。
そこには白と黒が複雑に絡んでいる。
「一番難しい」
「どうして?」
「エルンの記憶を片鱗が使ったでしょ」
アデルたちは頷く。
巡回路。
倉庫。
兵士の名前。
王都の構造。
「使っただけじゃないんだと思う」
ノノが画面を拡大する。
「片鱗側にも、エルンの記憶が複製されてる」
ヴェルニが眉を寄せる。
「じゃあ、それ消せばいいんじゃねえのか」
「どっちが複製か、分からないところがある」
「は?」
「同じ記憶を両方が持ってるの」
ノノは言う。
「しかも、もう同じ場所を参照してる」
例えば。
王都軍へ入った日。
母親から届いた手紙。
初めて配属された場所。
訓練で失敗した記憶。
仲間に笑われた夜。
それらをエルンも覚えている。
片鱗も知っている。
「記憶だけ見ても」
ノノは息を吐く。
「どっちがエルンか判別できないところがある」
◆ ◆ ◆
アデルはしばらく何も言わなかった。
やがて。
「名前は?」
ノノが見る。
「何?」
「エルンって呼んだ時は、本人が出てきた」
「うん」
「そこは分けられるんじゃないのか」
ノノは少し考える。
「名前に対する反応は、今のところエルン側が強い」
「ならそれを基準にする」
アデルが言う。
「本人が返事する方を残す」
ノノはすぐには頷かなかった。
「それだけじゃ危ない」
「なぜ」
「片鱗も学習するから」
アデルの表情が変わる。
「名前を?」
「うん」
ノノがエルンを見る。
「今はエルンって呼ばれると本人側が強く出る。でも、それを片鱗が覚えたら」
ヴェルニが舌打ちする。
「本人のふりをする」
「たぶん」
イデールも黙る。
名前。
これまで
何度も本人を呼び戻してきたもの。
だが相手がそれすら使い始める可能性がある。
アデルは寝台の上のエルンを見る。
「……面倒だな」
ヴェルニが少し驚いた顔をする。
「お前がそれ言うの珍しいな」
「事実だ」
アデルは目を逸らさない。
「敵だけ切れば終わるなら簡単だった」
◆ ◆ ◆
イデールがエルンの胸元へ手を当てる。
治癒光を本当に弱く。
ただ身体が今どうなっているかを見るためだけに。
「心臓は安定してる」
少し下。
「呼吸も大丈夫」
さらに首筋。
黒い線が薄く浮かぶ。
イデールの手が止まる。
「ここ……」
ノノがすぐに見る。
「何?」
「治癒光を流した時、黒い方も反応してる」
「悪い反応?」
「違う」
イデールは困ったように眉を寄せる。
「治ろうとしてる」
その言葉に全員が黙った。
「片鱗が?」
アデルが聞く。
「分からない」
イデールは首を振る。
「でも、少なくとも身体は、黒い反応がある場所も“傷”として扱ってない」
ノノが表示を確認する。
本来なら。
異物。
侵入者。
排除対象。
そうなるはずだった。
だがエルンの身体は
片鱗の一部をすでに自分の構造として認識している。
ヴェルニが低く言った。
「……完全に混ざってんじゃねえか」
ノノは少しだけ首を振った。
「完全じゃない」
「じゃあ何だよ」
「完全じゃないから困ってるの」
その声に苛立ちより怖さが混じっていた。
「全部片鱗なら、エルンがもういないって判断できる」
「全部エルンなら、守ればいい」
ノノは画面を見る。
「でも今は」
白。
黒。
灰色。
「どっちもいる」
◆ ◆ ◆
その時。
エルンの指が動いた。
イデールがすぐに気づく。
「エルン?」
全員の視線が寝台へ向く。
右手。
指先。
一度。
動く。
ノノの端末に反応。
白。
「本人側」
アデルが近づく。
「起きるのか」
「まだ分からない」
イデールは声を落とす。
「エルン。聞こえる?」
返事はない。
だが、眉がほんの少し動いた。
「無理に話さなくていいよ」
イデールが言う。
「今は休んでて」
その言葉に。
エルンの呼吸が少しだけ落ち着いた。
ノノが小さく言う。
「反応してる」
アデルも見ている。
本人はまだいる。
問題は助けるために
何を残して、何を消すのか。
それを、誰が決めるのか。
◆ ◆ ◆
ノノは再び画面へ向き直った。
「一つだけ」
アデルが聞く。
「何だ」
「今は、強制分離しない方がいい」
「理由は」
「外せば危ないから」
短い答えだった。
だがそれだけで十分だった。
イデールも頷く。
「私もそう思う」
ヴェルニが腕を組む。
「じゃあ、このまま?」
「このままにはしない」
ノノが言う。
「でも、片鱗を消すことだけを目的にすると、エルンまで壊す」
アデルはしばらく黙った。
やがて。
「なら」
ノノを見る。
「次はエルン本人に聞く」
イデールの目が動く。
「何を?」
アデルは寝台の上の兵士を見る。
「中で何が起きてるのか」
そして少しだけ声を落とした。
「どこまで、自分でいられるのか」
ノノは頷いた
それしかない。
外から数字を見ても。
白と黒を分けても。
本人が何を感じているのかは本人にしか分からない。
寝台の上。
エルンの右手が。
もう一度。
僅かに動いた。
コメント
1件
第318話、読み終えました。半分以上が片鱗に侵されているという数字が衝撃的でした。特に「使われている」という表現が胸に刺さります。身体がもう片鱗の一部を自分の構造として認識していて、記憶まで複製されて区別がつかない—そんな状態でなお本人の指が動いた場面、アデルが「次はエルン本人に聞く」と言った決断にぐっときました。外から数字だけ見ても分からない、本人の言葉こそが助けになる—その言葉がとても深かったです。橘さんの繊細な心理描写が今回も光っていました🌸
#探偵
橘靖竜
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にゃいにゃい
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