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 リオンから己の父を護衛した仕事で何らかの法的手段に訴えると教えられたウーヴェは、その話を聞かされたときから考えている事を思い浮かべ、小さな溜息を零してデスクを指先で叩く。

 父と久しぶりに顔を合わせて言葉を交わしたが、その夜からウーヴェの中で何かが変化をしたようで、以前ならば自ら考えることなどなかったのに、気がつけば父の横顔が脳裏に浮かぶようになっていた。

 メディアに登場する度に気分が悪くなり、調子が悪いときならば頭痛が酷くて起きていられなくなるほどの体調不良をもたらす父が、あの夜を境に不機嫌さと違和感を伴いつつも己の中でその存在を肯定するような気配すら滲み出してきていたのだ。

 そんなことはあり得ないしあってはいけないと内なる己の囁きを封じるように目を伏せ、自ら制御できない事への苛立ちについ舌打ちをすると、受話器を取り上げてオルガに何ごとかを告げてデスクから立ち上がる。

 診察は終わったから良いものの、こんな気分のままでいると一緒に仕事をしているオルガに対して何を口走るか分からない為に気分転換をしてくると、ドアを開けて快く送り出してくれるオルガに告げてまだ寒い外の空気を吸うために階段を下りていったウーヴェは、ちょうどアパートのドアを開けようとしている初老の紳士に気付いて慌てて駆け寄り驚愕に満ちた声を挙げる。

 「先生・・・!」

 「やあ、ウーヴェ。何処かに出掛けるのかね?」

 ステッキを軽く掲げて紳士然とした態度で会釈をしてきたのは、先日のパーティで主賓として皆に祝福されたアイヒェンドルフだった。

 「少し・・・煮詰まっていたので、気分転換をしようかと」

 己の主治医の友人であり恩師でもあるアイヒェンドルフに隠し立てする事もできずに軽く事情を説明したウーヴェは、恩師が暖かな目で見守ってくれている事に気付いて唇を軽く噛んでしまう。

 「・・・時間があるのなら何処かでお茶でもしながら話そうか」

 それともきみのテリトリーの方が良いかねと片目を閉じられ、その言葉から恩師の配慮を感じ取ったウーヴェがエレベーターホールへと彼を案内し、ものの数分で、しかも一人ではなくアイヒェンドルフと一緒に戻ってきたウーヴェに目を瞠るオルガに無言で肩を竦め、お茶の用意を頼むと診察室のドアを開けて彼を招き入れる。

 「今日はどうされたのですか?」

 「この間のパーティのお礼だよ」

 「わざわざお越し下さらなくとも・・・」

 先日のパーティを思い出せば自然と別の顔も思い浮かんでしまい、眼鏡の下でターコイズ色の虹彩を左右に泳がせたウーヴェにアイヒェンドルフが目を細めるとデスクに腰を下ろした為、ウーヴェがいつもならば患者が腰掛ける一人がけのソファに座らざるを得なくなる。

 「─────今日は少し顔色が悪いようだね。何があったのか話してくれないかな、ウーヴェ」

 教授が顎の下で手を組んで優しいが決して逆らうことの出来ない声でウーヴェに理由を話せと告げると、ウーヴェが目を瞠ると同時に小刻みに顔を振る。

 「ウーヴェ。ここには私ときみしかいない。それはもう分かっているね。安心しなさい」

 ここでの話は録音も録画も当然していないし記録すら取らないから安心しろと告げるが、静かにドアがノックされた事に顔を上げ、オルガの入室を求める声に鷹揚に頷いて彼女を招き入れるといつもと違う光景にオルガが一瞬立ち止まるが、二人のお茶をデスクに置いて静かに部屋を出る。

 「フラウ・オルガ」

 「はい」

 「これから急患の診察を行うので、来客があれば対応を頼むよ」

 「・・・・・・かしこまりました」

 アイヒェンドルフの言葉にオルガも素早く事情を察したらしく、いつものように無表情に一礼をして診察室を出ると、プレートの下に診察中の札をぶら下げ、今できる事務仕事を片付ける事に集中するのだった。

 「さて、これでもう大丈夫だ」

 「・・・分からないんです」

 「何がわからないんだね?」

 オルガが出て行った後、額に手を宛いきつく目を閉じていたウーヴェがようやく口を開き、自分の気持ちが分からないと自嘲混じりに呟くと、アイヒェンドルフが顎の下で手を組んで目を細めながらお父さんの事かと問い掛けてウーヴェの身体をびくりと揺らしてしまう。

 「・・・友人にもまだ許せないのかと言われました」

 父や兄を憎むようになった事件から20年以上が経過するがまだ許せないのかと幼馴染みに折に触れ言われる事を告げると、アイヒェンドルフが目を伏せながら大きく頷く。

 「まだ許せないかね?」

 「・・・許せ・・・ませ、ん・・・っ・・・父がした事が・・・、ハシムと他の人たちの命を奪うことになったのです・・・っ」

 だから何年経とうとも許せるはずがないと、腿の上で拳を握って抑制した怒りを声に滲ませたウーヴェの言葉に恩師が医師の顔で頷き、それならば何がわからないのかと問い掛けると、額に宛っていた手で前髪を掻き上げたウーヴェが一見すれば理解不可能な表情を浮かべアイヒェンドルフの背後に何かを見ているような顔でぽつりと呟く。

 「・・・許せない筈の父が命を狙われたが無事だと知り・・・守ってくれたあいつに、ありがとうと・・・言ってしまったんです」

 長年ウーヴェを診察してきた友人に紹介され、大学では愛弟子として常に身近に置いていた頃から父や兄との確執は見聞きしていたが、今の言葉に込められている複雑な思いを感じ取るとただ驚愕に目を瞠ってしまう。

 「助けてくれてありがとう、そう言ったのかね?」

 「・・・・・・そんなつもりはありませんでした」

 だが気付けばその言葉を告げてしまったのだと、自分でも理解できない言葉だと苦しそうに眉を寄せるが、その時、ウーヴェの中にだけ聞こえる声が何かを囁いたようで、一瞬にして顔を蒼白にすると拳を口元に宛って息を飲む。

 「ウーヴェ、落ち着きなさい。大丈夫だ」

 今きみに聞こえている声は過去からのものだが、今のきみはその言葉に囚われる必要はないと穏やかな中にも厳しさを込めた声で告げると、程なくしてウーヴェの身体から緊張が取り除かれる。

 「分からない、んです・・・っ、先生・・・っ!」

 「ああ。分かっているから落ち着きなさい、ウーヴェ」

 父を許せない気持ちと許したいと考えた自分が入り混じり、どちらが本当に望んでいることなのかが分からないと胸に拳を宛って途切れ途切れに告白する彼にアイヒェンドルフが何度も頷くが、内心ではかなりの驚きを持ってその言葉を聞いていた。

 今までウーヴェの口から迷っている事を示す言葉など聞いたことが無いどころか、父や兄の話をするだけで過呼吸にも似た症状を引き起こしてしまい、ロクに会話も出来なかったのだ。

 それがこうして途切れていたとしても紛れもないウーヴェ自身の言葉で思いを伝えられるようになっていたのだから、彼の驚きは並大抵のものではなかった。

 ウーヴェの心の傷が未だに塞がることなく血を流し続けている事は誰よりも知っていたが、その傷の手当をした人がいる事に気付き、ウーヴェの言葉の中にその存在を見出して目を瞠る。

 あいつと親しげにウーヴェが呼ぶ存在がきっと傷に手を宛って流れ出す血を止めたのだろうと想像し、先に聞かされた幼馴染みかとも思うが、そうではないと直感で感じ取ったアイヒェンドルフは、いつから分からなくなったのかを問い掛けて予想通りに先日のパーティの翌日からだと教えられる。

 「あの日は何故か制服警官の姿をホテルで多く見たが、もしかしてその時にお父さんが命を狙われる事件があったのかね?」

 アイヒェンドルフの言葉にウーヴェが肩を揺らしてその通りですと顔を伏せて呟き、見え隠れする存在を確かめるように口を開く。

 「ところで、あいつとは誰の事なんだね?」

 「・・・・・・・・・」

 「私には教えたくない人なのかな?」

 口を閉ざすウーヴェに戯けたように片目を閉じて問い掛けるアイヒェンドルフの頭には一つの単語が当然のように思い浮かんでいて、ぽつりと呟かれたそれに納得の吐息を零すが思いかけない言葉も聞かされて激しく瞬きを繰り返す。

 「・・・恋人、です・・・刑事で・・・あの日、父の護衛をしていました」

 恋人だとは予測をしていたがまさか刑事だとは思わなかった彼は、刑事とオウム返しに呟いてウーヴェの白い頭を上下させる。

 「そうか・・・きみが巻き込まれた事件のことは知っているんだね?」

 「・・・はい・・・少し、話をしています」

 ウーヴェが過去の事件について話をした人の存在を初めて知ったアイヒェンドルフが驚愕と歓喜を顔だけではなく声にも混ぜ込んで手を打ち、ウーヴェの視線を向けさせることに成功すると心底嬉しそうな顔で大きく頷く。

 「先生・・・?」

 「・・・きみが自ら話をする人がいる・・・私にはそれが本当に嬉しいよ、ウーヴェ」

 今まで誰にも話すこともなく一人で傷を抱え込んでいたきみが、その傷について語る相手を持った事が嬉しいと目元の皺を笑みで深め、嬉しいという言葉には語弊があるかも知れないが率直に嬉しいと手を打ち、呆気に取られたように見つめてくるウーヴェの傍に向かうと、肘置きに載せられている手に手を重ねて愛おしむように撫でる。

 「良く語る勇気を持てた。今までのきみからすれば本当に大きく成長した」

 愛弟子を手放しで誉める教授の言葉にウーヴェが呆然と見つめ返すが、その言葉の意味を理解すると同時に脳裏に恋人の笑顔が浮かび上がる。

 今まで幼馴染以外詳しく話したことのない事件について、断片的ではあっても話すようになっていた恋人は、その話題が出るたびに傷を癒すように優しく抱き締めてくれるが、それがどれ程ウーヴェを救っているのかを教授の言葉から教えられ、ただ自分は救われるだけではなく気がつけば自身も成長していると誉められて俯いてしまう。

 「─────良い人と出逢えたのだね、ウーヴェ」

 どのような人かは分からないが、きみにとっては掛け替えのない人と出逢えた幸運に乾杯したいぐらいだと満面の笑みを浮かべ、俯くウーヴェの肩を撫でたアイヒェンドルフにウーヴェが小さく頷いてはいと答える。

 「いや、本当に嬉しいし安心した」

 「先生?」

 「やはりこの街を離れて新たな職場に出向くとなれば少しは不安だったからね」

 この街で元気にやっている事を疑わない為に出向くこともなかったが、離れてしまえば今まで以上に気に掛かるが、きみがそんなにも心を開く相手がいるのならばもう大丈夫だと大きく頷き、文字通り胸を撫で下ろしたアイヒェンドルフがデスクに寄り掛かって片目を閉じる。

 「きみの恋人を一度見てみたかったね」

 「・・・本当はパーティに出席するつもりでした。ですが・・・」

 「ああ、ああ。仕事で来ることが出来なかったのだね」

 「はい」

 教授の言葉にウーヴェが心底残念そうな顔で呟くと、そんなにも感情を露わにしたきみを久しぶりに見るよとからりと笑い、すっかり冷めてしまった紅茶が入っているカップをウーヴェに渡すと自らも口を付け、冷めていても美味しいねと同意を求める顔で笑いかける。

 「久しぶりにきみの診察をしたが、診察料はどうしようかね」

 一人がけのソファで威儀を正すように背筋を伸ばし、ありがとうございましたと頭を下げたウーヴェに茶目っ気たっぷりに片目を閉じたアイヒェンドルフだったが、言い忘れていたと掌に拳を打ち付けてウーヴェの首を傾げさせる。

 「お父さんの事を許したいのか許せないのかが分からないと言っていたが、今はそれで良いんだよ、ウーヴェ」

 「・・・・・・」

 「20年も憎んでいたんだ。今すぐ変われるはずがないし無理に決めつけることはない。心のあるがままにいなさい」

 「・・・・・・はい」

 穏やかにいつも己を導いてくれていた教授の声にウーヴェも小さいながらもしっかりと返事をし、学生の頃のようだと苦笑するときみは優等生だったから面白味がなかったと笑われて碧の瞳に不満を浮かべる。

 「きみの仲間達とも久しぶりに話をしたが、彼らも皆それぞれ頑張っているようで安心したよ」

 「そうですね」

 「きみももう大丈夫だろう。それにきみのお父さんもどんなきみでも受け止めてくれる人だから安心だ」

 「?」

 大丈夫だと頷いた後の言葉がウーヴェに届かず、小首を傾げて何ですかと問いかけてみてもアイヒェンドルフは何も答えずに、これで一つ肩の荷が下りたと笑ってデスクから離れると大股にドアへと向かい、急患の診察が終わった事をオルガに伝える。

 「次回予約はどうしましょうか」

 ウーヴェとのやり取りのままにオルガが少しだけ茶目っ気を込めて己のボスの恩師に問えば、当分の間診察は不要だろうと厳かに答えられる。

 「分かりました」

 ならばカルテも不要ですねと頷いて用意していたバインダーをデスクに戻した彼女は、教授のステッキを手にしたウーヴェが出て来た事に目を細め、お疲れさまでしたと様々な思いを込めて労いの言葉を掛ける。

 「・・・ありがとう、リア」

 「紅茶のお代わりはどう?ケーキを切ろうかと思っていたの」

 オルガの言葉にウーヴェが考え込むように天井を見上げ、アイヒェンドルフに今度は教授の話を聞きたいので是非と誘いの言葉を告げるが、片目を閉じながら今日の診察料はもしかしてこのケーキかと返されて暫し沈黙し、おつりが来るほど美味しいですよと綺麗な笑顔で教授と二人で診察室に戻っていくが、アイヒェンドルフが入口で振り返り、あなたも一緒にどうぞと、オルガにも同席するように片眼を閉じる。

 その後ろ姿を頷いて見送ったオルガが安堵と嬉しさを混ぜた笑みを浮かべ、キッチンスペースでケーキとそれに合う紅茶を選び、三人分のケーキとカップと紅茶をトレイに載せて診察室のドアをノックするのだった。



 ウーヴェが恩師の訪問と診察を急遽受けていた頃、リオンは周囲の同僚が呆れるような悪態を吐きながら書類と格闘していた。

 警察の仕事で大切な事だとは分かっていても報告書の類は苦手で、がりがりと髪を掻きむしりながらミミズがのたくった様な文字で記入しているが、それを後ろからわざわざ身を乗り出して覗き込んだジルベルトが全く読めないと冷やかした為にいつもの言葉の応酬に発展してしまい、ヒンケルが飛び出してきて制止をするよりも先に今回はリオンの携帯が傍迷惑な大きさで鳴り響いた為に二人が舌戦を止めて顔を見合わせる。

 「・・・誰だ?」

 リオンの携帯を見れば登録していない番号からの着信だった為に誰かが分からず、相手が分からない電話に出るのはガキの頃で終わったと訳の分からないことを平然と嘯いて強制的にコールを止めさせて再度書類に向き直るが、3分もしないうちに同じ番号からの着信が再度あり、ああうるさいと髪を掻きむしって携帯を投げ出そうとする。

 「早く出ろよ、リオン」

 「お前が代わりに出ろよ、ジル」

 「お前の携帯に俺が出てどうするんだよ、馬鹿野郎」

 「シャイセ」

 きっとここにウーヴェがいれば険しい顔でリオンを睨み付けてピアスが光る耳朶を思い切り引っ張るだろうが、幸か不幸かここにいるのはリオンとジルベルトの舌戦が日常茶飯事な面々ばかりで、早く出ろとデスクの向こうから暢気な声が投げ掛けられるだけだった。

 「・・・Ja」

 渋々電話に出たのだからさっさと用件を言えと言い放ったリオンを呆れたように見守っていた同僚達だったが、程なくして椅子を背後に蹴り倒す勢いで立ち上がったリオンの顔が緊張に強張っている事に互いに顔を見合わせて何ごとだと囁き合うが、親父という言葉がリオンの口から流れ出した刹那、バルツァー会長からだと気付いた皆がリオンを取り囲むように集まってくる。

 週末の護衛での不始末を法的な手段で訴えると言っていたそうだが、書状ではなく本人からの直接の訴えがあったのかと予測をし、一人がヒンケルの執務室のドアを破る勢いでノックをして飛び出してきた上司に手短に説明をする。

 同僚達の静かな喧噪の中心でリオンが携帯から流れてくる言葉を脳味噌に刻むように耳を傾けていたが、ある言葉を聞いた直後にぽかんと口を開けて間抜け面を晒してしまう。

 「へ・・・!?」

 呆然とするリオンが更に何ごとかを告げられたらしく、慌ててちょっと待ってくれと言い募るが、携帯を耳から離した事でリオンの言葉が伝わらずに通話が終わった事を周囲が悟り、不安と好奇心が入り混じった目でリオンを見つめてしまう。

 「・・・うわっ!!」

 みんなで何を見つめているんだと、己が世界の中心にいたことに気付いたリオンが驚きに飛び上がると、ジルベルトがすかさずリオンの肩に腕を回して何を言われたのかを問い掛ける。

 「うるせぇな、何でも良いだろ?」

 「このままじゃあ気になって帰れねぇだろ?」

 だから早く言えとリオンを急かすが、リオンがにたりと笑みを浮かべてジルベルトを至近距離で見つめる。

 「ソレントへ帰れ」

 「俺はじいちゃんの代から地元のジリアーティを愛してるんだよ。だからソレントになんか帰れるか、馬鹿野郎」

 イタリアのフィレンツェ出身のジルベルトに対するからかいの言葉だったが、ジルベルトがにやりと笑みを浮かべて残念だったなと鼻先で笑うと、リオンが面白く無さそうな顔でそっぽを向く。

 「・・・リオン」

 そんな二人の背中に呼びかけたのはヒンケルで、振り返ったリオンに顎でこちらに来いと告げると返事も聞かずに踵を返す。

 「一番心配してるのは警部だな」

 「・・・まぁな」

 やれやれと溜息を吐きつつヒンケルの言葉には逆らえないためにジルベルトの腕を振り解いたリオンは、背後から聞こえる声に無言で肩を竦めてドアを開けてデスクの前に向かうと、腰の上で手を組んでヒンケルを見下ろす。

 「バルツァー会長からか」

 「Ja.・・・明日の夜7時にホテルに来いと言われました」

 「ホテル?」

 「・・・この間の件についての話なのか探ったんですけどね、全く分かりませんでした」

 ただ、日時の指定をされて時間はきっちりと守れと言うとこちらの言葉など全く聞かずに通話が切れたと肩を竦めたリオンは、仕事の話だとは思うがと呟いて上司の返事を待つ。

 「・・・どういう事だ」

 「分からないから聞いてるんでしょ。何か考えて下さいよ」

 リオンの言葉にヒンケルがじろりと鋭い目つきで睨むが、睨まれた方は何処吹く風と言った顔で答えを待ち構えていた為、一つ溜息を零して腕を組んで椅子の背もたれを軋ませる。

 「仕事の話ならここに来ればいいだろう。お前を呼び出す必要はない」

 「俺もそう思います」

 それに今回の仕事の話もここで初めて聞かされた事を思い出せば、何故ホテルに出向かなければならないのかが分からないと苦笑し、互いの顔に同じ疑問が浮かび上がっている事に気付いて目を細める。

 「とにかく、理由が分からないんで明日ホテルに行って来ます」

 「ああ。もしも今回の事件で抗議文などではなくお前を訴えるなどと言われたら訴状を提出しろと言うんだぞ」

 「了解。ボス、訴状を出すのが面倒だからお前に直接訴えたと言われたらどうします?」

 ひとまず明日の対応を話し合った二人だが、突然電話をしてきたレオポルドの真意が全く読めずに舌打ちをし、訴状の提出が面倒だなどと言えば訴えること自体が面倒だとヒンケルが笑ったためにリオンも安堵の表情を浮かべ、確かにその通りだと目を細めると踵を返してヒンケルの部屋を出て行くが、今度は同僚達に再度取り囲まれてしまう。

 「何だよ、もう」

 「バルツァー会長と明日デートなのか?」

 「げー、吐きそうだから止めてくれっ!」

 息子はこよなく愛しているしその事を周囲に公表するのにも全く躊躇いはないが、その親父とデートだと言われてしまえばただただ気持ちが悪いと心底気持ち悪い顔でリオンが舌を出すと、ならばその愛する息子に頼んでみればどうだと笑われて目を丸くする。

 「コニー?」

 「お前への訴えがもしもあるのなら、ドクに頼んでみればどうだ?」

 息子なのだから取りなしてくれるかも知れないぞと苦笑されるが、そんなことは考えたことがなかったとリオンが呟き、周囲が瞬きをしてどういう事だと先を促す。

 「・・・オーヴェは親の七光りを嫌うからな。自分からその光を利用するとは思えねぇ」

 「ああ、そう言えばそうだったな」

 具体的に家族の仲が悪い事を伝えずとも日頃の言動の一端を告げれば納得してくれた為、リオンは内心で溜息を零しながら明日が来るのが怖いと身体を震わせる。

 「映画とかで死刑台に登る直前の囚人ってこんな気持ちなのかな・・・」

 「何を大袈裟なことを言ってるんだ、バカ」

 「そうよ。たかが傷害未遂の尻拭いでしょ」

 リオンが胸の前で手を組んで天井を見上げ、神様どうか許して下さいと涙目になって訴えたため、コーヒーを飲んでいたコニーが吹き出し、その横ではダニエラが腰に手を宛って憤慨する。

 「そんなことより、さっさと報告書を仕上げろ、リオン」

 「げっ!忘れてた!!」

 コニーの優しくない一言に慌てふためいて己のデスクに戻ったリオンは、自分史上最高の早さで報告書を仕上げに取り掛かるが、脳味噌ではレオポルドの心なしか明るい声が木霊しているのだった。



 今日は書類書きの仕事で疲れたと宣いながらウーヴェの自宅リビングのソファに寝転がったリオンは、苦笑しつつもよく冷えたフルート型のシャンパングラスと同じくよく冷えた白ワインをテーブルに置くウーヴェを視線で追いかけるが、シャンパングラスに白ワインが注がれたのを見ると同時に起き上がり、そこに炭酸水をつぎ足してバースプーンで軽くステアする。

 「こら」

 「今ワインを飲んだらオーヴェの料理の味が消えちゃうでしょ」

 そんなもったいないことはしたくないからと炭酸水で割った白ワインを一息に飲んで満足げに溜息を零すと、隣に腰を下ろしてこちらは純粋に白ワインを飲み始めた恋人の肩に腕を回して懐くように頬を押し当て、どうか先日のように取り乱さないでくれと密かに願いつつ口を開く。

 「どうした?」

 「・・・うん・・・今日親父から電話があった」

 「・・・そう、なのか?」

 「うん。話があるから明日夜の7時にホテルに来いって言われた」

 多分この時期に自分を呼び出すのだからこの間の仕事のことだろうと苦笑したリオンにウーヴェがグラスを置いた手でその髪を撫で大丈夫だと囁きながら頭を傾ければ、腰に手が回されて抱き寄せられる。

 「・・・なあオーヴェ、親父に会いに行っても良いか?」

 「仕事・・・なんだろう・・・?」

 どうして自分に断りを入れるんだと苦笑したウーヴェをじっと見つめたリオンは、少しだけ距離をとって頭に手を載せ、お前が悩んだり苦しんだりするのは嫌だと眉尻を下げて苦笑するが、何かを吹っ切ったような顔でウーヴェが目を伏せて安心させるように小さく頷く。

 「・・・だ、いじょうぶだ」

 「・・・そっか」

 「ああ。仕事なんだ、俺のことなど、気にする・・・な」

 途切れ途切れの言葉からそれが強がりでも何でもない、ウーヴェが今感じて思っている事そのものだと気付き、一度頭を下げたリオンだったが勢いよく顔を上げると同時にウーヴェの身体に腕を回して抱き締める。

 名前を聞くだけでも不機嫌になる父に会いに行くと伝えたが、きっとウーヴェの中では推し量ることの出来ない葛藤があるはずだった。

 だがそれを感じさせることで自分の負担になると思うのか、途切れた言葉にだけその葛藤を滲ませる恋人が愛おしくて、感謝の思いを込めながら背中を撫でて手触りのよい白い髪に頬を押し当てる。

 「明日、行ってくるな」

 「ああ。もしも無理難題を言われれば・・・」

 その時はすぐに電話をしてこいと、くすんだ金髪の中に隠れる耳に囁きかけたウーヴェの背中をリオンがぽんと叩き、自分の尻拭いは自分で出来ると強い口調で告げられて悪かったと直ぐさま謝罪をする。

 「お前の実力を信じていない訳じゃない」

 「うん、知ってる。俺を思っての言葉だってのも分かってる」

 ただ、何処で仕事の話になるのか分からないがとリオンが告げるとウーヴェが先を読んだように苦笑し、何時になっても良いから連絡をしてくれば迎えに行くと告げた為、リオンの全身から嬉しそうな気配が滲み出て、つられるようにウーヴェも自然と笑みを浮かべてしまい、恩師が告げた言葉を脳裏に響かせる。

 良い相手と巡り会えた事を喜んでくれた恩師の言葉が子供のような笑顔と重なり、本当にリオンと出逢えて良かったと胸中で呟くとそのまま身を任せるように寄り掛かるが、しっかりと受け止められて小さく笑い声を零してしまう。

 「あ、笑うなよ、オーヴェ」

 「・・・仕方がないだろう?」

 「何が仕方がないんだよ、意味分かんねぇって」

 ぶつぶつと文句を垂れる恋人に尚も笑ってしまったウーヴェは、じろりと怖い目で睨まれて肩を竦めるが、腰を抱かれている為に逃げることも出来ず、可能な限り上体を反らしてリオンから距離を置こうとする。

 「リオン、離せっ!」

 「イ・ヤ」

 「リーオっ」

 「ヤダね」

 離せ離さないとソファの上でじたばたと藻掻いた二人だったが、狭いソファの上だった為にバランスを崩してしまい、慌ててソファの背もたれを掴もうとウーヴェが手を伸ばしても間に合わずに二人揃ってソファの下に敷いてあるラグの上に落ちてしまう。

 「いてぇ!!」

 「バカタレっ!」

 お前が離さないから落ちたんだとリオンの上に腹這いになったままウーヴェが怒鳴り、乗られているのに何で怒られるんだよとリオンが頬を膨らませるが、程なくしてどちらも事態のおかしさに気付いたのか肩を揺らして笑いあい、一頻り笑いあうと同時にどちらからともなく顔を寄せて額と額を重ね合わせ、鼻先を擦り合わせて唇を重ねる。

 「・・・ん・・・っ」

 「・・・行ってくるな、オーヴェ」

 「・・・ああ・・・っ」

 胸を張って行ってこいとリオンの広い背中に手を回してしっかりと抱き締めたウーヴェは、脳味噌の片隅に浮かんでいる父の横顔に気付いて一度きつく目を閉じるが、恩師のありのままで良いとの言葉と今全身を包むような温もりから勇気を貰いうけ、リオンの耳に口を寄せて信じて待っていると囁くと、その言葉を疑わない強さで待っていてくれと言われ、目を伏せることでその言葉を心の中に滑り込ませて全身に行き渡らせるのだった。



Über das glückliche Leben.

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