コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
暗闇の中、狭い馬車で座りながら眠る。騎士達は外で、ハロルドはもう一台の馬車で眠っている。
あれは無事なはずだ、年寄は興奮して口走っただけだ。だが、あれの亡骸を想像してしまった、心臓をくりぬかれたのかと思うほど苦しくなった。やはり失えない、俺にはあれが必要だ。早くこの腕の中に戻さねば、不安は消えん。
焚き火の灯りを頼りに使用人達が食事の準備に動き出す。その気配で目が覚め、馬車から降りて固まった体を解し伸ばしていく。
遠くの空が白み始める。頭からマントを羽織り、ゾルダーク領の使用人が乗ってきた馬に跨がる。王都から乗ってきた馬達には無理があると馬丁に止められ、邸にいた強い馬を使うことになった。
俺を先頭に駆け出す。休憩を挟んでも昼には王都に入るが日中の王都は人が多い、馬で駆けると事故に繋がる。王都に入るまで休憩は無しだ。俺が止まらなければ後ろの奴らも理解するだろう。
頬を撫でる大きな手に目を覚ます。若く優しい面差しのハンクと目が合う。長い髪がカイランだと教えてくれる。
「起きたの?」
「うん、おはよう」
おはよう、と返すとカイランは首を伸ばし、寝ぼけている私の額に口を落とした。それは直ぐに離れたけれど私の意識は鮮明になった。
「こういうことは相手に聞いてからするのよ」
苛立ち、睨んでしまうがカイランには効いてない。満足そうに微笑み腹に触れ撫でている。
寝ているね、と呟いているが無視をする。
「怒った?」
答えない。朝から苛立たせてなんなのかしら。
「今度は聞いてからするよ」
断るけれど。なんだか開き直っているようね。
「駄目と言ったら、しては駄目なのよ」
「駄目と言われたらまた聞くよ、唇にしてもいい?」
「駄目」
カイランは幸せそうに笑っている。何がしたいのかしらね。ジュノが困っているわよ、ダントルも覗いているし。
「朝食を共に取ってもいいかい?」
断る理由がないわね。私が頷くと、ダントルに向けてトニーに朝食を共にすると告げるよう命じている。
「まだかかる、もう少しここにいてくれ」
カイランの分を運ぶなら、待たなくてはならないわね。私は頷きで答える。ご機嫌で私の髪を指に巻き付け遊んでいる。ハンクの匂いは消えてしまった。それでもこの枕は手放せない。四日以内なら明日には戻ってくる、もう少しよ。
「父上なら無事だ」
私の心を読んだように話し出す。
「ゾルダークには父上が必要なんだ、お祖父様も手は出せない。諌めただけだよ」
それはそうね。ハンクが儚くなったらカイランが当主よ、衰退するわ。
「老公爵様はカイランに後妻を与えるそうよ」
私がハンクから離れず、カイランの元へいかなければ、そんな未来もある。カイランはご機嫌のまま話し出す。
「そうか、閨をしなければ媚薬でも盛られるかな。そんな事態になったら僕は消えてやる。キャスリンをどうにかするなら種馬は消えるよ」
カイランにそんな大それたことができるのかしら。ゾルダークから離れて生きていくなんて想像できないわね。
「それは面白いわね。老公爵様は泣いてしまうわ」
年老いた人を泣かせるなんて、非道なことを話しているのに笑いが込み上げる。私が嫁いだせいでゾルダークは破滅ね。
「お嬢様、顔を洗いましょう」
お湯が届いたようだわ。
「カイランは枕と掛け布を持って部屋に戻って顔を拭いてね」
カイランは頷いて起き上がり、枕を持って掛け布を引きずりながら寝室を出ていく。なんだか大きな子供ね。よく泣くし、態度がおかしいし、扱いにくいわ。
ジュノが布で顔を拭いてくれる。
「カイランは変なことしてないわよね?」
「お嬢様の髪を触っていたようですけど、私には背を向けておられたので…体は動いていませんでしたよ」
親子は行動まで似るのかしらね。
「お嬢の腹を撫でたあと毛に触ってましたよ、旦那様がよくやるやつ」
ダントルが扉の隙間から教えてくれる。しっかり警戒してくれていたのね、ちゃんと寝たのかしら。ジュノが扉を閉め、ガウンを脱ぎ夜着から妊婦服に着替える。髪を櫛で丁寧に梳かしていく。背中までだった長さが腰まで伸びた。婚姻してから切ってないわね、揃えるくらいなら切ってかまわないかしら。ハンクが戻ったら聞いてみよう。
居室に入るとトニーを侍らせたカイランが座って待っていた。カイランと朝食を共にするのは初めてだったかしら?記憶にないわね。
カイランはソファを叩き、ここに座るよう求めてくる。私の朝食をそこに置くよう命じたわね。機嫌のよいカイランの隣に腰掛け食べ始める。ハンクほどではないけどカイランもよく食べる。体が大きい人は沢山食べるのね。今日も出されたものは全て食べ、食後は果実水を飲む。カイランも同じように果実水を欲しがり、トニーが器に注ぎ渡している。
「ソーマから鍵を借りたわ。もう宝石屋を困らせては駄目よ」
わかったよ、と答え頷いている。カイランが自室へ戻り、渡された鍵で扉に鍵をかける。
ソファに座り刺繍を始める。もう出来上がるわ。空色に濃い紺色の糸でゾルダークの家紋を刺した。これならハンクが持っていても恥ずかしくないわね。一刻ほどかけとうとう出来上がった。ジュノに見せダントルに見せる。ジュノは頷いてくれたがダントルは首を傾げるだけ、褒めて欲しいなんて思ってないわよ、出来上がって嬉しいだけよ。ジュノに頼んで布の皺をのばしてもらう。
「お嬢、カイラン様に渡したのとどこが違うんです?」
「あれより上手にできたのよ」
大雑把なダントルにはわからないのよ。体が固まってしまったわね。昼食を食べたら散歩をしなくては。ライアン様から体力をつけたほうがいいと言われている。
あと三月ほど経てばいつ生まれてもいいくらい子が中で育つと言われた。一番目は男の子が生まれてくれるのがいいけど、元気ならどちらでもよくなるわね。ハンクは名前を考えているのかしら。
ぼんやり花を眺め思考にふける。昼食を食べたあと眠くなり寝てしまった。もう日は傾いている。眠りすぎてる、もう少し長く歩いたほうがいいかもしれない。四阿にたどり着くと先回りしていたアンナリアが待っていた。
「アンナリア、ありがとう。喉が乾いたわ」
冷たい果実水を器に移し私に渡す。
「温かい紅茶より果実水のほうが飲みたくなるのよ」
「妊婦は食べ物の好みが変わりますから」
そういうものなのね。腹を撫でると叩いてはくれない、寝ているようね。
「お嬢!」
四阿の入り口から外を見ていたダントルが声を出す。ダントルの指差す方向を格子の間から覗くとマントを頭から被った大柄な人物が花を踏み潰しながら向かってくる。間違いなくハンクよね。折角作った近道が意味を成さない。ダントルは脇にずれ道を開ける。私は驚きのあまり立てずただ足早に近づくハンクを見ていた。
目の前に現れたハンクはマントに花びらを纏わせて立ち止まる。
「今日は三日目ですわ」
私の前に跪き、大きな手が頬に触れる。顔が近づき大きな口が私の口を覆う。ハンクの舌が私の中に入り込み蠢く。唾液を啜られ歯列を撫で舌を絡ませる。頬に触れようとするとマントが邪魔をする。マントを引きハンクの顔を出し、濃い紺色を撫でる。口が離れ黒い瞳と見つめ合う。頬に触れるとざらざらしている、髭が伸びてる。益々野性味が溢れて素敵ね。砂っぽい髭を撫でる。
「変わりないか」
「ええ」
本物なのね、確かめたく顔中に触れる。ハンクも私の下腹を撫でている。
「どこも怪我をしていない?」
「ああ」
ハンクは私の膝に頭を乗せ頬擦りをしている。
「おかえりなさい」
「ああ」
ハンクの濃い紺色に私の涙が落ちていく。どれだけ無理をしたのかしら。ちゃんとゾルダーク領へ行ったのかしら、途中で戻ってきたのではないの?
「ハンク」
私は器から果実水を口に含みハンクに与える。どうしても溢れてしまうけど、ハンクはもっとくれと欲しがるから、また口に含み流し込む。何度も欲しがる、喉が乾いていたのね、器の中は全てハンクに飲まれたわ。口を合わせたまま舌を絡め果実水の味を楽しむ。
「寂しかったか?」
「ええ、とっても。ハンクの使った枕を抱いて、ガウンも借りて眠ったわ。今日は私を抱きしめて眠って」
濃い紺色の髪を後ろに撫で付け額に口を落とす。埃っぽいから、手のひらで拭ってもう一度落とす。ハンクは立ち上がり水差しから直接飲んでいる。水も飲まずに戻ってきたの?マントを掴み、私にもと引っ張る。私を見下ろすハンクは屈みこみ私に果実水を流し込む。口が離れるとそこへソーマが声をかける。
「旦那様、マントを脱いでください。キャスリン様が汚れます」
もう遅いと思うのだけど、抱き上げられるなら脱いで欲しいわね。
「湯に入りますか?私に洗わせて」
ハンクは私から離れマントを脱ぎソーマに渡す。
「俺の浴室に湯を張れ」
ソーマに命じて私に近づき、いつものように持ち上げ膝に置いた。
「急いで戻ってくれたのね」
目の前にあるハンクの胸を撫で、存在を確認する。ハンクの手は私の頭を撫でている。見上げて髭のハンクを眺める。
「お髭があっても素敵です」
大きな手で自身の顔を撫で髭を確認している。自分で剃れるのかしら、きっとソーマが剃っているのよね。口を開けると厚い舌を入れてくれる。口を合わせ首に腕を回す。
戻ってきたわ、よかった。この腕の中は安心する。