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第一発見者→私。
死体遺棄現場→秋元仁美(あきもとひとみ)の名前が書かれた下足箱。
死因→溺死or刺殺。
殺害現場→不明。
凶器→不明。
容疑者→……多数。
「はあ」
私はそれを見て頭を掻いた。
このレベルで県内唯一のお嬢様学校と謳われているのだから笑わせる。
可哀そうな罪なき私の上履きは、「死ね」「ヤリマン」「殺す」「出て行け」という、昭和さながらの古めかしい文句をマジックで書かれながら、ビショビショに濡らされ切り刻まれるという、変わり果てた姿で発見された。
―――別に好きでこの地に引っ越してきたわけではないし、喜んでこの学校に転校してきたわけではないのに。
職員玄関に回って、来客用の緑色のスリッパを履くと、もう一度ため息が込み上げてきた。
2年5組。
別名=豚小屋のドアを開ける。
ウキャキャ。
ぷくくく。
どこからか笑い声がした。
―――どうやらこの豚共には、そんなこともわからないらしい。
ギロリと教室中を睨み落とす。
「―――こわ……」
誰かが呟き、また豚共がブヒブヒと笑う。
私は席に歩み寄ると、椅子を引いた。
「…………!」
その椅子にはべっとりと精液がこびり付いていた。
「ぷぷぷぷ!」
「―――あははは!」
揺れるようにクラス中が笑いだす。
―――落ち着け。
これは精液じゃない。
なぜならこの学校には教師や職員を含め、男性はいない。
だからこれは、練乳やでんぷんのりといった類のもので、
拭き取れば終わり。
拭き取れば―――終わりだ。
私は通学鞄の中から除菌ウェットティッシュを取り出すと、それを拭き始めた。
「おお」
「さすが違うね、動じない」
心にもない賛美が浴びせられる。
「―――やっぱり慣れてるんじゃない?」
「あーあ。ね?」
「そりゃそうでしょ。だって―――」
―――だって、社長令嬢を顔と身体で落としたっていう、あの男の娘だもんね?
◆◆◆◆
父、裕孝の女癖の悪さは何も今に始まったことではない。
私が生まれてもうすぐ17年になるわけだが、その17年間ずっとだった。
とにかく顔が良く、父が微笑めば、彼の従弟が連れてきた婚約者だって、地区会で有名な鬼婆だって、国立公園で騒いでいた暴走族の女総長だって、みんな頬を赤らめた。
顔だけではない。
彼は度量が大きく、度胸まで備わっていて、仕事でも人間関係でも、並大抵のことはその回る頭で突破口を捉え、回る口でねじ伏せてきた。
その鮮やかさに惚れるのは女性だけではなく、ときには男性をも夢中にさせた。
3年前ーーー。
いくつもの会社を経営する秋元グループの長である秋元良臣(あきもとよしおみ)に目を掛けられたのは、偶然だった。
父が経営する小さな会計事務所が、グループの横領事件を担当したとかで、秋元に見初められたのだ。
休日の度に、山だ川だと秋元に連れられて、狩猟の旅に泊まりで出かける夫に母が苦言を呈すると、父は笑った。
「チャンスなんだよ。あんな大きなグループの会計を任せてもらえれば、もうそれだけでもうちの会計事務所が回っていくだけの金額が毎年度入る。
そうすれば、パートやアルバイトも雇って、今まで見たいに深夜までの残業したり、休日出勤したりしないで済むんだよ」
腕を組む母に、父は笑顔で言った。
「あと少しなんだ。協力してくれ!」
父の言葉を聞きながら私は、
母は結局、父を許すだろうと思った。
そして父が言うように本当にアルバイトやパートが入ったら、
父は結局、その女たちとも身体の関係を結ぶのだろうと思った。
◆◆◆
学校に到着したのが8時15分。
帰りのホームルームが終わったのが15時50分。
その間―――7時間35分。
そんな短い時間の中で私の外履きまで、何者かによって連れ去られた。
「――――はあ」
腹の底からため息が出る。
下らない。下らない。
下らない下らない下らない。
この世はどうしてこうも下らないのだろう。
仕方ないのでスリッパのまま帰る。
どうせそんな恰好で帰っても家に心配してくれる人などいない。
玄関ドアを開けた瞬間、中から父が飛び出してきた。
「おっと!おかえり!」
父はいつもの胡散臭い笑顔で私にそう言った。
「お父さん、これから出てくるから!」
いつものスーツではない。よそ行きのスーツ。
それなのにネクタイは結んでいない。
―――バレるってそんなんじゃ。
私は目を細めながら、
「行ってらっしゃい」
と言った。
彼は娘のスリッパ姿を見ても何も言わず、自分はフェラガモの革靴をつっかけて、家を出て行った。
あんな男のどこがいいのだろう。
身内だからそう思うのではない。客観的に、常識的に、そう思うのだ。
母は、あまり気量も容姿もいい女ではなかった。
ただ彼女は父を許した。何をしても。
許すことが美学とでも言うように、
父が雇ったパートの女と浮気をしても、
父が私の保育園の友達の母親と関係を持った時も、
父が自分が経営する会社で200万円を横領したときも、
町内会主催の納涼祭の売り上げをそっくり盗んで、一家で町を追い出されたときも、
彼女は全て、
全て、許した。
「お父さんはね、仁美。私がいないとダメなのよ」
母はどこか自慢げに言った。
「どこに遊びに行っても、結局は私のところに戻ってくるの」
その言葉を聞くたび、母の頭の悪さに鳥肌が立った。
しかし、秋元グループの社長に気に入られたとかで、家を頻繁に開けるようになってから三ヶ月後、彼はついに戻らなかった。
心配した母が警察に駆け込むと、すでに根回しされていた警察は、父からの連絡を待つようにと母を諭した。
その二日後、離婚協議申入書、並びに内容証明付きの離婚届が送られてきた。
そこには離婚の代わりに、慰謝料として2000万円払うという旨が書いてあった。
500万円が相場といわれている離婚慰謝料額を、破格の2000万円を用意できるというのは、さすが秋元家と言わざるを得なかったが、私は今回ばかりは母は許さないと踏んでいた。
そうであってほしいと思っていた。
しかし母はーーー許した。
離婚届に迷わず判を押し、その日の午前中に市役所に出しに行った。
「仁美、お父さんはね」
市役所で隣に座った母は、私を見もせず、古ぼけた市役所の割れた床タイルを見ながら言った。
「絶対に帰ってくるわ」
「――――」
ーーーそれは見物だ。
私は神妙そうな顔で頷きながら、心の中では鼻で笑った。
「絶対に、よ」
そう言った彼女の頸部は、なぜか腫れあがっていた。
それが乳癌によるリンパ節転移の症状であるとわかったのは、それから僅か一ヶ月後だった。
◆◆◆◆◆
リンパ節に転移した癌は母の身体の隅々まで蝕んでいた。
即入院となり、両乳房を切除する手術が行われた。
しかし同時に始まった抗癌剤治療では、リンパを通して骨や皮膚にまで転移した癌の勢いを殺ぐことはできず、入院から三ケ月後、母はあっけなく亡くなった。
離婚から僅か六ヶ月後のことだった。
息を引き取る瞬間、涙を浮かべた母の乾いた唇から出たのは、手を握った娘の名前ではなかった。
「……裕孝さん」
その異様な光景に、私はもちろん医療関係者たちも眉間に皺を寄せた。
母は宙を見ながら、フフフと笑った。
「………おかえり」
それが40年間生きてきた彼女の最後の言葉となった。
葬式に現れた喪服の父を、
祖母は「あなたのせいよ!」と責め立てて、
祖父は殴った。
「仁美のことはどうするつもりなの?」
血だらけになった父に、祖母は割れた声で叫んだ。
「もちろん引き取ります。仁美は私の唯一の娘なので!」
父の言葉に、怒り狂いながらも祖父母は安心したようだった。
祖父母に愛されていない自覚のあった私は、
「仁美、行こう」
迷いなく手を伸ばしてくれた父の手にしがみ付いた。
◆◆◆
初めて会った葉子は、テレビの液晶で観るよりも痩せていて、美しかった。
若い彼女は、そこはさすが社長令嬢として生きてきただけあって、嫌な顔一つ見せずに、私を迎え入れた。
自室として与えられた1階の8畳の洋室。
ここが私の人生の全てだ。
防音仕様の梁材に加え、防犯のためか1階の窓ガラスは全て、防音の強化ガラスで出来ていて、
表で鳥が鳴く声も、
転校させられたお嬢様学校で、囁かれる悪口も、
死んで尚、待ち続ける母親の笑い声も、
連日行われる父と新妻のセックスの声も聞こえない。
私は学習机に座り、一昨年、伊豆への家族旅行の際に常連の滝をバックに三人で撮った写真を見つめた。
笑顔の父。
私の肩に手を回す母。
15歳の私。
ろくでなしの助平男に、
とてつもなく頭の悪い木偶の坊女に、
魂の入っていない人形の私。
父が嫌いだった。
家族を顧みず、自分の性と欲だけに生きる父が嫌いだった。
母が嫌いだった。
プライドも自己愛もなく、ただ父への愛を貫き通すことしか能のなかった母が嫌いだった。
そして―――。
そんな両親を咎めることも、救うことも出来ずに、そのどちらも失おうとしている自分のことは、
大嫌いだった。