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雨宮霊能事務所に、香ばしい匂いが立ち込めていた。
中央のテーブルには巨大なホットプレートが置かれており、番匠屋琉偉はその上で巨大なお好み焼きを見事な手際で焼き上げつつあった。
そんな琉偉を胡散臭そうに睨む露子だったが、琉偉に気にする様子はない。完全にお好み焼きを焼くことに集中しており、他の全てを意に介していないかのようだった。
やがてお好み焼きは焼き上がり、琉偉はヘラで丁寧に人数分に切り分けていく。
「さあご賞味あれ。これ……うまいよ」
言いつつ、琉偉は切り分けた中でも一際大きなものを皿に乗せて差し出す。
「退院おめでとう、和葉ちゃん」
和葉は皿を受け取って幸せそうに満面の笑みを浮かべた。
「はい! ありがとうございます!」
番匠屋琉偉主催の、早坂和葉退院を祝したお好み焼きパーティーである。
***
露子はしばらく、お好み焼きを訝しげに睨んでいたが、やがてその香りに負けたのか少しだけ口にする。そしてその瞬間、露子は目を見開いた。
「……何これ!? 何でアンタみたいなのがこんなの作れるワケ!?」
「うむ。これは確かにうまいな。いけ好かない奴だと思っていたが見直したぞ。少しだけな」
驚く露子の隣では、絆菜までもが感心したようにうなずきつつお好み焼きの味を噛み締めている。
「ふふーーん! そうッス! 先生は最高! 最強! のゴーストハンターであると同時に、超天才料理人ッス! ありがたく食べるッスよ!」
「はい! とってもありがたいです!」
はしゃぐ准を素直に肯定し、和葉は最後の一口を終える。どう考えても和葉には足りない分量だったが、これ以上の材料は用意されていない。
とは言え、時間帯は昼過ぎなので和葉は数時間前に昼食をたらふく食べた後だったのだが。
「それにしても、琉偉さん達と二人、いつの間にか仲良くなってたんですね!」
「はぁ!? なってないわよ! ただの業務提携よ!」
和葉の言葉に、すかさず露子が怒鳴り散らすと、隣で絆菜が露子の肩を抱く。
「ああそうだ。だが私と露子は仲良しになったがな」
「それもなってない! ベタベタすんな!」
絆菜を強引に押し返す露子を見て、和葉は笑みをこぼす。ようやく久しぶりに、自分の日常を取り戻したような気分だ。
ただ一つ、雨宮浸がそばにいないことを除けば。
「朝宮さんの言う通り、ただの業務提携だよ。俺が仲良くしたい女の子は和葉ちゃんだけだしね」
「ダメですよ琉偉さん、みんなと仲良くしましょう!」
渾身のウインクは和葉に届く前に床へと落ちていく。これではまるで冥子の霊域だ。
「それはそうと和葉先輩、親御さんと話はついたのか?」
「……はい。なんとか」
和葉がゴーストハンターの助手になったことについて、両親は肯定的だったが大怪我をしたとなれば話は別だ。謝罪に来た浸にキツく当たるようなことはなかったものの、和葉にはやんわりとやめるよう諭していた。
「私、絶対やめません。ここで、浸さんの帰りを待ちます。そしてまた、一緒に……!」
必ずここで待ち続けると硬く誓った。自分を救ってくれた浸を信じ続けると決めていた。そしてもう一度、共に歩むと。
「私やっぱり、追いかけるだけじゃなくて追いつきたい。浸さんと一緒に戦って、浸さんを助けたい。浸さんと一緒に、沢山の人達を助けたいです」
「……良いじゃん」
決意を語る和葉に、露子は満足げに頷く。
「だったら一緒に、やれるだけやってやろうじゃない」
「……だな。浸は必ず帰ってくる」
「はい!」
露子、絆菜と共に決意を新たにし、和葉は浸を思う。今どうしているのかはわからないが、きっと戦い続けている。帰ってきた時に胸を張って迎えられるように、精一杯やるしかない。
「う、うぅ……」
「……准、まさか泣いてんの……」
「い、良い話ッスー!」
「お前の情緒うるさいよ……」
半ば涙声になっている准に若干引きつつ、琉偉はコホンと咳払いをしてみせる。
「さて、そろそろ仕事の話をさせてもらっても良いかな?」
「何よ。お好み焼き作りに来ただけじゃないの?」
「それはそれでメインだったけど、別にそれだけじゃないよ」
そう言って一息ついてから、琉偉は再び口を開く。
「とりあえず現状を再確認しようか。和葉ちゃん、どこまで聞いてる?」
「えっと、殺子さんの話を少し……」
「OK。まだ確定はしてないんだけど、出来れば和葉ちゃんには殺子さんらしきあの黒いモヤを確認してほしいんだよね。多分、この中で正体がわかる人がいるとすれば和葉ちゃんだからさ」
殺子さんらしきあの黒いモヤの正体は、今のところわかっていない。わかっていることは殺子さんと同じことを言うことくらいだ。あとは全て憶測の域を出ない。
ここにいる和葉以外の全員が、ある程度の霊力を有しているのにも関わらず、誰一人としてあの黒いモヤの正体どころか姿形すら理解することが出来なかったのだ。
もし和葉でさえわからないのだとしたら、現状誰にもアレの正体はつかめないだろう。
「……わかりました」
「でも気をつけてくれよ。和葉ちゃん、退院は出来ても完治したわけじゃないだろ?」
「……はい」
入院する必要がないだけで、琉偉の言う通り完治したわけではない。もしまた戦闘になれば、傷口が開いて悪化することになるだろう。
「出来ればまだ休んでて欲しいし、治るまで俺達だけで調べておこうか?」
「いえ、やらせてください。私にしか出来ないなら、やりたいです」
これが自分の力の使い方だと、今の和葉ならハッキリと言える。自分の力で誰かの助けになれるなら、全力を尽くしたかった。
「……それと、悪いニュースが一つ」
「また怪異でも増えたのか?」
茶化すように絆菜が問うと、琉偉は深刻な表情で頷く。
「ああ、増えたよ。しかもとんでもないのがね」
琉偉がそう答えて顎で指示を出すと、准がすぐにバッグから一枚のコピー用紙を取り出す。机の上のホットプレートは既に准によって片付けられており、コピー用紙は机の中央に置かれた。
「何かの本のコピーですか?」
「そうッス。これは八尺女って怪異に関する伝承ッス」
その言葉を聞いた瞬間、露子は眉間にシワを寄せる。
「聞いたことがないな」
「だろうね。何しろ、本来は封印によって一つの地域から出られないとされている怨霊だったからね」
琉偉の話を聞きながら、和葉はコピー用紙に書かれている文章を読んでいく。
八尺女は若い男性や少年を標的にする怪異で、彼女に魅入られた者は取り殺されるとされている。彼女から逃れるためには窓を閉じきった部屋に御札を貼り、部屋の四方に盛り塩をすることで一時的に難を逃れることが出来るそうだ。
「こいつが今、陰須磨町に現れ始めている。既に霊滅師が何人か返り討ちに遭ってるし、犠牲者も出てるよ」
ゴーストハンターを長く続けている琉偉には、相応の人脈がある。彼の人脈はゴーストハンターだけではなく霊滅師にまで及んでおり、こう言った情報はいち早く琉偉に届くようになっている。
「さっき先生が言った通り、八尺女は本来一つの地域しか出られなかった怪異ッス。というのも、発生した地域にある種の結界が張ってあったみたいッスけど……」
「でも調べてみたらさ、それ……壊れちゃってるらしいんだよね」
言いかけた准の言葉を、琉偉がそう続ける。
「じゃあ、その地域から陰須磨町までやってきたってことなんですか?」
「そう考えるのが自然だけど、実際のところはどうだろうね。なにせこの町は今じゃそこら中に怪異がうようよしてる。それも人為的に増やされた怪異だ。この町の八尺女のルーツなんて、それこそ和葉ちゃんでないと確かめようがない」
伝承にある八尺女が偶然この町に現れたのか、それともこの町の悪霊が変質したことで発生したのか、現状では確かめる術はない。
「……霊滅師が返り討ちに遭ったってのはほんとなの?」
厳しい表情のまま問う露子に、琉偉は小さく頷く。
「木野苺香(きのまいか)と陣代裕二(じんだいゆうじ)。二人共霊滅師としてはベテランの部類に入る。この二人の前にも返り討ちに遭った霊滅師がいるみたいだよ」
どちらも面識のない人物だったが、ベテランの霊滅師が返り討ちに遭ったとなると並大抵の相手ではない。基本的にゴーストハンターよりも高い霊力を持ち、厳しい訓練を受けている霊滅師よりも強い悪霊というのは極めて珍しい。それこそ、真島冥子レベルを想定する必要があるだろう。
「……きな臭いわね」
「俺達気が合うね。同意見だよ」
軽口を叩く琉偉をわずかに睨む露子だったが、腰を折らないために余計な言葉は飲み込んだ。
「わざわざこんなタイミングで陰須磨町に来るなんて、偶然だとしたらあまりにも最悪過ぎるわ」
「ああ、偶然だとしたら、ね」
露子と琉偉のやり取りを見て、絆菜もなるほどな、と頷いて見せる。
「真島冥子達はこの町の怪異を増やそうとしている。その八尺女とやらを人為的に呼び込んだか、或いは生み出したか……そのどちらかの可能性があるな」
「ま、そーゆーこと。ったく面倒なことしてくれるよ。こっちは他の怪異でも忙しいってのに」
結局この町の怪異は全く途絶えていない。露子達も琉偉も、定期的にパトロールを行って怪異を祓ってはいるが落ち着く様子がないのである。
「……止めなくちゃ」
グッと拳を握りしめて、和葉はそう呟く。
悪霊は自然に発生してしまうものだ。それは割り切れる。しかし誰かが意図的に悪霊を変質させ、危険な怪異を町の中に増やしているのだとしたら許せない。
襲われる人達だけじゃない、変質させられた悪霊のことも思うと温厚な和葉でさえも頭に血が昇りそうになってしまう程だ。
それに、浸の守ってきたこの町を、これ以上好き勝手されるのはたまらない。
「怪異退治に殺子さん、冥子一味に八尺女……冗談じゃないよ全く」
現状の問題を一通り並べ、琉偉は深くため息をついてみせる。
「止めましょう……私達の手で……!」
力強い和葉の言葉に、その場にいた全員が頷いた。