テラーノベル
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赤桃♀️
年の差
りうらは、朝からずっと落ち着かなかった。
ランドセルの中には、国語の教科書と算数ドリルと、それから――白い封筒。
スーパーで買った、いちばん安いやつ。
でも、りうらにとっては宝物みたいに重たい。
(……今日、言う)
心の中で何度も、そう繰り返す。
それでも胸の奥がぎゅっと縮んで、息がしづらくなる。
「りうらー! 早くしないと遅刻するよー!」
玄関の向こうで、母の声がする。
りうらは「はーい!」と返事をして、ランドセルを背負った。
靴を履きながら、頭に浮かぶのは一人だけ。
ないちゃん。
本名は、ないこ。
17歳。高校二年生。
髪は明るいピンク色で、いつもくるんと巻いている。
耳にはキラキラしたピアス。
爪は季節ごとに色が変わって、今日はピンクとラメ。
りうらの家の向かいに住んでいて、
小さいころから、ずっと知ってるお姉ちゃん。
――でも。
「おはよ、りうら」
その声を聞くたびに、
胸がどきっとするようになったのは、いつからだったんだろう。
⸻
学校は、正直どうでもよかった。
算数のテストも、給食のカレーも、
今日は全部、頭の端っこに追いやられている。
(今日、ないちゃんに会ったら……)
放課後。
いつもの時間。
いつもの道。
ないちゃんは、だいたい同じ時間に帰ってくる。
駅から歩いて五分。
りうらは、その途中の公園で待つ。
ブランコと、すべり台と、砂場だけの小さな公園。
りうらが三歳のころから、ずっと変わらない場所。
りうらはブランコに座って、足を地面につけたまま揺らした。
前に行ったり、後ろに行ったり。
気持ちも同じみたいだ。
(笑われたら、どうしよう)
(子どもだって、言われたら……)
(でも……)
やめる、って選択肢は、もうなかった。
⸻
「……あ」
視界の端に、見慣れたシルエットが映る。
長い脚。
制服のスカート。
スマホを見ながら歩く姿。
ないちゃんだ。
心臓が、どくん、って大きく鳴った。
りうらは慌ててブランコから降りて、背筋を伸ばす。
「ないちゃん!」
声が、少し裏返った。
ないこは顔を上げて、りうらを見ると、ふっと笑った。
「なに、りうら。珍し。こんなとこで」
「あ、えっと……その……」
言葉が詰まる。
頭の中で用意していた文章が、全部飛んだ。
ないこは公園の入口で立ち止まり、腕を組む。
「どした? なんか用?」
その距離、三メートル。
近い。
近すぎる。
「……ある」
やっと、それだけ言えた。
ないこは少し目を丸くしてから、公園に入ってきた。
「ふーん? 改まってるじゃん。告白? りうら」
冗談っぽい声。
でも、その一言で、胸がぎゅっと締めつけられる。
りうらは、ぐっと拳を握った。
「……うん」
ないこが、ぴたりと止まった。
「……え?」
空気が、一瞬止まる。
「じょ、冗談でしょ?」
ないこの笑顔が、少しだけ引きつる。
りうらは首を横に振った。
「冗談じゃない」
声は小さい。
でも、逃げなかった。
「りうら……あんた、いくつ?」
「……8歳」
「だよね!?」
ないこは頭を抱えた。
「ちょ、ちょっと待って。待って。意味わかんないから」
「意味は、わかる」
りうらは、一歩前に出た。
「りうら、ないちゃんが好き」
真正面から。
目を逸らさずに。
「前から……ずっと」
ないこは言葉を失ったまま、りうらを見る。
夕方の風が、二人の間を通り抜ける。
ブランコが、きぃ、と小さく鳴った。
「……それは」
ないこは、ゆっくり息を吐いた。
「それは、違うよ」
「違わない」
即答だった。
「りうら、ないちゃんといると、胸が苦しい。
いなくなると、さみしい。
他の男の人と話してると、いやだ」
「それは……」
「それが、好きってことだって、テレビで言ってた」
ないこは、困ったように笑った。
「……りうら、それは“憧れ”」
「違う」
「年上のお姉ちゃんが好きなだけ」
「違う!」
声が、少し大きくなる。
「りうら、ちゃんと考えた!」
ないこは黙ったまま、りうらの顔を見る。
「ないちゃんが、17歳なのも知ってる。
りうらが、子どもなのも知ってる」
一瞬、言葉に詰まってから。
「……それでも、言わないのは、いやだった」
ないこの表情が、少しだけ変わった。
からかう顔でも、困った顔でもない。
ちゃんと、話を聞く大人の顔。
「……りうら」
しゃがんで、目線を合わせる。
「気持ちを伝えるのは、悪いことじゃない」
りうらの胸が、少しだけ軽くなる。
「でもね」
ないこは、優しく、でもはっきり言った。
「あたしは、受け取れない」
その言葉は、思っていたよりも、痛くなかった。
たぶん――覚悟していたから。
「……うん」
「年齢もあるし、立場もあるし」
「わかってる」
ないこは、少し驚いた顔をした。
「……ほんとに、8歳?」
「りうら、子どもだけど、ばかじゃない」
その言い方に、ないこは小さく笑った。
「……そっか」
しばらく、沈黙。
「でも」
ないこは、りうらの頭に、そっと手を置いた。
「ちゃんと好きって言ってくれたのは、嬉しい」
りうらの喉が、きゅっと鳴る。
「ありがとう」
その一言で、胸がいっぱいになった。
「……それだけで、いい」
りうらは、そう言った。
本当は、よくない。
もっと、欲しい。
でも――今日は、これでいい。
ないこは立ち上がって、少し照れたように言った。
「じゃあさ」
「……なに?」
「りうらが大人になったら、また言いな」
りうらは、目を見開いた。
「……ほんと?」
「そのとき、あたしがフリーだったらね」
ギャルらしい、軽い言い方。
でも、嘘じゃない声。
「約束じゃないけど」
「……うん」
それでも、十分だった。
ないこは手を振って、公園を出ていく。
「じゃ、またね。りうら」
「……また」
夕焼けの中、背中が遠ざかっていく。
りうらは、封筒を出さなかった。
でも――後悔は、なかった。
(言えた)
世界で一番むずかしい恋は、
世界で一番、まっすぐだった。
コメント
6件
おわ…✨✨ 歳の差カップル誕生してほしかったなあああ…←← 8歳児か??頭よすぎるって🥺