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その日は、朝から雨が降っていた。 しとしとと降り続く音は、まるで“今日は逃 げ場がないよ”と告げているみたいだった。
教室の隅に座るいろはに向けられる視線 は、相変わらず冷たかった。
机の中に入れられた、くしゃくしゃの紙。
「死ね」「邪魔」と殴り書かれた文字。 靴箱には絵の具が流し込まれていて、カバ ンの中身もぐちゃぐちゃにされていた。
でも、泣けなかった。 泣いたらまた、Ỉわれる。 “泣き虫ないろはちゃん”、って。
昼休み、誰もいないトイレの個室で、いろ はは震える手で薬を取り出した。
一錠、二錠。喉が焼けるように熱い。で も、それよりもっと、心が痛かった。
夕方。
制服は濡れて泥だらけ。カバンの紐はちぎ れて、腕には新しい傷。 ふらふらと玄関のドアを開けると、目の前 に立っていたのはーー
「…… いろは?」
元貴の声だった。 リビングから況斗と涼也も顔をのぞかせ た。
「ちょっと…… どうしたの、これ……」
「うそ…… 誰にやられたの!?」
滉斗の声が、怒りで震える。 涼也は、口元を押さえて固まっていた。 そして次の瞬間、元貴が駆け寄って、いろ はを強く抱きしめた。
「ごめん…..! こんなになるまで…… 俺た ち、気づけなかった……!」
「ちが、う……」 声にならない声を、いろはは絞り出す。
「みんな….. 優しいから…… 言えなかった の….. 嫌われたくなかった……」
「そんなことで、いろはのこと嫌うわけな いだろ……!」
滉斗がいろはの手首をそっと取って、袖を まくった。
新しい傷と、古い跡。何本もの線が、そこ に刻まれていた。
「……っ、こんなに….. 一人で、抱えてた の?」
涼架が泣いていた。
誰よりも繊細な兄は、いろはの痛みを全身 で受け止めるように、そっと頭を撫でた。
「いろは、大丈夫。俺たちがいる。何があ っても、もう一人にしない」
その夜、いろはは久しぶりに泣いた。 誰かの胸の中で、安心して泣いた。
それがどれほど、救いになることか– あの日のいろはは、まだ知らなかった。