「お母さん、鷺森蓮って知ってる?」
「蓮君? 知っているわ、お隣だもの」
隣に住んでいるのは本当だった。
「彼がどうかしたの?」
「結婚式で話しかけられたの。雪香について聞かれたんだけど」
「そうね、蓮君も雪香を心配してるわ。兄妹のように仲が良かったから」
「そうなんだ……」
母は雪香と蓮の関係を知らないようだった。
「そうだ、蓮君も呼びましょう」
「えっ……それなら私が帰ったあとにしてよ」
「いいじゃない」
私が止めるのも聞かず、母は蓮に電話をかけてしまった。直ぐに通じたようで話し始める。
「ちょうど家に居たみたいですぐに来るそうよ。彼も雪香を探してくれてるから、沙雪も話を聞いてみて」
私はがっくりと項垂れた。居丈高な蓮と顔を合わせるなんて嫌だったのに。
蓮は本当に直ぐにやって来た。
私が居ると聞いていなかったようで、目が合うと驚いた顔になる。
お互い無言で挨拶すら無し。母は冷え切った空気には気付かずに、蓮に私を紹介した。
「蓮君、一度会ってるみたいだけど改めて紹介するわ、雪香の双子の姉の沙雪よ。雪香を探しているから、蓮君が知ってる事が有ったら教えてあげて欲しいの」
なんて余計なことを。おしゃべりな母に苛立ち、私は顔をしかめた。
蓮は母の前だからか「もちろん、協力します」と感じ良く答える。更には私に親切さを装い話かけて来た。
「何か聞きたいことは有るか?」
胡散臭いその笑顔に不快感を覚えながらも、良い機会だと気持ちを切り替えた。
実際、鷺森蓮には聞きたいことがいくつか有る。母に刺激を与えない程度に聞き出してしまおう。
「雪香の知り合いで、ミドリって呼ばれてる人が居るでしょ? その人について教えて欲しいんだけど」
蓮は一瞬で顔色を変えた。さっきまでのにこやかな表情は消え去り、険しい目で私を見据える。その鋭い視線に、思わず怯みそうになるけれど、蓮の反応はミドリを知っている何よりの証拠だ。
「知ってるみたいですね? 雪香が卒業間際の頃、よく手紙を貰っていたみたいなんですけど、その人の連絡先教えて貰えませんか?」
「……聞いてどうするつもりだ?」
「連絡を取って、出来れば会って話を聞きたくて」
「駄目だ!」
私の言葉を蓮が厳しい声で遮った。
「蓮君どうしたの?」
これには私より母が驚いたようで、怪訝な顔で蓮を見た。
「いえ、何でも」
母の声に、蓮はハッとしたようで、気まずそうな表情になった。それから私の方を向く。
「ミドリには会わない方がいい」
何で鷺森蓮が決めるわけ?とムッとしていたところ母が割り込んで来た
「沙雪、その人に会いたいのは雪香を探す為なのよね?」
「そうだけど」
頷くと、母は蓮に必死の様子で頼みはじめた。
「蓮君、その人の連絡先を沙雪に教えてあげて」
蓮は渋々と言った様子で頷いた。
「分かりました。でも会うときは俺も同行します、それでいいですよね」
いいわけない。何でわざわざ付いて来るの?
すぐに断ろうとしたけれど、母が勝手に了承してしまう。
「もちろんよ、ありがとうね蓮君」
勝手に進む話にイライラしたけれど、拒否したところで蓮が退くとも思えない。
納得いかないまま、私は母と蓮の話を黙って聞いていた。
雪香の家を出ると、なぜか蓮が追って来た。
「何か用?」
「送ってく」
「いえ、結構です」
蓮とふたりで過ごすなんて苦行でしかない。
さっさと駅に向かって歩き出したのに、蓮がしつこく引き止めて来た。
「待てよ、車で送っていくから、こっち来いよ」
「送ってくれなくていいですって言ってるんだけど」
はっきり拒否しても蓮は全く怯まない。
強引に私の手を引っ張り、雪香の家の隣に建つ純和風の家屋に向い歩き出した。
「ちょっと! 勝手なことしないでよ」
この強引さ有り得ないんだけど。
抵抗する私を見て、蓮は面倒そうな溜め息を吐く。
「話が有るんだ、そのついでに送る」
「話?」
不審に思い蓮を見ると、蓮は真剣な表情になる。
「ミドリの件だ、聞いた方がいい」
「ミドリの?」
凄く気になる。だけど蓮と車で二人きりなんて危険としか思えない。でも……。
「変な真似したら許さないからね」
私は蓮の話を聞くと決断し、強い口調で釘を差した。
すると蓮は馬鹿にしたような薄笑いを浮かべる。
「安心しろ。あんたは完全に対象外だから」
「あ、そう。対象外で良かったわ」
蓮はいちいち気に障る言動をする。絶対に仲良くなれない。
彼の住まいは雪香の家よりも大きく、敷地には数台の車が止めてあった。
車に詳しくなくとも、エンブレムで高級外車だと分かる。
蓮はその中で一番端に停められた黒の車に近付き、ドアを開けた。
「早く乗れ」
偉そうな言い方にイライラしながらも、黙って助手席に乗りこんだ。
シートベルトはどこだろう。普段車に乗る機会が少ないから、勝手が分からない。
もたもたしている間に、蓮が車を発進させた。同乗者への気遣いはゼロ。
文句を言おうと視線を向けると、不機嫌な横顔が視界に入る。
彼も私と同じくらい苛立ちを感じている様子だ。おかげで車内は嫌になるくらい不穏な空気が漂っている。
「それで、話って何?」
さっさと聞いて、途中でも降りてしまおう。
機嫌の悪い男と車内という密室に二人きりなんて居心地が悪すぎる。
蓮は私を横目でチラッと見てから、怠そうに口を開いた。
「なんでミドリと会う必要が有るんだ?」
私は思い切り顔をしかめた。
「聞きたいことが有るからだって言ったでしょう? まさかやっぱり会わせないって言う気?」
「それは俺が代わりに聞いて来る。何が知りたいんだ?」
「……は? 何言ってるの?」
さっき約束したばかりなのに。お母さんの前では、いい顔していたくせに、私と二人になった途端これ?
「そんな提案受け入れられない。約束を破る気?」
「連絡しないとは言ってないだろ? ただあんたはミドリとは会わない方がいい」
「どうして?」
「あいつが、どんな人間か知らないだろ? 危ない目に合いたくなかったら止めておけ」
予想外の蓮の発言に、私は戸惑い口を閉ざした。
「あいつには俺が会って、ちゃんと話を聞いて来るから、何が知りたいのか話せよ」
意外だけど蓮は私の身を心配している? ささくれ立った気持ちが、凪いでいく気がした。
「ミドリがストーカーなのは知ってる。それでも直接会って話を聞きたいの」
意識した訳じゃないでど、私の口調はそれまでより軟らかになっていた。すると蓮の攻撃性も薄らいだ。
「あいつは異常な程雪香に執着していたんだよ。だから雪香と双子のあんたに会ったら何をするか分からない。用心のためにも、あんたの存在は奴に知られない方がいい」
確かに蓮の言う通りだ。危険は出来る限り回避したい。でも残念ながら、私の存在はもうとっくに知られている。
「私は大丈夫だから、とにかく会わせて。 事情が有ってどうしても自分で会いたいから。もし私がミドリに何かされたとしても、あなたの責任じゃないんだし、そこは気にしないで」
本当は心配してもらって少し嬉しかった。でも素っ気なく言った。
ここで慣れ合ったら蓮は絶対について来ると言い出しそうだ。
「……なんでそこまでして雪香を探したいんだ? 雪香を恨んでいるはずだろ?」
「それは、どうしても確かめたいことが有るから」
蓮はすっと目を細くした。
「その内容を教える気は無いってわけだ?」
「そう、言いたくない」
流れる景色に目を遣りながら答える。
「なんで言いたくないんだよ? 俺が信用出来ないのか?」
「嘘ばっかり言う人は、信用出来ない」
その言葉に反応して、蓮は不機嫌そうに眉をひそめた。
「嘘ってなんだよ?」
「雪香の友達に聞いたんだけど、あなた雪香と付き合っていたんだってね。それに雪香の通っていた店で働いてると聞いた。私が聞いていた内容と大分違うからびっくりしたわ」
蓮は嘘がばれたというのに慌てる様子もなかった。私の話を無表情で聞き終えると、冷めた目を向けて来た。
「あんたは、その話を聞いて俺が嘘を言ったと決めつけたのか」
「事実でしょ?」
蓮の瞳に怒りが宿った。
「違う、その友達って奴の方が嘘を吐いてる」
「どうして? 彼女達が嘘つく必要がないでしょ」
強い口調で言い返すと、蓮は一瞬黙り込んでから答えた。
「嘘じゃないなら誤解している。俺の言ったことが真実なんだからな」
きっぱりと言い切る蓮の態度に嘘やごまかしは見られない……本当に嘘じゃないの?
「雪香が通ってた店とは何の関係も無いの?」
蓮は、少し考えてから答えた。
「その店は、俺のやってる店じゃないか?」
「俺の店って何?」
「俺が出資してる店。人に任せてるけど、たまに様子を見に行ってる」
唖然とした。まさかオーナーだったとは……。
「店の件は分かったけど、雪香と付き合っていたって話は?」
「それも誤解だ、雪香とは本当にただの幼なじみだからな」
蓮は即答した。
「でもさっき雪香のアルバムを見たんだけど、あなたの写真ばかりだった。雪香はとても楽しそうな笑顔で、婚約者の直樹との写真よりずっと幸せそうだった。それはどうしてだと思う?」
「どうしてって……」
蓮は今度は口籠もった。だけどきっと答えが分からないからじゃない。
「あなたを好きだからに決まってる。本当は気付いてるんでしょ? 私が雪香を嫌っていると、一目で見抜いたくらいだものね」
断言すると蓮は顔を強張らせた。睨むような強い視線を向けて来る。
「そうだとしてもあんたには関係無い。余計な詮索するな」
やっぱり……思った通り蓮は雪香の気持ちに気付いていた。
付き合っていないのは本当かもしれないけど、少なくとも二人はただの幼なじみじゃなかった。蓮は嘘を言ってたんだ。
失望を覚えながら、冷ややかに言う。
「確かに二人の関係について私は無関係。でもあなたを信用しない理由にはなるけど?」
蓮は思い切り舌打ちをした。雪香は、こんな短気な男のどこが良かったのだろう。
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