寧々さんのその復讐劇から、
二週間程過ぎた。
あれから、斗希とは怖いくらい上手く行っている。
本当にその言葉の通りで、怖いくらい。
斗希に優しくされて、毎夜抱かれて。
そして、
「結衣、好きだよ」
私を抱く時、斗希はいつもそう口にした。
そう言われる度、同じ言葉を私に求められているのだと分かるのだけど。
私は、斗希に好きだとは言えない。
私も、斗希が好きな事に、もう気付いているけど。
なのに言えないのは、もし、私がそう口にして、斗希が私から離れて行ってしまうんじゃないかって、なんだか怖くて。
そう思うのは、私が人に愛され慣れてないからか、
斗希のその気持ちをそこまで信用出来ていないからか。
今の私達は、以前のような契約結婚ではないがゆえに、
どちらかがもうこんな結婚を辞めたいとなれば、簡単に壊れてしまう。
もし、この先斗希に別れたいと言われた時、彼を引き留めるすべが、何もない。
「結衣…」
私の名を呼び、斗希は腰を動かしながら、下に居る私にキスをする。
多分、口にしなくても、この人は私の気持ちを、分かっているだろうな。
◇
「あれから、全然篤と会ってないんだけど。
元気にしてる?」
セックスの後、そう訊かれる。
斗希のいうあれからは、あの寧々さんが此処に来た以来って事だろう。
この口振りだと、連絡すら、取ってなさそうだな。
「今の私は、それほど川邊専務と仕事上接点ないから。
1日、1回くらいは顔を合わせるけど、元気だと思う」
「そう…」
あれから、どうなったのだろう、と気にはなっている。
寧々さんの事もそうだけど、
それ以上に、川邊専務と奥さんとの関係。
私との事を、奥さんに知られて…。
川邊専務の左の薬指には、毎日変わらず結婚指輪が光っているけど。
「ま、いいか。
寧々の事もそうだけど、何かあるなら、篤の方から連絡して来るか」
斗希は、話を打ち切るように、目を閉じた。
その寝顔を見ながら、どうしよう、と思う。
私は、妊娠しているかもしれない。
斗希と結婚した辺りから、私はもうピルを飲んでいなかった。
その理由は、単純に、手元の分が無くなった事と、そういう事をする相手がもういないから、もうピルを飲む必要がないと思ったから。
ピルを辞めてすぐに生理が来て、
次の生理は、少し遅れてだけど来て。
今回、生理がもう一週間以上遅れている。
それで今日の夜、帰って来てからこっそり妊娠検査薬を使った。
結果は、陽性だった。
まだちゃんと病院に行っていないからあれだけど、
私は、妊娠しているかもしれない。
それは、斗希の子供なのだろうか?
自分で計算してみたけど、いわゆる排卵日辺りに、斗希だけじゃなく、眞山社長とも私は関係を持っている。
あの日、呼び出されて、なんで私はホテルなんかに…。
翌日、私は仕事が終わると、会社の近くのレディースクリニックを訪れていた。
そして、尿検査と内診を受ける。
診察台に乗り、画面に写るエコーの動画を見る。
正直、これが子供だなんて言われても、よく分からないのだけど。
その女性の医師は、これです、とその丸いような塊の長さを測ったりしている。
「微かだけど、もう心拍も確認出来ますね。
来週辺りなら、もっとハッキリと分かると思いますよ」
「私がいつの行為で妊娠したか、分かります?」
そう訊いた私に、その女医さんは、
近くにある卓上カレンダーを手に取り、
「この辺り、でしょうか?」
と、ザックリと一週間程の日数をなぞる。
そこには、やはり眞山社長とのあの日も含まれていて。
「滝沢さんは、ご結婚されてらっしゃいますよね?
出産希望だと…」
そう訊かれたのは、私の顔が暗かったからだろうか?
最初の問診票に、既婚だと書き込んだ。
そして、もし妊娠していたら出産を希望するかどうかの問いには、希望するに丸を付けている。
「はい。
勿論、産みます」
半分の可能性でも、お腹の子供は斗希の子供。
もし本当に妊娠していたら、産もうと思っていた。
斗希の子供かもしれないのに、堕ろすなんて、考えられない。
もし、眞山社長の子供だとしても、
こうやって本当に妊娠していると知って、
堕ろせない。
どちらが父親でも、この子は、私の子供。
その日の夜。
斗希は、22時を回る頃に帰って来た。
「斗希、話があるの?」
玄関でそう告げる私に、首を傾げている。
告げた私の顔が、深刻だからだろう。
「分かった。
とりあえず、着替えさせて。
それから話聞く」
斗希はそう言って、私の横を通り過ぎて行った。
リビングへと行き、ソファーではなく、私はダイニングテーブルの椅子に座り、斗希を待つ。
「なに、話って?」
スーツから楽な部屋着に着替えたその斗希の顔には、ほんの少し仕事の疲れが浮かんでいる。
そのちょっと隙のある顔を見ていて、
ああ、私、この人を本当に好きなんだな、と思う。
私は斗希が座わったのを確認すると、膝に置いていた大きな白い封筒を手に持ち、そこから一枚の紙を取り出した。
それは、離婚届。
「―――なに、これ?」
離婚届から、私に視線を向ける。
斗希と、目が合う。
「離婚しましょう」
そう、なんとか言えた。
「なんで?」
「これが目的だった。
あなたの心を手に入れたら、離婚しようと。
これが、私のあなたへの復讐」
考えていた、その嘘を口にする。
もし、お腹の子供を産むのならば、
斗希とはもう一緒に居られないと思っていた。
いつか、斗希から聞かされた過去の話。
斗希は実の父親から、本当の子供かどうか疑われていて。
その事実が、今も斗希の心に影を落としていて。
それが、この人が真っ直ぐに人を愛せなくなってしまった、要因だろう。
実の父親に、そうやって裏切られて。
もし、この子を産んだら、
斗希は私と眞山社長とのあの夜の事を知っているから、
自分がされたように、その子を自分の子供かどうか疑うかもしれない。
そして、この子は本当に斗希の子供じゃないかもしれない。
もし、そうなら…。
「私はもう記入しているので、後は斗希が書いてくれたら」
そう言い切ると、私はその離婚届に視線を落とした。
「―――分かった。
俺、明日休みだから、書いて出しておく。
証人も適当に、誰かに頼む」
「うん…」
少しくらいは、嫌だとか言ってくれるかと思ったけど、それはないか。
私の事を好きだと言ってくれたけど、
もしかしたら、それは嘘だったのかもしれないな。
嘘じゃなくても、それほどだったのかもしれない。
「で、結衣これからどうするの?
前住んでた会社の寮に、戻るの?」
そう訊かれ、離婚したら、もう此処には居られないのかと、当たり前の事を思う。
「暫く、ビジネスホテルで…。
あの、ちゃんと決まる迄、荷物は置かせておいて。
寮には戻らない。何処か借りる」
「そう。
引っ越しは大変だろうから、荷物は急がなくていいから。
話は、それだけ?」
「あ、うん」
「俺、疲れたから、風呂入って寝る」
斗希はその離婚届けを手に持ち、
自分の部屋へと入って行った。
当たり前だけど、今夜は斗希とは別々に眠るんだな。
私の目から、涙が溢れ出し、それが流れる。
泣いたのは、何年振りだろうか?
私、本当に今、悲しいんだ。
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