テラーノベル
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私は布巾を置き、ゆっくりと立ち上がった。
背後に立つ気配は、消えない。近い。逃げる距離でも、誤魔化せる距離でもない。――完全に、鉢合わせだ。
「……何をしているの?」
抑えた声だった。けれど、そこには抑えきれない苛立ちが混じっている。私は振り返り、すぐに膝を折った。
「失礼いたしました。清掃中でございます」
それだけ告げ、頭を下げる。
「清掃? ――冗談でしょう」
声が、少しだけ強くなる。
「ここは、応接間よ。どうして、今まで放置されていたの?」
何もしていない、と言われているのと同じだった。私は顔を上げず、静かに答える。
「順番を考えておりました」
「順番?」
短く、吐き捨てるような響き。
「目立つ場所を最後にするなんて聞いたことがないわ。それとも、私の部屋は後回しにしてもいいと判断したの?」
怒り。理由を聞く前に、結論が決まっている声だ。私は、反論しなかった。
「申し訳ございません」
それだけだ。沈黙が落ちる。王女殿下の怒りは、そこでは終わらなかった。
「……どうせ、あの人の差し金でしょう」
低い声。
「“王女付きは長く続かない” “気に入らなければ追い出される” ――そうやって、わざと困らせる」
噂。私が廊下で聞いた、あの言葉たち。そして、王女殿下が『意地悪な姉』と呼ぶ存在の影が、言葉の端々に滲んでいた。
「あなたも、そう思っているんでしょう? どうせすぐ辞めるのだから、と」
問いかけだったが、答えは求めていない。私は、頭を下げたまま、静かに息を吸う。
――慣れている。
怒られることにも、決めつけられることにも。理由を聞いてもらえない状況にも。
「そのような考えは、ございません」
事実だけを、口にした。
「掃除は、任された仕事です。それ以上でも、それ以下でもありません」
王女殿下が、言葉を失ったのが分かった。少しだけ、空気が揺れる。
「……顔を上げなさい」
私は、ゆっくりと顔を上げた。王女殿下は、私を見ていなかった。その視線は、ソファの周囲にだけ向けられていた。床も、空気も、部屋全体も。まだ整っていないことは、一目で分かった。
「……途中、というわけね」
冷たい声だった。
「だから言っているのよ。応接間は、最初に手を付ける場所だと」
私は、何も言わなかった。説明も、弁解も、求められていない。
「今日はもういいわ」
苛立ちを含んだまま、言い切られる。
「部屋に戻りなさい。あなたのことは……明日、考える」
それは猶予でも、判断でもない。ただ、今は顔も見たくない、という響きだった。
「下がって」
「……失礼いたしました」
私は膝を折り、静かに頭を下げた。怒られている理由は、分かっている。そして――それが、今は正しいことも。
扉が閉まる音が、応接間に残った。
――掃除は、まだ終わっていない。
月城 蓮桜音
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#いじめ
#三角関係
名瀬口にぼし
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コメント
1件
うわ、重い空気がずしっとくる話だったね……。 主人公、怒られてるのに全然反論しなくて、でも「慣れてる」って内心で呟くところが胸に刺さったよ。理不尽に決めつけられるの、すごく辛いよね。 王女もただの嫌な人じゃなくて“お姉様”に追い詰められてる感じがして、二人とも複雑で気になる。 「掃除は、まだ終わっていない」で終わるのが、続きが気になりすぎる!🤍