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作・ぬい《一時的に名前変えます》
午前三時__。ここには誰もいない。明け方とも早朝とも言えない空が涙を流している。薄暗がりの道に一人の少女が俯きながら歩いている。少女は長い黒髪を雨で濡らして、白いワンピースをその身に纏っている。彼女の右手には鋭利なナイフが握られている。覚束ない足取りだが、どこか強い意志のある歩みだった。
やがて少女は大きな橋に辿り着いた。橋の下は雨のせいで霞んで見えないが、微かに川の音がする。欄干に手をかけ、ゆっくりとした動作で登る。見えない橋の下を虚ろな瞳が捉える。右手に握っていたナイフを両手に持ち替えて、切っ先を喉へと向ける。顔を上げた少女に空の涙が打ち付ける。雨を感じる少女の頬に空の涙とは違う雫が伝う。
「……やっと、やっと死ねる。もう、こんな世界に生きなくて良いんだ。」
石竹色の艷やかな小さい唇に辺りのひんやりとした空気が吸い込まれていく。吸い込まれた空気は温かな吐息に変わる。静かに目を閉じ、構えていた鋭利なナイフを喉へ突き刺す。
「ねぇ、君。何してるの?」
「へ!?」
この世に別れを告げようとした瞬間、宙を舞う少年が現れた。驚いた少女の手からナイフが落ち、濡れた欄干から足を滑らせる。ふわりと浮くように川へと落下する。空の涙はスローモーションのように降り、空中を漂う。死へ誘うその雨に少女は初めて恐怖を覚えた。
(……嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!このまま死にたくない。こんな死に方したくない……!また失敗した。苦痛の中で死にたくない!)
少女の絶望へと変わった表情を見て、火がついたように少年は橋を飛び降りる。落下する少女の手を引いて抱き寄せる。まるで舞い踊るかのような軽い足取りで少女を橋へと下ろす。恐怖で腰が抜けたのか、膝から崩れ落ちてしまった。
「大丈夫?」
しゃがみこんで少女の顔を伺う。虚ろな少女の瞳に、空五倍子色の柔らかな髪に翡翠のような瞳を持つ美しい少年が映る。珍しい色の瞳に心が奪われ、見惚れていると、耳を赤くした少年は視線をそらした。
「……あんまり見られるとこそばゆい。」
「……!」
冷えきった体温が一気に戻り、体が火照る。血色の悪い肌色は血の気を呼び戻し、紅葉の様に紅潮する。甘い空気が二人の頬を撫で、羞恥心を誘う。
少女は耐えきれなかったのか、視線をそらした。視界に彼の手が映った。その手には、あの忌み嫌われた紋章が描かれていた。
「……あの、もしかして。魔族の方ですか?」
「……そうだよ。こわい?」
彼の目は伏せられて表情が見えない。口元では笑っている様に見えるが、見えない瞳は寂しそうにも感じる。
「いえ、私は……かっこいいと思います。」
「え?」
「その紋章、上級魔族ですよね。」
「どうしてそれを?」
「あ、えと……。学校で習ったんです!魔族は人間界に来られな魔族にしか効かない特殊な染料を使用することによって、魔族の証である紋章が浮かび上がるって。その見本が、教科書に載っていて……。」
焦って早口で捲し立てる。学校で習ったのは本当だ。だが、魔族階級の紋章の図は載っていなかった。口が滑っても言えない。
(紋章を覚えた理由が厨二病心が疼いてしまったからとは言えない……!)
「なるほどな、流石は人間界。悪役である魔族に対する教育が、よく施されている。」
少年の目に、一瞬怒りの炎がちらつく。
「でも、私はこの教育に反対です。」
「どうして?」
「種族が違うだけで、この星に生まれた生命に変わりはないでしょう?亜人族、獣族、海魚族、精霊族、魔族、もちろん人間にだって悪いところくらいあります。それなのに、どうして魔族だけ迫害されなければならないのか、理解ができないからです。」
彼は予想外の回答で拍子抜けしたのか、目を見開いていた。しばらく沈黙が流れたが、彼の笑い声で掻き消された。
「ふははっ!」
「んな!?な、なんで笑うんですかっ!?」
「いや、君の様に物怖じせず語る人間は見たことがなくてな、面白くてつい!!」
子供のように無邪気に笑う彼につられて私も笑った。
「はーっ笑った、笑った!君は面白い。だから気に入ったよ!僕と来ないか?」
「来るってどこに?」
「唯一緒にいるだけさ。君といたら退屈し無さそうだし。何よりも、僕の考えを理解してくれそう。」
「考え、ですか?」
「君、さっき死のうとしただろ。」
「!?」
少年の目は鋭い光を放ち、少女を見据える。翡翠の瞳は、魔族特有の瞳であるワインのような赤黒い色に染まっていた。
「……だからなんですか。」
「僕もね、さっき死のうとしたんだよ。」
「え?」
「やっぱそーなるよね。……僕はね。自分より先に死ぬのは許せないんだよ。だから止めた。それだけだよ。」
目を閉じて、思い出す様に彼は語る。その表情は儚げで、今にも消えてしまいそうだった。
「ほんとに、それだけですか?」
「……意地悪な聞き方するね。君は、まだこの世に未練があるように見えたんだ。あのまま逝かれては苦しむだけだと思ってね。」
「未練?」
「何か、やりたいことでもあったんじゃないか?」
「……夢が、あったんです。音楽が大好きだったので、いつかそれで、誰かを幸せにしたいって思って。でもだめですね。こんな私の歌なんて、誰も聞きやしない。」
自分で言いながら呆れてくる。惨めにうつむくだけで、何もできやしない。そう言い聞かせる様に目を伏せた。
「じゃあさ。その夢、叶えようよ。」
「!」
少年はニヤリと笑い、少女を見据える。
「僕と契約しよう。ここには自殺願望が二人。都合がいいだろ?君の夢を叶える。その代わり、死ぬときまで僕の側に居てくれ。」
彼の俄には信じがたい言葉に、少しばかりの希望を見出してしまった。
「夢を叶えたら、どうなるの……?」
「二人で死ぬんだ。」
これなら契約違反にはならないということか。同じ願望持ちでも、こんな風に語りかけてくる人は見たことがない。初対面なのに。どうしてこんなにも、心を許してしまっているのだろう。
(……もしかしたら、きっと。)
「契約、します。だから……。私の夢を、叶えさせて……!」
第一話 《出逢いの契約》