テラーノベル
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しばらくの間、若井は俺のそばにいてくれた。
何も言わずに、ただそこにいた。
必要以上に干渉せず、優しすぎもせず、
まるで「戻れるまで待ってる」とでも言うように。
最初はそれだけでよかった。
誰かがいるってだけで、ほんの少し心が落ち着いた。
食事も少し取るようになったし、
シャワーも浴びる気になった。
「もう、大丈夫かもしれない」
そんなふうに思いかけたある夜だった。
若井が、少しだけ家を空けた。
「買い出しに行ってくるね」って、
ほんの短い時間。
静けさが戻った部屋。
時計の針の音だけが響く空間に、
一気に、あの「孤独」が戻ってきた。
急に、呼吸がうまくできなくなった。
心臓の音がうるさくて、胸が苦しい。
涙が出るわけでもない。
ただ、全身の血が逆流するような感覚に襲われた。
そのとき、目に入ったのは、
棚の奥に隠していた、もう一つの薬の瓶。
あの日、手放せなかった最後の“逃げ道”。
手が、勝手に伸びた。
わかっていた。
これを飲めば、また戻れなくなるって。
でも、もうどうでもよかった。
若井がどれだけ心配してくれても、
そばにいてくれても、
この「苦しみの正体」は、言葉じゃ消えない。
ただ、“クスリ”は、すぐに効いてくれる。
裏切らない。
何も考えなくて済む。
ふわっとした無重力の中に、逃げられる。
錠剤が喉を通る。
すでに、数えるのもやめていた。
ふらつく視界。
ぼやけていく音。
浮遊するような身体。
ああ、やっぱり
こっちの方が、
楽だ――。
気づいたら、ソファにもたれていた。
カーテンの隙間から夜の光が差していた。
頭がふらふらして、思考がまとまらない。
そのとき、玄関の音がして、
誰かが戻ってくる気配がした。
しまった、と思った。
でももう遅い。
身体も心も、もう動かない。
リビングに入ってきた若井の足が止まった。
「……また、飲んだの?」
その声は、小さくて、
でも悲鳴のように震えていた。
嘘をつく力も残っていなかった。
ただ、ぼんやりとそっちを見て
「……ごめん」と呟いた。
若井は何も言わずに、目を伏せた。
今度ばかりは、
あの優しさも、戻ってこない気がした。
この依存は、もう“誰か”で埋められるものじゃない。
自分で選んだ逃げ道。
自分で、繰り返し沈んでいく世界。
そして、俺は知ってる。
また目が覚めたとき、
少しだけ後悔して、
でもきっと、また飲む。
希望がないわけじゃない。
ただ、希望の手触りが、
もう思い出せないだけだ。
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