「ところで昨日の夜、銀座のバーに行ったんだ」
と徳川は言い出した。そんなに景気いいのかと勉が聞くと、速記の仕事は一度入ると大きいのだという。東京のニュースを欧州に送る仕事もしているらしい。それなら今度俺もその店連れてけよと勉は言ってはみたが、今の徳川からおごってもらおうとは思ってもいないし、銀座のバーで夜遊びをするお金があるならば、新しいPCを買う足しにしたい。
「最初は一人でカウンターに座ってたんだ」と徳川が言ったとき、勉はガムシロップをストローでかき混ぜていた。えくぼのある氷にコーヒーが埋まっていく。
「夜通しあんな話を聴くなんて思ってもなかった」と、徳川は珍しく身を乗り出している。勉が二つ目のガムシュロを入れようとしたとき、
「おい、それじゃ味がなくなるぞ」と旧友はやかましい。それから徳川は大義そうに、鞄から大きな速記帳の束を取り出した。ぐちゃぐちゃな紙面は頭の狂った絵描きが描く抽象画のようで、正常な頭ではとても読めたものではない。まだピカソの絵から今日の株価を読むほうが負担もない。
「これ持ってるうちに会うとは、お前は実に運がいい。特別に聴かせてやるから、その代わりこのコーヒーはおごれよ。途中の『~と言った』とか『~と語った』とかは全部省略してある。誰が話してるかは、適当にそっちで解釈してくれ。なるべく話そのものを、そのまま伝えたいんだ」と、古い友は言った。
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