テラーノベル
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餅千 @ 別 后 。
rなし
ちょっと悲しい
幕張メッセの入口は人で溢れていた。らんは胸の鼓動を感じながら、手の中のチケットを何度も見つめていた。こさめから送られてきた最前列のチケット。その現実がまだ信じられないままだった。
受付に並ぶ列は長く、グッズを持ったファンたちの声があちこちから聞こえてくる。楽しそうな会話や笑い声が広がり、会場の空気は期待と熱気で満ちていた。
列がゆっくり進み、らんもスタッフにチケットを見せて中へ入った。広い会場の中はまだ開演前なのに人の熱気で満ちていて、胸の奥が少しだけ緊張でざわつく。
自分の席を探して歩き、やがて最前列の場所にたどり着いた。ステージは目の前で、ライトや機材がすぐそこに見える距離だった。近すぎて、逆に現実味がなかった。
らんは静かに席へ座る。けれどその瞬間、両隣の席を見て少しだけ固まった。右も左も明らかにこさめのファンで、バッグにはグッズがびっしりついていた。
痛バと呼ばれるバッグには缶バッジやキーホルダーがぎっしり並び、こさめの顔で埋め尽くされている。さらに手には可愛く装飾されたうちわまで持っていた。
「こさめ今日こっち来てくれるかな」
「最前だしワンチャンあるよ!」
その会話を聞きながら、らんは何も言わずに視線を落とした。
そのうちわはただの応援グッズではなく、見てもらうために丁寧に作られたものだった。キラキラした文字やハートの飾りがついていて、明らかに気合いが入っている。
らんは思わず自分の格好を見下ろした。普通の服、普通のバッグ。特別なグッズも、可愛い装飾も何も持っていない。
周りの人たちはきっと長く応援してきたのだろう。グッズを集めて、うちわを作って、少しでも推しに見てもらおうとしている。
それに比べて自分はどうだろう。ただ好きで、ただ会えたことが嬉しくてここにいる。それだけで、この席に座っていいのだろうかと考えてしまう。
やがて会場の照明が少しずつ暗くなり、歓声が一気に大きくなった。ライブが始まる合図だった。
音楽が鳴り響き、ステージにメンバーが登場する。会場のボルテージは一瞬で上がり、歓声とペンライトの光が広がっていく。
もちろん、その中にはこさめもいた。明るく笑いながら手を振る姿は、いつも画面越しに見ていたままのこさめだった。
「こさめー!!!」
「今日も可愛いー!」
周りの声援が一斉に響く。
本当なら、この瞬間が一番嬉しいはずだった。けれどらんの胸の奥にあるもやもやは消えず、体は思うように動かなかった。
周りのファンは大きな声で名前を呼び、うちわを振っている。楽しそうな空気の中で、らんだけが少し取り残された気がした。
ふとステージを見ると、いるまと目が合った。ほんの一瞬だったが、視線がこちらを向いているのが分かった。
らんは慌てて目を逸らした。
ステージの光や歓声が遠く感じる。
そのまま時間は流れ、ライブはどんどん盛り上がっていく。けれどらんは俯いたり、天井を見たりするばかりで、うまく楽しむことができなかった。
やがてライブ終盤、上から銀色のテープが舞い降りてきた。会場中に歓声が広がり、みんな一斉に手を伸ばす。
らんの真上にも、水色の銀テープが落ちてきた。こさめカラーだと分かり、思わず手を伸ばしかける。
「銀テ!!!こっち来て!!」
「お願い落ちて!!」
隣のこさめリスナーたちが必死に手を伸ばしているのが見えた。
らんは一瞬迷ったあと、真上に来た水色の銀テープを二本掴んだ。そして右と左のリスナーにそっと渡した。
「え!?取れた!!」
「やばい水色!!!」
二人は嬉しそうに声を上げていた。
らんはそれを見て、小さく視線を落とす。
なんだかその後も乗り気になれず、ステージを見ずに俯いたり、上を向いたりするばかりだった。
ライブは盛り上がったまま終わり、会場の照明がゆっくりと明るくなる。
ファンたちは興奮した様子で出口へ向かい始めた。
らんも人の流れに混ざりながら歩く。
ほとんどの人が帰ったあと、らんはようやく会場の外へ出た。体はどっと疲れていて、足取りも少し重い。
そのまま会場を去ろうとしたときだった。
目の前にフードを深く被った人物が立っていた。
周りを気にするように視線を動かしながら、その人物は小さく言った。
「こっちこい」
その声で、らんはすぐに誰なのか分かった。
いるまだった。
らんは戸惑いながらも、言われるまま後をついていく。
通路をいくつか曲がり、小さな部屋へと案内された。
中には誰もいなかった。メンバーもスタッフもいない。静かな部屋に、いるまとらんの二人だけ。
扉が閉まる音が小さく響く。
いるまはフードを外し、らんの顔をじっと見た。
静かな部屋の中で、いるまは腕を組みながららんをじっと見ていた。少しだけ間を置いたあと、ぽつりと口を開く。
「こさめさ、お前が銀テ取った時」
「めっちゃ嬉しそうだったぞ」
らんの肩がぴくりと動く。いるまは思い出すように天井を見上げながら続けた。
「最前見てさ、ちょっと笑ってた」
「“らんくん取れた”みたいな顔してた」
その言葉に、らんの胸が一瞬強く鳴る。けれど、いるまの声はそこで少し低くなった。
「でもな」
「お前がそれ、隣のリスナーにあげてるの見てさ」
らんは思わず息を止めた。いるまは小さく息を吐いて言う。
「こさめ、すっげー泣きそうな顔してた」
らんの頭の中が一瞬真っ白になる。あの瞬間、ステージの上でそんな顔をしていたなんて思いもしなかった。いるまは少し肩をすくめて続ける。
「んで、楽屋戻った時」
「ずっと俯いててさ」
「急にぽつって言ったんだよ」
いるまは少し声色を真似して言う。
「“らんくんに嫌われちゃったかも…”って」
らんの目が大きく開く。いるまはさらに続けた。
「“ねえ、こさめパフォーマンス悪かったかな…”って」
「“ダンス下手だったよね…”って」
「完全に病んでた」
静かな部屋にその言葉が落ちる。らんは何も言えず、ただ床を見つめたまま立っていた。胸の奥がぎゅっと締めつけられる。銀テープを渡したあの瞬間の光景が頭の中に浮かぶ。ステージの上のこさめは笑っていたはずなのに、その裏でそんな顔をしていたなんて思いもしなかった。いるまは苦笑しながら肩をすくめた。
「メンバー全員で慰めたけどさ」
「こさめ、全然聞いてないの」
「ずっと上の空」
少しの沈黙が流れる。らんは小さく息を吸い、ようやく口を開いた。
「……俺」
「そんなつもりじゃ」
いるまは軽く手を上げて止める。
「分かってる」
「でもあいつはそう思わなかったんだろ」
らんは唇を噛んだ。胸の奥に、後悔のようなものが広がっていく。いるまは少しだけらんの顔を見てから言った。
「ま、本人に言ってやれよ」
「今たぶんまだ落ち込んでる」
らんは顔を上げた。
「……会えるの?」
いるまはにやっと笑った。
「ここまで連れてきたと思う?」
そう言って廊下の奥を親指で指す。
「まっすぐ行ったらスタッフルーム」
「その前にいる」
らんの心臓が強く鳴る。しばらく迷うように立っていたが、次の瞬間には体が動いていた。
「……ありがとう」
小さくそう言って、らんは部屋を出た。廊下を走る足音が静かに響く。胸の鼓動がどんどん速くなる。角を曲がると、スタッフルームの前が見えた。そこに、小さく座り込んでいる人影があった。水色の髪。膝を抱えて、俯いたまま動かない背中。こさめだった。らんは足を止める。数秒だけ立ち止まり、ゆっくり近づいた。足音に気づいたのか、こさめが顔を上げる。目が赤く腫れていた。
「……らんくん?」
こさめの声は少し震えていた。らんはその前で止まる。少しだけ沈黙が流れたあと、らんは小さく言った。
「ごめん」
こさめは驚いた顔をする。
「え?」
らんは視線を少し逸らしながら続ける。
「銀テ」
「こさめが見てるって思ってなかった」
こさめは慌てて首を振った。
「ち、違うの!」
「こさめそんなつもりじゃ…!」
言葉がうまく出てこないのか、こさめは俯く。らんはゆっくりしゃがみ込み、こさめと目線を合わせた。
「俺さ」
「こさめが取ってほしいと思ってると思ってた」
こさめは驚いたように顔を上げる。
「え…?」
らんは少し照れたように笑った。
「俺が持ってたらだめかなって思って」
「だから渡した」
こさめの目がゆっくり大きくなる。
「でも」
らんは少し困ったように続けた。
「いるまに聞いた」
「こさめ泣きそうだったって」
こさめの顔が一瞬で赤くなる。
「い、いるまくん言ったの!?」
らんは小さく笑う。
「うん」
こさめは両手で顔を隠した。
「最悪…」
「らんくんにそんなの知られるの恥ずかしい…」
らんは少し黙ってから言う。
「俺、嫌いになったわけじゃない」
こさめの手が止まる。
らんはまっすぐこさめを見て言った。
「むしろ」
「今日会えて嬉しかった」
こさめの目がゆっくり大きくなる。らんは少しだけ顔を赤くしながら続ける。
「こさめがダンス下手になったって聞いたとき」
「なんか…嬉しかった」
こさめは完全に固まる。
「え…?」
らんは小さく笑った。
「俺のこと気にしてたんだって思ったから」
こさめの頬が一気に赤くなる。しばらく沈黙が続いたあと、こさめは小さな声で言った。
「……だって」
「らんくんが好きだから」
空気が止まったようだった。らんの心臓が大きく鳴る。こさめは慌てて続ける。
「ち、違う!その、リスナーとしてって意味で…!」
らんはその言葉の途中で言った。
「俺も」
こさめの声が止まる。らんは少し照れながら言った。
「こさめが好き」
こさめの目が完全に固まる。数秒後、こさめは大きく息を吸った。
「えええええ!?」
廊下に声が響く。らんは慌てて言う。
「静かに!」
こさめは慌てて口を押さえる。そして涙で少しぐしゃぐしゃの顔のまま、小さく笑った。
「……ほんと?」
らんは静かに頷く。その瞬間、こさめの目からまた涙がこぼれた。でも今度は、さっきとは違う涙だった。
こさめの目からこぼれた涙は、さっきまでの不安の涙とは違っていた。頬を伝いながら落ちるそれは、どこか安心したような、嬉しそうな涙だった。らんはその様子を見て少し戸惑いながらも、ポケットからハンカチを取り出してそっと差し出した。
「……使う?」
こさめは少し驚いた顔をしたあと、ゆっくり受け取る。
「ありがとう、らんくん…」
こさめは目元を軽く押さえながら、まだ信じられないようにらんの顔を見つめた。さっきまで自分が落ち込んでいた理由も、不安でいっぱいだった気持ちも、全部少しずつほどけていく。
「ほんとに…こさめのこと好きなの?」
らんは少し照れたように視線を逸らす。
「……うん」
「ずっと前から」
こさめの目がさらに大きくなる。
「え、え!?いつから!?」
らんは少し困ったように笑った。
「言うの恥ずかしい」
こさめは思わず身を乗り出す。
「えー!気になる!教えてよ!」
らんは少し黙ったあと、小さく息を吐いた。
「……最初に会った時」
その言葉に、こさめは一瞬固まる。
「え…」
らんは少し照れながら続ける。
「こさめがさ」
「“2人だけの秘密だよ?”って言ったとき」
こさめの顔が一気に赤くなる。
「あ、あれ!?」
「覚えてるの!?」
らんは小さく笑った。
「覚えてるよ」
「忘れるわけない」
こさめは両手で顔を隠した。
「うわぁぁ…恥ずかしい…」
「こさめあの時めっちゃ調子乗ってた…」
らんは少し笑いながら言う。
「でも嬉しかった」
「俺だけに言ってくれたみたいで」
こさめは手の隙間からちらっとらんを見る。
「らんくん…それずるい…」
らんは首を傾げる。
「なにが?」
こさめは少し唇を尖らせた。
「そんなこと言われたら…」
「こさめもっと好きになるじゃん…」
一瞬、二人の間に静かな空気が流れる。
廊下にはもうほとんど人の気配がなく、遠くからスタッフの声が少し聞こえるだけだった。
こさめは少しだけらんに近づく。
「ねえ、らんくん」
「さっきの銀テさ」
らんは少し肩を揺らす。
「……うん」
こさめは少し笑った。
「ほんとは、らんくんが持っててほしかった」
らんは目を少し丸くする。
「え?」
こさめは照れたように視線を逸らした。
「だって」
「らんくんが取ったの、こさめ見てたし」
「なんか、らんくんが取ってくれたみたいで嬉しかったんだもん」
らんは一瞬何も言えなかった。
そして小さく呟く。
「……ごめん」
こさめはすぐに首を振る。
「もういいよ!」
「今はむしろ嬉しいし!」
そして少しだけいたずらっぽく笑う。
「それにさ」
「らんくん優しいの、こさめ知ってるし」
らんは少し照れた顔になる。
そのとき、廊下の奥から足音が聞こえた。
「あーいたいた」
聞き慣れた声が響く。
いるまだった。
いるまは二人を見てニヤッと笑う。
「お、いい感じじゃん」
こさめは一瞬で顔を真っ赤にする。
「い、いるまくん!!」
「覗きとか最低!!」
いるまは肩をすくめる。
「いや別に覗いてねーよ」
「声デカいから丸聞こえだっただけ」
らんは思わず苦笑した。
こさめはさらに赤くなる。
「もう最悪…」
いるまは少し笑ってから言った。
「まあでもよかったな」
「さっきまで泣きそうだったやつが今これだもんな」
こさめは少しむっとした顔をする。
「うるさい…」
いるまは軽く手を振る。
「ほら、もう帰るぞ」
「スタッフも片付け始まってる」
こさめは立ち上がり、らんの方を見る。
「らんくん」
「帰る?」
らんは少し考えてから頷いた。
「うん」
こさめは少し嬉しそうに笑う。
「じゃあ一緒に帰ろ」
その瞬間、こさめはそっとらんの手を掴んだ。
らんは少し驚く。
「こさめ?」
こさめは少し照れながら言った。
「……恋人なんだから」
「これくらいいいでしょ?」
らんの顔が少し赤くなる。
けれど、手は離さなかった。
むしろ、少しだけ強く握り返した。
その様子を後ろから見ていたいるまは、小さく笑う。
「ほんと分かりやすいカップルだな」
こさめは振り返る。
「聞こえてるから!」
三人の声が、少し静かになった幕張メッセの廊下に響いた。
そしてその日から、らんとこさめの“秘密”は、本当の意味で二人だけのものになった。
コメント
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好きです 流石にめろでぃへのファンサって事でおーけー? ありがとう⬅️⬅️ も~可愛すぎる😭