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水虹ひにゃ@リムらないでほしい
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半裸ビンタ事件から二週間ほど経って、すっかり頬の跡も目立たなくなった五月の終わり。新しいルールにもすっかり慣れてきた頃、二人の間には、また別の種類のすれ違いが生まれつつあった。
「――今日は、ちょっと一人にしてほしいんだけど」
その日、柔太朗は珍しく、少しの勇気ともにはっきりとそう言った。抱えていた課題の締め切りが近く、集中して仕上げたいデザイン画があったのだ。
「え……なんで? 俺、静かにしてるし、邪魔せんし」
「そういう問題じゃなくて。課題したいから。舜はやらなきゃいけないことないの?」
「あー……俺、なるだけ隙間時間とか授業中にやっちゃってるからなぁ……」
要領の良さを見せつけられるような回答に、柔太朗は一瞬感心した。――いや、そうやって彼が捻出した余暇時間は、ほぼ全て自分の部屋に入り浸ることに使われてると思うと、やはり要領は良いが、アホだと思う。
「とにかく、誰かがいると、それだけで気を遣っちゃうんだよ」
「――そっか」
素直に頷いて部屋を出て行った舜太だったが、その背中は、いつもよりどこか元気がなかった。
行き場をなくした舜太は、案の定、勇斗の部屋に転がり込んだ。もはや彼の中には自分の部屋に変えるという選択肢は無いに等しい。
「――勇ちゃん、俺、柔に嫌われたんかもしれん」
「はいはい、また大げさな」
当然のように勇斗のベッドに突っ伏す舜太の背中を、苦笑いしながらぽんぽんと叩いた。背中を丸めてベッドに顔を押し当てる様は、まるで大型犬のようだ。
「柔が、一人にしてって。俺のこと、うっとうしいと思っとるんかな」
「あー……――それは違うと思うけどな」
普段のふざけた調子を少し落として、勇斗は続けた。
「誰かといるのが好きなのと、たまに一人になりたいのは、別に矛盾しないだろ。俺だって、たまには一人で寝たい日もあるし」
「勇ちゃんは、いつも一人やんか」
「――おい。人生の先輩の話を聞け。柔太朗は、多分ただ、集中したいだけなんじゃないか? 舜太のことが嫌とか、そういうことじゃなくて」
存外まっすぐな言葉に、舜太は少し落ち着きを取り戻したように顔を上げた。
「――勇ちゃんって、たまにこういう時、頼りになるよな。」
「たまにって何だよ、いつもだろ」
おどけて胸を張る勇斗に、舜太もつられて小さく笑った。
一方その頃、柔太朗もまた、集中しきれずにいた。デザイン画に向き合いながらも、頭の片隅には、しょんぼりと部屋を出て行った舜太の背中がちらついている。耳と尻尾がはえていたら、間違いなくしゅんっと垂れ下がって見えただろう。
そんな状態で課題なんぞ進むわけもなく、たまらず訪ねたのは、仁人の部屋だった。
「……ちょっと、いい?」
「珍しいな、お前から来るの」
「あのね、仁ちゃん。……舜に、一人にしてって言ったら、すごく寂しそうな顔されて。悪いことしたかなって」
「そんなの、お前が悪いわけないだろ。大体あいつが悪い。」
仁人は読んでいた文庫本を閉じて、素っ気なく続けた。
「一人の時間が欲しいのは普通のことでしょ。それを我慢して一緒にいる方が、よっぽど良くない。」
「……仁ちゃんって、たまに勇ちゃんみたいなこと言うよね。達観してるっていうか、オトナだね。」
「――は?」
「ううん、なんでもない」
柔太朗は小さく笑って誤魔化したが、内心では、この二人の芯のところが、確かに似ていると感じていた。
その夜、気分転換で画材を買いに行って、遅くに戻ってきた柔太朗の部屋の前で、舜太が所在なさげに立っていた。大きいはずの体躯がいつもより2割ぐらい縮んで見えた。
「……さっきは、ごめん。急に距離取られたみたいで、勝手に不安になっちゃった。」
「俺こそ、ちゃんと説明しないで、突き放すみたいな言い方してごめん」
二人はしばらく見つめ合ってから、どちらからともなく小さく笑った。
「――なあ、これからは、柔に『一人にして』って言われても、ちゃんと平気なふりだけはできるように、練習するわ」
「ふりでいいの、それ」
「最初はふりでも、そのうち本当に平気になるやろ、多分」
適当なようで、意外と芯を食った理屈に、柔太朗は思わず吹き出した。
「じゃあ僕も、練習する。ちゃんと『寂しかった』って、後からでも言葉にするやつ」
「―――寂しかったってええな、それ。聞きたいから、平気なふりする」
その日から二人は、少しずつ、互いの心地よい距離感を探り始めた。近すぎることも、離れすぎることも、どちらも二人にとっては初めての経験だった。
離れすぎると不安になる、近すぎると境目が無くなる。
不器用な練習は、まだしばらく続きそうだった。
翌日、勇斗の部屋でその話を聞いた太智が、声を出してけらけらと笑った。
「距離感の練習て。どんだけ不器用やねん。くっついたり離れたり忙しいわ。手出すのは早いのに、微笑ましい悩みやなぁ。」
「うっさい、ほっといてくれ」
俺は真剣に悩んでると言葉を続ける舜太をよそに、仁人はふと、昨夜の柔太朗の言葉を思い出していた。
(――仁ちゃんって、たまに勇ちゃんと似たようなこと言うよね)
言われてみれば、そうかもしれない、と思う自分がいることに、仁人は今更ながら気づいていた。理由は、まだうまく言葉にならないままだった。