テラーノベル
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午前の出勤ラッシュが終わった頃、平日休みの私は、息子を連れて羽田空港にやって来た。
息子の大好きな、飛行機を見るために。
今は五月。春の暖かな日差しが、空港の広い窓から差し込んでいる。
「ママ、はやくはやく!」
月に一度は来ているから、息子の飛行機の見えるデッキまでの足取りは三歳とはいえ速い。
一方、ベビーカーを押す私はそんな息子を追いかけるので精一杯だ。
「花斗、ちょっと待ってよ」
お気に入りの飛行機のおもちゃを片手に、先を行く我が息子が振り返って私を呼ぶ。
「ママ、おそい!」
「あ、こら! 前を見なさい!」
言うが早いか――
ドンッ! と、花斗は目の前にいた男性の、ネイビーのズボンに見事ぶつかっていた。
「ひ、は、ふ、うえーん」
「わー、ごめんなさい!」
慌てて遠くからそう叫ぶと、男性はしゃがんで花斗に目線を合わせる。
彼の服装は、白い半袖シャツに黒ネクタイ、金色の刺繍が入った紺色の帽子。肩にある黒地の布には、金色のラインが四本ついている。
「僕、大丈夫か?」
爽やかスマイルを浮かべた彼は、白い手袋の手で花斗の頭をポンポンと撫でた。
すると花斗の涙は引っ込んで、代わりにキラキラとした視線がその男性に注がれる。
「息子がどうもすみません」
やっと花斗に追いついた私は彼に頭を下げた。
けれど、花斗は自分が引っ込み思案なことも忘れて、目の前の男性を見つめ続けている。
「おにいさん、パイロットさん?」
「ああ。……あ、これ」
彼は足元に落ちたままの、飛行機のおもちゃを拾い上げる。
「落としたぞ」
それを受け取った花斗の顔に、ぱぁっと笑顔の花が咲いた。
「すみません、この子、パイロットに憧れていて」
その場を離れない花斗を彼の前から引き剥がし、張り付けた笑顔を彼に向けた。
「いえ、こちらこそすみませんでした」
そう言ってパイロットさんは立ち上がると、帽子を外して前髪をかきあげる。
その瞬間、時間が止まった気がした。
「壱月?」
それは、ずっと私が連絡を取りたかった人物で、ずっと探していた人物で──
「……愛音?」
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「うん」
──この子の、父親だ。
「愛音、子どもいたんだ」
「……うん」
上手く切り返せなかった。
好きだった、最低、後悔してる、怒ってる、……言いたいことが多すぎる。
いろいろな感情が胸に渦巻いて、そう言葉を返すのが精一杯だったのだ。
「キャプテン、先行っちゃいますよ?」
先を歩いていた、壱月と同じ制服の男性がこちらに言う。
「悪い、今行く」
壱月は彼にそう言って、私に会釈し体を元歩いていたほうに戻した。
「待って!」
私は思わず、壱月を引き止めた。上手く言葉に出来ないだけで、言いたいことは山ほどある。
「また、会えないかな?」
「は……?」
壱月は面食らったような顔をしたが、少しの間悩むように顎に指を当て、やがて胸ポケットから小さな手帳を取り出した。
そこに、ボールペンでさっと文字を走らせる。そのページを破ると、私の手に握らせた。
「連絡して」
壱月はそれだけ言うと、同じ制服の彼のもとへ駆け足で行ってしまう。
その姿をぼうっと目で追っていると、花斗が私の服の裾を引っ張った。
「ねえ、ママ」
花斗に目を向けると、キラキラした視線がこちらに向けられている。
「パイロットさん、ママのおともだち?」
「あ……うん。そうだよ」
私は曖昧な笑顔を花斗に返した。
*
平日午前中の空港の屋内デッキは人が少ない。
花斗は空いているベンチを見つけそこへ走っていき、我が物顔でそこに座った。
あのベンチは離陸する飛行機が一番見やすい、花斗の特等席。目の前の大きなガラス窓から、目下に滑走路が見えるのだ。
「ママ、おそい」
花斗はやっと追いついた私に向かって、頬を膨らませる。
「はいはい、ごめんなさい」
「『はい』はいっかいでしょ!」
「はい」
三歳児に小言を受けながら水筒を手渡すと、自分で開けてピュッと飛び出してきたストローに口をつけた。
もちろん、視線は目の前の飛行機たちに釘付けだ。
器用になったな、なんて、こんなところにも子どもの成長を感じながら、私も花斗の隣に座って自分のタンブラーを取り出す。
「さっきのパイロットさん、あのひこうきにのってるのかな?」
「ゴホ、ゴホッ!」
突然の息子の呟きに、口に含んだお茶が変なところに入ってしまう。
「あー、ママ、こぼした」
「ごめん」
「もう、かたづけがたいへんだ」
花斗はいつも自分がご飯をこぼした時に、私が口にする言葉を真似したのだ。それで、思わず噴き出してしまう。
壱月との再会のせいで胸がモヤモヤしていた。けれど、それを花斗が吹き飛ばしてくれたような気がする。
「わらわないで!」
「ごめんごめん」
言いながら、また思わず笑ってしまう。
花斗は「もう、しらない!」と怒っていたが、次の瞬間には窓外の飛行機を見て、再び目を輝かせていた。
コメント
1件
うわぁ…っ、まさかパイロットさんが花斗くんのパパで、しかも元カレの壱月さんだったなんて…💦読んでて胸がぎゅっとなったよ。偶然の再会なのに、愛音さんの「また会えないかな?」って言葉がすごく切なくて。花斗くんの無邪気な様子がその重さをやわらげてくれてるのもよくわかる…続きがすごく気になるよ🥀