第三章 ――ひとりの夜に、残る声
夜の風は冷たかった。
窓の外では霧が立ちこめ、月の光がぼんやりと滲んでいる。
紅茶の香りがまだ部屋に残っていた。
今日、フランスさんと過ごした午後の名残だ。
「……本当に、おかしな方ですね」
小さく笑って、カップを見つめる。
そこにはもう、紅茶は残っていない。
けれど、彼の声や笑い方が、まるでそこに染み込んでいるような気がした。
思えば、誰かとあんなに穏やかに話したのは、いつぶりだろう。
いつも人と関わるときは、心のどこかで壁を作ってしまう。
優しい言葉をかけられても、それが壊れてしまうことを、もう何度も知っているから。
……それでも。
今日の彼の笑顔は、なぜだか痛いほど眩しかった。
まるで自分の心の奥まで見透かされてしまうようで。
逃げたくなるのに、あの光に少しでも触れていたくなる。
「……紅茶が、世界でいちばんおいしい、なんて」
あの言葉を思い出して、頬がわずかに熱くなる。
冗談だと思っていたのに――彼の目は、真剣だった。
「……ほんとうに、変な方です」
呟く声がかすれて、胸の奥で何かが波打つ。
誰かに優しくされるのが、こんなにも怖いなんて。
けれど、こんなにも温かいなんて――忘れていた。
窓の外の霧の向こう、
小さな星が一つだけ瞬いていた。
あの光のように、
彼が自分の中に、静かに灯り始めているのを感じる。
――フランスさん。
貴方がまた、明日も来てくださるなら。
……私は、紅茶を少し多めに淹れておきます。
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