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そのじゃがいもを見て、鈴奈は凍り付く。
「タカシ君とはさあ、あの時すっかり仲良くなって、今度あなた含めて三人で会いましょうって言っておいたんだよね」
そう言う怜央の顔は、今やすっかり毒々しい笑顔に戻っていた。
鈴奈に反撃されてしょげかえっていたように見えたのは演技だったんだろうか。
ハナから鈴奈を婚活サギ師と確信していて、密かに会話を楽しんでいたとしか思えない。
怜央を甘く見ていた。鈴奈が思っていたより遙かに上手で強者だ。
「よお、スズナ」
タカシは満面の笑みを浮かべながら席までやってくると、固まったまま動けない鈴奈の隣の席にどっかりと座った。
「碓井さんも、ちわっす。いやあ、美人ふたりに囲まれて嬉しいなあ」
「ふふふ。タカシくんったらお世辞が上手」
「いや、まじっすよ。うちのカイシャ、いや身内じゃ警察のことカイシャって言うんですけどね。ろくな女がいなくて、仕事にやる気が出ないっていうか」
「そうそう、タカシ君って刑事だったわよね。私がサギに遭ったら助けてちょうだい」
「もちろんっすよ。気をつけてください、今や婚活サギとか流行ってますからね。そんな輩、俺がとっ捕まえてやりますけど」
「まあ、タカシ君ったら頼もしい!」
すっかり馴れ馴れしく会話を交わすふたりを見ながら、鈴奈は心が凍り付いていた。
これまでピンチは数あれど、さすがにこの状況は最悪としか言いようがないだろう。
「おい、スズナ。どうした?」
黙りこくったままの鈴奈の肩を、タカシが揺さぶってくる。
「あ、あなたは、誰ですか?」
なんとか口に出せたのは、その言葉だった。
この窮地を脱する唯一の方法。それはひたすらしらを切るしかない。
「はあ? なに言ってるんだスズナ」
「わたし、スズナじゃありません。前橋リサです。あなたなんか、知りませんけども」
「冗談はよせよ。どこからどう見てもスズナじゃないか」
「違います。全くの他人の空似、ドッペルゲンガーです」
「ふざけるのも、いいかげんにしろよ」
タカシはそう言うと、いきなり右手で鈴奈の胸をワシ掴みにした。
鈴奈は驚いて、その手を振り払う。
「な、なにをするんですか!」
「82のCカップ。 何度も揉んだこの手はウソつかねえ。これは間違いなく鈴奈のおっぱいだ」
「チカン! 警察を呼びますよ!」
「俺、警察なんだけど」
怜央はそんなふたりのやり取りを傍観しながら、ニヤニヤと笑っている。
もう限界だった。このままでは取り返しのつかないことになる。早くここから逃げ出さないと。その一心で鈴奈は勢いよく席から立ち上がった。
「と、とにかく! 私はスズナってひとじゃありません! 初対面の人にこんな失礼なことされて、もう我慢の限界っ。帰らせていただきますっ!!」
お、おい待てよ、と戸惑った顔で腕を掴もうとするタカシの手を振りほどき、鈴奈は一目散にスタスタとその場をあとにした。
◇
アパートに向かう道すがら、ずっとドキドキが止まらなかった。
タカシは間違いなく、自分が鈴奈だと気付いただろう。あれから怜央はタカシに何を話しただろうか。
偽名を使って恒生と付き合おうとしていることはもちろん、その目的は婚活サギを働くため、そしてタカシ自身も騙されている。そういった情報が伝えられたことは想像に難くない。
それが、どんな結果をもたらすのか。
刑事のタカシは激怒して、鈴奈を逮捕するだろう。
いや、その前に黒崎が証拠隠しのため鈴奈を海に沈めるかもしれない。
そして当然のことながら、恒生との関係は……終わりを告げる。それを考えるのが、なぜか一番悲しかった。
絶望的な状況なのは確かだ。
いっそ、なにもかも捨てて遠いどこかへ逃げてしまおうかとも思う。
だけど、そこでいったいどうやって暮らせばよいのやら。ずっとハケンだったから手に職もないし。
八方塞がりのままアパートに辿り着いて、はたと立ち止まった。
アパートの入口脇に、あのボストンバッグを持った女が音もなく立っている。
ぼさぼさに伸びた髪の隙間から覗く小さな目は、じっとりと鈴奈を見つめていた。
だけど、すっかり気分が沈み込んでいる鈴奈は女の姿を見ても、今や何の感情も湧かなかった。
逆に暗い目で見返して、やけっぱちにこう尋ねる。
「なんなんですか、いったい」
女は黙ったままだ。蝋人形のごとくぴくりとも動かずに。
「私に付きまとう目的はなんですかって聞いてるんですけど。祐也ならいませんよ。死んで幽霊になりましたから」
そう言うと、とたんに女は目を剥いた。
「祐也が、死んだ?」
「はい。というか、あなたが祐也を殺したのでは?」
「殺してない。すこーし包丁で刺しただけ」
「いやいやいや。やっぱりあなたが刺し殺したんじゃないですか。幽霊の祐也聞いてるー? この人が犯人だって自白したよー。それで死体はどこにあるんですか?」
「知らない。わたしは何も。おしりをちょっと刺しただけなのに、パニックを起こして気が狂ったように泣き叫びながら外へ飛び出していった。それから、いなくなった」
「ああ、祐也って極度の怖がりですからね。血を見て発作起こしてどこかで死んじゃったんでしょう」
テンション低いまま鈴奈がたんたんと答えると、女は苛立ったように目をかっと見開いた。
「もとはと言えば、おまえのせいだ! 祐也はわたしを愛していたのに、おまえがいたからおかしくなってしまったんだ!」
そう怒鳴られて、鈴奈も黙ってられない気分だった。普段なら怯えて泣きながら逃げ去るところだが、やけっぱちは人をも変えてしまう。
「違うでしょうに! 祐也はあなたを愛していなかった。あなたは婚活サギのターゲットにされただけ。祐也の彼女はこの私。そこんところ、ちゃんと理解してくださいよ!」
「なんだと!」
「本気で祐也に愛されてると思ってました? そんなわけないでしょうに」
「クソ……ノロウ……ノロってやる……」
「はいはい。いくらでもノロってください。どうせ私はもう、おしまいなんですから。あと、そのバッグ、返してもらえますか?」
女はぶるぶると震えながらも、しっかとボストンバッグを胸に強く抱きしめる。
「い、いやだ。これは祐也に貸したわたしの金だ」
「いいえ、それはタカシの金です。どうしても返さなきゃいけないんだから……渡してよ!」
いつしかボストンバッグを巡って揉み合いになっていた。
だが、女は足こそ速いが力は驚くほど弱々しかった。あっけないほど簡単に鈴奈はボストンバッグを奪い取る。
女は地面にばったりと両膝をつくと、おいおい泣き出した。
「ああ……わたしの金……祐也と生活するためのお金……」
「だから祐也はもうとっくに幽霊になってますってば。あなたが刺したせいで」
それでも地面に向かって、ノロウ……ノロウ……と呟き続ける女に愛想を尽かした鈴奈は、そのまま無視してアパートの外階段を登った。
部屋のドアの前で鍵を探していると、隣の部屋からあのヤンキー風の女が顔を出した。
警戒するように低い声で話しかけてくる。
「なにごと?」
鈴奈は暗い目のまま隣人を見つめ、つい、ささくれ立った余計な言葉を放ってしまう。
「なにごと?って聞きたいのはこっちですけど。旦那さんの始末は終わりましたか?」
女はビクッと体を震わすと、無言でドアをバタンと閉めた。
自暴自棄というのは恐ろしい。そのとき鈴奈はすっかり理性を失っていた。
コメント
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もう本当にハラハラしっぱなしの回でした……!鈴奈が追い詰められていく感じがすごく生々しくて、タカシの胸を掴むシーンは読んでるこっちまで息が止まりました。あの怜央のニヤニヤした傍観も腹立たしいほど上手で。最後の自暴自棄と隣人への毒づき、鈴奈の感情がもう限界なのが痛いほど伝わってきました。続きが気になりすぎます…!