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今回のエピソード、鈴奈の後悔と絶望感から始まる朝の描写がすごく生々しくて、思わず息を詰めて読んじゃいました。漆原さんがクビになった後の、同僚たちの感謝の言葉には少し安堵したけど、そこで終わらずに闇金や警察の問題が重なる展開にハラハラ。怜央からの電話で恒生との対面が決まったラスト、どう転んでもおかしくない緊張感がたまらないです。続きが気になる!
酷い頭痛で目が覚めた。
ベッドからゾンビのようにふらふら這い出て、冷蔵庫の扉を開けペットボトルの水をごくごくと飲み干す。
ずきずきする頭を押さえながら、昨日の「やってしまいました」感が、ぞわぞわと背中を這い回るのを感じて寒気がした。
漆原さんに盾付き、日頃のうっぷんをぶつけてしまったこと。
怜央とタカシに婚活サギがバレてるのに、別人だと言い張って店を飛び出したこと。
祐也のストーカー女を返り討ちにしたこと。
挙げ句の果てに、旦那殺しが疑いようもないお隣さんに、始末はどうしたなどと刺激してしまったこと。
今思い返すと、震えが止まらない。
別人格に『自分にしか怒りを吐き出せない。それが、どんなに惨めなことか、わかってる?』と貶されて、それでかっとなって。それから、ずっとイライラが収まらなくて。
でも冷静に考えれば、本当のことを言われたから頭に来たんだ。
これまでずっとビクビク生きてきて、不幸な自分を呪ってばかり。
他人から酷い目に遭っても反抗できない、それがニセモノの愛とわかっていても、言い寄ってくれるダメ男に依存してしまう。
自分でもわかっていた。だけど、面と向かって指摘されたとたん、溜め込んでいた怒りが外へと爆発してしまった。
その結果がどうだろう。すべて悪いほうへとまっしぐらに突き進んでしまったじゃない。
すっかり目が覚めた今、嫌悪感と脱力感、そして恐怖で心がいっぱい。残されたのは多くの敵ばかり。
鈴奈は悲しげな深いため息をつくと、すっかり肩を落としながら洗面所へ向かった。
その時鈴奈は、今日が運命の一日となるであろうことを知るはずもない。
◇
会社に到着すると、常に誰よりも早く出社している漆原さんの姿がなかった。
不審に思いながら席に座ったとたん、はなちゃんが弾んだ声で話しかけてくる。
「ねえ、昨日の漆原さんとの面談、どんなマジック使ったの?」
「いえ……どんなって言われても」
「漆原さん、クビになったよ」
「えっ!」
「お客様からハケン会社にクレームが入ったみたい。漆原さんを契約解除にするってね。それも幸手さんが面談した直後に。いきなりいなくなって、まさに消しゴムマジック!」
あの時、漆原さんと言い合いになって、辞めろって怒鳴られて。それを見ていた社員の人にパワハラだと指摘されたのが原因だろうか。
「こう言っちゃ悪いけど、めちゃくちゃ嬉しい。あの人、口ばっかうるさくてろくに仕事できなかったもんね。まあ、給料泥棒猫とか堪忍袋のお袋とか、おかしな漆原語録がもう聞けないのが唯一寂しいけど」
「そ、そう」
「ハケンのみんなも喜んでいるよ。これも幸手さんのおかげだって」
気づくと鈴奈のまわりを、ハケンメンバーたちが取り囲んでいた。
みな嬉しそうに、「本当にありがとう」「感謝に堪えませぬ」と鈴奈に頭を下げる。涙を拭う者までいた。
漆原さんがこれほどまでに疎まれていたとは知らなかった。鈴奈だけを目の敵にしていると思っていたが、おそらくみんなも相当酷い目に遭わされてきたのだろう。
それより鈴奈にとって、これほどまでに人から感謝されるのは初めての経験であり、戸惑った笑顔を返しながらも、どこか心にぽっと火が灯るのを感じていた。
理由はどうであれ、自分がひとに喜ばれるなんて。
だけどチャイムが鳴り、仕事が始まると再び深い絶望感に襲われる。
冷静に考えれば、闇金に1000万を数日以内に返さないとソープ行きであり、刑事であるタカシにおそらく婚活サギがバレていつ逮捕されてもおかしくない状況であり、はたまた、祐也のストーカー女や隣人の旦那殺人犯といった恐ろしいヤカラをイキって挑発してしまったまま。
どう考えても、お先真っ暗だ。パソコン画面のエクセル表の上に死神の姿しか浮かんでこない。
「なに、深刻な顔して。おなかでも痛い?」
はなちゃんが声を掛けてくる。思えば漆原さんがいたときは私語禁止が厳命だったから、はなちゃんと普通に会話するのも初めてのような気がする。
「いえ……ちょっと、いろいろトラブルがあって」
「もしや、オトコ関係?」
「う、うん。まあ、オトコだったりオンナだったり……いろいろ複雑なんです」
「悩みなら相談に乗るよ」
「ありがとう。でもたぶん、はなちゃんの想像を絶する話なので」
遠慮がちにそう言うと、はなちゃんはふうんと首を傾げた。
「この前SNSで見たんだけど。心配事の9割は起こらないから気に病むだけ無駄だって。鈴奈ちゃん、真面目すぎて考え込む性格みたいだから、もっと気楽に生きなよ」
「う、うん。そうだね、ありがとう」
鈴奈は逆に、心配事の9割が起こる体質だということを、誰も知るはずがない。
それを回避するのは、どんよりとした暗闇に沈む都会の夜空に満面の星光を降り注がせるより困難だ。
目はうつろにどよんとしていると、スマホが鳴った。
はっとして前の席に目を向けるが、そこにもう漆原さんはいない。怒鳴られることもない。
スマホを持って人気のない廊下に出た。
耳に当てるなり飛び込んできたのは、怜央の快活な声。思わず心臓がどきっと音を立てる。
『やっほー! 婚活サギ師の鈴奈ちゃん!』
「す、すずなって誰ですか。すみませんが今、仕事中ですので」
『仕事ってもしや、婚活サギの真っ最中!?』
「いえ、会社です。忙しいので、またあとにしてもらえますか?」
『だーめ。実は今、鈴奈ちゃんの会社の前にいるのよね。ちょっと出てきてもらえる?』
「そんな、無理です」
『出てこないなら、このビルのロビーで、幸手鈴奈は婚活サギ師なんです! って大声で叫んでやろうかしら』
「そ、それは、やめてください……」
『あなたがすぐにここへ来るべき理由を教えてあげるね。実は恒生も一緒なの』
「恒生さんが……」
『鈴奈ちゃんさあ。恒生に対して言わなくちゃならないこと、あるんじゃない?』
そこで電話はプツンと切れた。
鈴奈は唇を噛み締める。恒生がここへ。
鈴奈が婚活サギ師であることを、怜央から既に聞かされているのは間違いない。
会いに来たのは、私を罵倒するため? それとも警察に突き出すため?
いえ……もう、どちらでも構わない。
恒生に会ってきちんと話をしなければ。どうされようが、甘んじて受け入れなければ。
それが好きになった恒生に対する、せめてもの誠意というもの。
鈴奈は意を決すると、エレベーターホールに足を向けた。