朝の光がカーテンの隙間から差し込み、真央のまぶたを優しく揺らした。目を開けると、見慣れた部屋の天井が目に入る。
いつもの目覚まし時計のアラームはまだ鳴っていない。28歳、平凡な朝。朝の静寂の中で、ふと胸に軽い重さを感じる。
「今日も、同じ一日か…」
手を伸ばしてベッド脇のスマートフォンに触れる。メールやスケジュールの通知が光を放ち、瞬時に現実に引き戻される。
朝のルーティンは機械のように繰り返される。シャワーを浴び、髪を乾かし、服を選ぶ。どれも無意識の選択だが、脳裏には昨日の仕事の残業のことがちらつく。
コーヒーを淹れる間、窓の外に目をやる。通りを歩く人々、信号待ちの学生、バスの音。
みんな一様に日常を生きている。自分も、同じようにただ生きているだけのような気がした。学生時代の友人たちは今どうしているだろうか。恋愛はうまくいっただろうか。家族との関係は…。思考は止めどなく過去の映像を巡る。
朝食をとりながら、手元のトーストを無意識にかじる。噛むたびに、人生の小さな選択を思い返す。
あのときもっと勇気を出していれば、あの恋愛はうまくいったのかもしれない。あの仕事を選ばなければ、今の疲れや焦燥感も違ったのかもしれない。
家を出て、駅までの道を歩く。歩幅や呼吸のリズムは、まるで自動操縦のように身体が覚えている。
周囲の景色は変わらないが、真央の心は違う。電車の中で窓の外をぼんやり眺めながら、過去の後悔が頭をよぎる。「もし人生をやり直せるなら…」心の奥底で、声にならない願いがこぼれる。
駅前の交差点で立ち止まる。青信号が点灯する瞬間、視界の隅に自転車が猛スピードで近づくのを感じた。
ブレーキの音、風に揺れるヘルメット、そして瞬間的に体がこわばる感覚。現実の緊張と、これまでの人生を振り返る心の迷いが同時に押し寄せる。
「もっと…何か変えられたはずなのに…」
頭の中で無数の“もし”が浮かぶ。もしあのとき勇気を出していたら、もし違う道を選んでいたら、もしあの人にもう一度会えていたら――。過去の自分と今の自分が同時に存在している感覚に、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
横断歩道を渡る。足の感覚、手に握るバッグの重み、周囲の音。全てが鮮明で、息づかいまで聞こえるかのようだ。
ふと、遠くで笑う子どもたちの声が耳に届く。あの日の自分も、同じように無邪気に笑っていたのだろうか。思わず目を閉じて、その記憶に浸る。
次の瞬間、金属音とブレーキ音が混ざり合い、視界の片隅に車のヘッドライトが飛び込んでくる。心臓が飛び出るかと思うほど跳ね上がり、体全体に力が入る。
足は止まるべきか、進むべきか迷い、時間が一瞬にして歪む。
思考の奥で、再びあの問いが浮かぶ。
「”もし人生をやり直せるなら”…私は何を選ぶのだろう?」
ブレーキランプが赤く光り、車のタイヤがアスファルトを擦る音が耳をつんざく。時間がゆっくりと、恐ろしいほど鮮明に流れる。周囲の世界が止まったかのように感じる中、真央はただ目を閉じ、深呼吸を繰り返す。
そして、光に包まれる瞬間。世界が揺らぎ、日常と非日常の境界が崩れる。胸の奥に、小さな希望と恐怖が同時に押し寄せる――。
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