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真央は、光に包まれる感覚と共に意識を失った。
最後に見たのは、夜の街灯の下、急に飛び出してきた自転車と、瞬間的に反射するブレーキランプだった。「まさか…」という思考は、体の感覚に飲み込まれる。
痛みも寒さも、全てが遠くなる。深い闇の中で、ただ自分の呼吸だけが残った。
次に目を開けた時、真央は見慣れた部屋の天井を見上げていた。
白く、少し黄ばんだ蛍光灯。
窓の外には見覚えのある桜並木。
胸にこみ上げる違和感に気づく。
ここは――自分の部屋。
でも、何かがおかしい。
手を胸に置くと、ふわりと細く、柔らかい感触。まるで、十年前の自分の体に戻っているかのようだった。
鏡の前に立つ。そこに映るのは、確かに見覚えのある自分の顔。
でも輪郭は少し幼い。目は同じ色、でも大人の疲れや皺はない。心臓が跳ね上がった。
「これは…夢? それとも幻覚?」指先で頬に触れる。生々しい感触。夢ならここまでリアルではない。意識の奥で、過去と今が奇妙に交錯する。
学校に行く準備をしながら、真央は記憶を整理しようと試みた。
28歳の自分の記憶は、この18歳の体にしっかり宿っている。昨日までの仕事のメール、同僚との会話、上司からの注意――どれも鮮明に覚えている。だが周囲の景色は、10年前のまま。
机の上の教科書、窓の外の桜、懐かしいラジオの音。全てが、時間の壁に隔てられている。
学校に到着すると、クラスメイトがいつも通り挨拶を交わす。「おはよう、真央!」その声に、胸がぎゅっとなる。
10年前の友人たちは、無邪気で、少し無遠慮で、何も知らない。でも、真央はすべてを知っている。
彼らの秘密、悩み、将来の選択――知ってしまった今、普通に振る舞うことがとても難しい。
放課後、偶然出会った親友の美咲。10年前なら真央は恥ずかしさや過去のトラブルを理由に避けていた。
でも今の自分なら、少し違う対応ができるかもしれない。小さな勇気を振り絞り、真央は声をかけた。「久しぶりだね、美咲。」その瞬間、世界が少し変わった気がした。友人の目には驚きが浮かび、次に笑顔が広がる。わずかな一言で、過去は微妙に変化するのだ。
帰宅すると、母親が変わらず台所で夕食を作っている。昔と同じ香り、同じ音。
しかし、今の自分には理解できる微妙な感情の機微が見える。「ただいま」と声をかけると、母の顔にほんの一瞬の安堵が走るのを感じた。10年前の自分には見えなかった母の表情。真央は気づく。「過去を生きる体でも、今の自分で感じられることがある」と。
夜、ベッドに横たわる。天井を見つめながら、今日一日の出来事を反芻する。体は18歳、でも心は28歳。
過去の世界で生きることの現実感と、責任の重さ。自分はこの体で何をすべきなのか、何を変えるべきなのか。完璧な人生を手に入れることは本当に幸せなのだろうか。胸の奥で問いが渦巻く。
窓の外に満月が浮かぶ。夜風がカーテンを揺らす音が、静かに耳に届く。真央はそっと目を閉じ、心の中でつぶやく。「やり直す人生…本当に、それが私の望む幸せなの?」その問いは、答えを持たず、ただ夜の静寂に吸い込まれていく。