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「はんちゃんちから、めっちゃ近いな」
「うん。はんちゃんも空も、実家近くで一人暮らししてるから」
「やから、みんな家近いねんな?幼馴染ええなぁ。でももとちゃんが実家暮らしなんは意外やった」
家の前まで迎えに来てくれた元の助手席で、早々に話が弾む。
けれど俺の内心は、これ以上ないほど緊張していた。車内という密室、ハンドルを握る元の横顔、ふとした動作や目線――そのすべてに心臓が跳ねて、落ち着かない。エアコンの風が、火照った顔に少しだけ冷たく感じた。
「まあ、なんか居心地良くて。ダラダラおる感じやな」
「へぇ。もとちゃんのご両親なら、めっちゃええ人そうやもんな」
「……多分、想像通りの人らやで?」
「えー、会ってみたいなぁ」
……え、それはどういう意味や? 家族になりたい的な、そういう期待をしていいんか?俺的には、今すぐにでも紹介したい勢いやけど。
「あ、そや。ドレッシング切れててん。ちょっとスーパー寄っていい?」
「うん。……もちろん」
なんやろう、この距離感。友達のようでもあり、けれどどこか恋人同士のようでもある。旅行という非日常とは違う、元の「日常」の欠片に触れられただけで、嬉しさが込み上げてくる。
スーパーの駐車場、すんなりと綺麗にバックで駐車する姿さえ、さっきまでとは違う男らしさに映って、思わず釘付けになってしまった。
「ん?」
サイドブレーキを引く硬い音が、静かな車内に響く。元が不思議そうな顔で俺を見て微笑んだ。
あー、もう。俺、完全に元に振り回される「女の子」側の立場になってるな。
「いや……なんか、カッコいいなって思って」
「えー……嬉しい」
素直にニヤついて喜ぶ元。車内でこんな調子やったら、このまま家なんて行ってしまったら、俺はどうなってしまうんやろう。
「あ、」
今、このタイミングでキスマークのことを聞いた方がいいのかもしれん。もし俺の勘違いなら、今のうちに過剰な期待は抑えておくべきや。
「ん?」
「いや……」
けれど、いざとなると言葉が出てこない。
無意識に、あの赤みのある場所を掻くように指で触れてしまった。それを見た元が、ニヤリと……少しだけ悪い顔をした。
「……気づいた?」
「え? あ……うん。帰り際、空に言われて」
「やっぱ、もとちゃん気づいてなかったんや」
ははっ、と恥ずかしげもなく笑う元。
これは、ただの悪戯やったんか?あんなに一人で深刻に考え込まなくて良かったやつやったんやろか。
「……目が覚めたら五時でさ。もとちゃん、起こしてくれるって言ったのになぁって思って。もとちゃん見たら、もう、浴衣すっごいはだけてるしさ、……別にわざわざ大浴場まで行かんでも、今ここで確認したらよくない? って思って。……確認したんよ」
照れる風でもなく、飄々とした顔で告げられる。
「……ここに一回、キスして確かめたってこと?」
「んー、正確にはもう一箇所やな」
「は!?」
もう一箇所!? じゃあ、俺が知らない場所にもう一つ、キスマークがあるって事!?
「どこ!?」
「ん? あとで教えてあげるわ」
元はそんな悪い顔で笑って、カチリとシートベルトを外した。「じゃ、行こか」なんて、なんでそんなに平然としていられるんや。
俺一人、置いてけぼりのまま。
心臓の音だけが、さっきよりもずっと大きく、車内に鳴り響いていた。
「もとちゃん、ドレッシング普段どれ使ってる?」
「俺は、和風が好きやな」
「えー、一緒やん!でも、今日はゴマドレが合いそうやねんなぁ」
そんな会話を交わしながら、元は迷うことなく二つのボトルを手に取ってカゴに入れた。
「あ、でも元が使うもんやから、ゴマドレだけでええやん。俺も元のおすすめで食べたいし」
「いや。二つ買っといたら、次来た時も、もとちゃんが好きな味で食べれるやろ?」
さらりと言ってのける元。
無意識なのか確信犯なのか。友達なら次があるのは当たり前やけど、その言い方はまるで恋人同士みたいで、俺の期待値を勝手にかき乱してくる。
なんだかんだと言いながらビールやおつまみを選び、レジに並ぶ。財布を取り出そうとすると、「おにぎりのお礼やから」と、元にそっと手元を抑えられた。
……元は、絶対にモテるんやろな。
こんなにスマートに何でもやってのけられる奴が、放っておかれるわけがない。なんだか、俺なんかが好きになって、恋人候補に名乗り出るなんて、逆に申し訳なくなってくるわ。
♢♢♢
案内された元の部屋は、少しだけ物が散らかっていた。
その生活感が、かえって俺には親近感が湧いて少しだけ肩の力が抜ける。これでモデルルームみたいなお香の匂いがする家やったら、俺は気後れして足を踏み入れることすらできんかったかもしれん。
「ご飯、何作ったん?」
そろそろ腹も減ってきた。元が冷蔵庫から取り出した家庭的なタッパーを覗き込むと、そこには野菜たっぷりの炒め物が入っていた。普段の生活が垣間見えた気がして、胸の奥が温かくなる。
野菜炒めにサラダ、ホカホカのご飯。そしてビール。
「いただきます」と小さく乾杯を交わした。
「ちょっと家空けた後の我が家って、格別やんな?」
「そう。結局、家やねんなぁ」
相変わらず似たもの同士の感覚が嬉しい。けれど、明日は仕事や。昨日みたいに飲みすぎて醜態をさらすわけにはいかない。
「もとちゃん、一杯だけ?」
「うん。旅行の疲れもあるし、明日に響くから」
「そうやな。昨日みたいに飲みすぎると、ここで寝てまうもんなぁ?」
――あー、もう。
またそうやって、誘うようなことを。
お願いやから、これ以上俺の心を弄ぶのはやめてほしい。
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