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シャロムはデミゴッドになってから、数多の同胞と出会ってきた。その中でもアバドンは特殊だった。求めるのは無窮の愉悦。ひたすらに、ひたむきに、ただ可笑しいと思える全てを愛する。
『彼の意図は我々でも想像がつかない。だが、少なくとも、お前の記憶の中にいる彼からは敵意が感じられない。いつ、どの瞬間を切り抜いても』
ヒルデガルドはよく理解ができず首を傾げる。
「……いつどの瞬間も? 私と戦っているときも?」
彼の行いのどれひとつをとっても明らかな敵意があったはずだが、と納得がいかない様子にも、シャロムはくすっと笑った。
『そういう奴だ。お前が案ずるべきはアバドンなどではない。分かっているはずだろう、ヒルデガルドよ。──クレイ・アルニムは狂気に堕ちている。決着をつけなくてはならない。あれを生かしておけば大勢が死ぬぞ』
忠告にヒルデガルドが強く頷いて返す。飛空艇で起きた惨事がアバドンによるものでないとしたら、可能なのはただ一人だけだ。しかし、他の二人は驚きで言葉を失った。勇者の名が、たしかに聞こえてきたからだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ。クレイ・アルニムって勇者のことだろ。ボクたちにとっては世界を救ってくれた、ヒルデガルドと同じくらい尊敬する大英雄なんだよ。それが、生かしておけば大勢が死ぬって、何の話?」
イーリスの問いかけに、ティオネもふんふんと鼻息を荒くして何度も首を縦に振って詰め寄った。クレイ・アルニムは、それだけ彼女たちの中で大きな存在だ。大賢者にも劣らない。ある日突然に現れて旅を始め、ヒルデガルドという相棒をひとり連れて魔王に打ち勝った偉大な人物。それが共通認識だった。
「……イーリス、せっかくだからこの機会に話しておこう。アバドンが言っていた真の敵。──クレイ・アルニムは、私を殺そうとした男だ」
事情は簡単に説明された。なぜ冒険者となったのか。第二の人生を歩もうとしたのか。思い出すだけで、胸がちくりとした。そんな男ではないと信じたかったが、そうではないのだ。クレイ・アルニムの執着は、考えれば昔からそうだった。
共に旅をする仲間として交流を深めようとしていただけではない。富や名声よりも、彼女自身を求めていた。なぜそうまでして、というのは、ヒルデガルドには分からなかった。男女の関係に興味がなかったから。
だが、結果的に、それが命の危機を招くことになった。欲しいものが手に入らないのなら壊してしまおうとする、その邪で幼い考えが狂気へと駆り立てたのだ。クレイは、最初からそうするつもりでヒルデガルドを人気《ひとけ》のない場所へ呼び出し、期待した──というよりは強制に近い詰め寄り方で──答えが返ってこず、剣で彼女を貫いた。
生きていたのは奇跡だったといえる。もし通りがかったアーネストが気付いていなければ、今頃は。考えるまでもないだろう。
「──今、話させてもらったことがすべてだ。そして、アバドンの後ろにいる何者かはおそらく、クレイ・アルニム。奴であれば、あれだけのワイバーンを同時に操ることも可能だし、コボルトロードを従えたとしても違和感はない」
額に手を当てて俯き、彼女は申し訳ないと謝った。
「魔塔の件で嗅ぎつけられたんだ。そのせいで飛空艇は襲撃を受けたに違いない。……すまん、この事態は私が招いたも同然だ」
飛空艇での被害は甚大で、多くの冒険者たちが犠牲になった。誰にどう謝ればいいのか、そればかりを考えて、平気なふりをしながらもずっと落ち込んでいたヒルデガルドのか細い声を、イーリスが否定する。
「君がいなければ、ボクはゴブリンの巣で死んでいた。じゃあ、アベルやアッシュはどう? あの二匹だって、君がいたから今の暮らしがある。魔塔のことだってカトリナさんが君に頼んだことだ。誰も悪くなんかない。それどころか、飛空艇が落ちてたくさんの人が死ぬところだったのを、君が助けたんじゃないか」
ティオネもまったくだと同調して加わった。
「ヒルデガルド様がいたから飛空艇が事故にあった……。そんな事実があったとして、襲ってきたのは相手ですわ。守ろうとする者を称えこそすれ、責めるなどありえません。考えるべきは、これからどう対処していくかでしょう」
話を聞いていたシャロムが巨体を起こす。
『彼女らの言う通りだ、ヒルデガルド。クレイも、そう簡単に行動は起こすまい。今は、お前も力を蓄え、きたるべき時に備えよ』
励まされても、それが正しいかどうか彼女には判断できない。だが、それでも今は俯いている場合ではないだろう、と顔をあげることはできた。
「……少し色々ありすぎたせいかな。私のためにありがとう、もう少し踏ん張ってみることにするよ。泣き言で解決する問題でもないからな」
そうと決まれば、と思い出して彼女はシャロムに尋ねる。
「ところで実は、飛空艇の動力炉をアバドンに破壊されたせいで、飛空艇の電力が足りていない。救助もはやめに来てくれるとは思うが、もって二日だ。まんがいちの場合に備えて、エネルギー源になりそうなものを探しているんだが」
シャロムがむくっと立って、背中を向けた。
『いいものがある。乗れ、案内してやろう』