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「おーいリト、水もらって来たで。……うーん、顔赤いし目の焦点も定まってへんし……体調は悪ない?」
「おぉ……さんきゅ。そこ置いといて 」
「あかんて、今飲まな」
心配そうなマナに無理矢理ガラスのコップを握らされ、渋々中身を飲み干した。どうやら水のピッチャーごともらってきたようで、「まだまだあるでな」と背中をさすられる。
「あ、あとな。店員さんが飲みもん間違ってごめんなさいって、平謝りしとったで。直接言いに来たっぽいけど、リトこんなんやしなぁ」
「あー……マジ? なんか、すげー申し訳ないんだけど」
「店員さんも悪くないけどさぁ、リトが申し訳なく思う理由もないよ。これはただの事故なんだって」
そう言いつつ、ウェンは即席で作った冷たいおしぼりを手渡してくれる。汗ばんでやたらと熱をもった首筋に当てると、流れる血も冷えていくようで気持ちがいい。
これはただの事故。今しがたウェンが強調して言った言葉を、頭の中だけで反芻する。
何があったのかというと、数十分前──件の店員の手違いで、リトの注文したノンアルコールカクテルにアルコールリキュールの入ったものが運ばれてきてしまったのだ。そしてリトはそれに気付かずグラスの半分ほど飲んでしまい、店員が慌てて飛んできた頃にはもうすでに随分酔いが回ってしまっていた。
マナに介抱されながら、心なしかいつもより熱を持っている息を吐き出す。
頭が無理矢理機能を下げられたみたいに上手く回らない。吐き気がするほどではないが、やはり身体全体が重く感じて、いちいち動きが鈍くなる。
こんなに酔ったのは──というか、お酒を飲んだのはいつぶりだろう。少なくとも周りに心配されるほどというのは、もう何年も前に一度やらかしたきりだと記憶している。
「なんつーか、アレね。慣れない注文するもんじゃないね、マジで」
「今回は特例中の特例でしょ。こういうお店じゃその時飲みたいもん飲むのが正解! あんまり引きずっても良いことないよ」
迷惑をかけてしまっている負い目から萎れかけている心には、ウェンの良い意味で軽く温かい声がやけに沁みる。
──ふと、人影がひとつ足りないことに気がついた。
「……テツは?」
「さっきトイレ駆け込んどったで」
「ワンチャン吐いてるかもね。……いや、だったら声聞こえるかぁ」
「ふっはは! あのクソデカ助走ボイスな! なんで吐くだけであんな声出んねやあいつ」
「あー、そう……」
半個室になっている出入り口の方をじっと見つめる。障子の向こう側に、人の気配はない。
他の席で飲んでいる人達の喧騒。笑い声、話し声、そのどれもがどこか遠く聞こえて──ああ、もう、今ここで言ってしまおうかな。なんて投げやりな思いつきをした。
「……リト?」
心配そうな顔でマナがこちらを覗き込んでくる。
何だか目を合わせていられなくて、右腕で目元を覆って隠した。 アルコールのせいだけじゃない、嫌な緊張をしているときの汗。指先が冷える感覚。動悸がやけに耳の近くで聞こえる。
ひとつ大きく深呼吸をして、壁にもたれかかりながら、やっとのことで口を開いた。
「……──俺さぁ。多分テツのこと、好き、なんだと思う」
……その瞬間だけ、周りの音が一切消え去ったような気がした。
マナもウェンも何も言わず、ただ自分の大げさな呼吸音だけがこの個室に響いている。
ああ、言っちまった。
やっぱり酒は駄目だ。言ってはいけないことを言ってしまえるハードルが、こんなにも低くなる。
沈黙に耐えられなくて唇を噛み、腕を下ろしながら俯く。
「……えっと、」遠慮がちなマナの声が、頭上から降ってきた。
「それは……友達としてとか、同期として、とかじゃなく?」
「うん」
「当たり前やけど、お前そういう冗談言うタイプとちゃうやんな」
「……うん」
「……そっか」
顔を上げられない。マナとウェンが、自分がどんな顔をしているのか知りたくなくて。
マナは今きっと、すごくたくさんのことを考えている。自分が楽になりたいからと衝動的に口走ってしまったせいで、優しくて賢い友人を悩ませてしまっている。その事実がアルコールの匂いと混ざって頭をぐらぐら不安定にする。
再び訪れた重たい沈黙を破ったのは、ウェンだった。
「それをさ、今僕らに言ったのはなんで?」
「……それは……」
決して問い詰めるような険しさはなく、まるで迷子の子供に話しかけるような柔らかい声。
否定しないんだな、と真っ先に思った。2人とも、俺達が男同士だからとか、同期だからとか、そういう色眼鏡をかけずに正面から向き合ってくれている。 もちろん自分が同じ立場だったとしても否定したりなんかは絶対にしないが、それでも最適な言葉をかけられるかと言われると微妙だ。
ウェンはこういうときの気遣いが上手い。答えるのに躊躇わないよう、逃げ道のある聞き方をしてくれる。
だからこそ、正直に答えるべきだと思った。
「……ごめん、1人で抱えるの……もう無理そうでさぁ。俺が楽になりたいから言った。ごめん」
「別に謝ることないやろ」
「うん。それをじゃあ、なんでテツ本人には言えなかったの?」
「いや、それは……無理だろ。あいつにだけは絶対言えねえよ」
吐き捨てるように言うと、マナの困ったような唸り声が聞こえてくる。
そうだよな、解決しようのないこと急に言われたって、どうしていいか分かんないよな。
ごめん、とまた謝罪が飛び出そうになった時、ウェンが被せるように「じゃあさ」と畳みかけてきた。
「リトはテツの、どういうとこが好きなの?」
「へっ? ……え、それ聞きたい?」
「当たり前やろ。俺やってテツのこと個人的に推しとるし。もちろんお前らのこともな」
咄嗟に顔を上げると、マナが真横に座りつつ見たこともないほどウザいドヤ顔をしていた。何?こいつ。
ウェンはと言うと、始まりましたと言わんばかりにジョッキを煽り、前のめりになってワクワクするのを隠せない顔をしている。
他人事だと思ってこいつら……と思わなくもないが、良い機会だし思い切って暴露してしまおうという気になってきた。
余談だが、こうして投げやりな思考になることを人は『ヤケになる』と言うらしい。
「えー……だってあいつクソ面白いじゃん。やってることも言ってることも意味分かんねえのにいっつも楽しそうだし、何考えてんのか分かんないとこ? とか」
「わかるぅ〜! テツってなんであんな意味わかんね〜ことたくさん思いつくんだろうね? 楽しそうだから良いけどさ」
「それと、リアクションがめっっちゃ面白いよな。見てるだけなのに謎にオロオロしだしたり、ちょっとびっくりするとすっげえでけえ声でビビり散らかすとこ。好きだわ」
「わかるわぁ〜! 逆に喜びのリアクションもデカいねんな。『ありがとう!! 僕これ一生忘れないよ!!』とかすぐ言う。なんや小学生相手しとる気になるわ」
「あと意外とタフなんだよな。そもそも身軽だったり元の運動神経良いのもあんだけどさ、任務中とか血まみれになってんのにすっげえイイ笑顔で『こっち逃げ遅れてる人いなかったよ!』とか報告してくんの。心配よりも先に……何? 愛おしさ? が勝つ」
「ま、ギリ心配が勝つから後でお説教やけどな」
「まず笑顔が良いもんな。可愛い。八重歯? 犬歯? っつうの? アレ。頭撫でくり回したくなる」
「うんうん〜」
「あとなんつうの? 貧弱だよな。体型とか。ほっせえのによくあれで飛んだり走ったりできるよな。手首とかこんなもんだぜ? 守りたくなるのと同時にこう、いじめてやりたくなるっつうか……」
「よーしなんや生々しくなってきたからこの辺にしとこか!」
危うい方向に舵を切り出したリトを無理矢理黙らせると、マナは何やらウェンに目配せをしている。
そういえば、冷やしたおしぼりのおかげか徐々に体温が治まりつつある気がする。こうして水でも飲んでいればそのうち落ち着くだろう。
一方マナのアイコンタクトを受け取ったウェンはギュンと両目を閉じ──恐らくウィンクをすると、障子の方へ向かって大きく手を振った。
「っつーことだけど、どう? テツくん見ってるぅ〜!?」
「えっ……は?」
動揺するリトがまるでもう何年も油を差していない機械のようにぎこちなく障子の方を向くと、まるでもう何年も油を差していないお茶汲み人形のようにぎこちなく当の本人であるイッテツが登場した。
両者ともオーバーヒートを起こしたようで、真っ赤になって硬直している。
「ッスゥーー……あっ、えー……はい、どうも……」
「座って?」
「あっ、すいません。なんか、席間違えちゃっ……たみたいな……」
「座れや」
「あっ、はい」
そのまま出入り口の際ギリギリにかろうじて正座をすると、マナに「なんで仲居さんの位置取りやねん」と突っ込まれ渋々座布団の上へ座る。
普段に増して目が挙動不審だ。リトはと言うと、初めて見るイッテツの態度から目が離せないでいた。
「で? テツはこれ聞いてどう思う?」
「っいや、それは……」
「リトは黙っとき。今はテツのターンやで」
「あっ、えと……」
左の腕をさすりながら、イッテツの視線は左下に落ち着いたようだった。
一瞬で酔いが醒めた。さっきまでとは比べ物にならないくらい脳が回転しているのに、意味のあることは全く吐き出さず『終わった』とだけ告げてくる。
イッテツはしばらく気まずそうに手元をいじくっていたが、そのうちゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
「……えー……と、ですね」
「おん」
「その……何と言いますか…… 」
「うんうん」
「その…………ぼ、僕もリトくんのことがわりと好き……と言いますか……」
「……は?」
「わりと?」
「あ、いや……あぁ……わりと、超好き、というか……」
一度は素面に戻ったはずの脳内が、再び動きを止める。
は? 今なんて?
好き? 超? 超好きってなんだ??
使い物にならなくなったリトとイッテツを、マナとウェンはニヤニヤしながら交互に見つめる。
「で? おふたりはこれからどうする気なの?」
「え?」
「は?」
「いや、だから……あるやろ? まだ 」
何が?
ハテナマークを浮かべたままのリトと違い、その意図をすぐに察したらしいイッテツは「え? 俺?」という顔をしてウェンの方を見る。ウェンは「お前だけど?」という顔で返す。
「……えぇと、だから、ですね…………り、リトくんさえ良ければ、その、そのー……僕とお付き合いして、いただけたり、なんかは……」
後半になるにつれ蚊の鳴くような声で、イッテツは呟く。 ぶどう色の瞳にはうっすら涙が張って、今にも溢れてしまいそうだった。
リトは咄嗟に、それを溢したくない、と強く思った。
「……じゃ、じゃあ、付き合って、みる?」
「……えっ?」
「だって、ほら、俺達……両想い、みたいだし……?」
言っているうちにじわじわ実感が湧いてきて、嬉しいと同時に恥ずかしくなってきた。
なんだこれ、俺とテツが両想い? まさか。夢じゃねえの?
イッテツの方はというと、自分で言っておきながらまさかそんな言葉を返されるとは思っていなかったようでぽかんとしており、そしてこちらもまたじわじわと実感が湧いてきて徐々に口角が上がっていく。
「お、おぁ……では、ふつつか者ですが……」
「あ、あー、よろしく……?」
そうして何故か握手を求めてくるので、リトもそれに応じてやる。イッテツの手もまたリトと同じく汗でじっとり濡れており、また微かに震えていた。
あ、こいつも緊張してたんだ。なのに、想いを伝えて告白してくれて……何だよこいつ、めちゃくちゃかっこいいじゃん。
2人で手を握りながら涙ぐんでいる横で、マナとウェンは祝福の雄叫びを上げている。いつの間にかこの店内で一番騒がしい席になってしまっていたようだ。
ざっと2年ほどの片想いが報われた瞬間に、リトは喜びでいっぱいだった。きっとこれから恋人らしく、素晴らしい日々が待っているのだと、てんで疑いもせずに。