テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#探偵
橘靖竜
6,601
4,465
にゃいにゃい
74
第二十一章 奪われた身体編
第311話 身体を探して
【現実世界・雲賀家】
榊原梓が、自分の名前を取り戻した翌日。
ハレルは朝から、何度も胸元のカメラ型ネックレスへ視線を落としていた。
主鍵の光は昨夜ほど強くない。
それでも完全には消えず、透明なレンズの奥を細い白光がゆっくり巡っている。
繋がりは、まだ残っていた。
異世界でも現実でもない深い層。
そこにいる榊原梓と。
「ずっと光ってるね」
隣からサキが覗き込む。
「うん。でも、昨日みたいに何か送ってきてる感じじゃない」
ハレルは主鍵へ指を添えた。
無理に力を流さない。
呼ばない。
引っ張らない。
昨日までなら、反応があると分かれば、こちらから何かできないかと考えていたかもしれない。
今は違う。
梓がどこへ行きたいのか。
何を望んでいるのか。
まず、それを聞かなければならない。
匠は少し離れたテーブルで端末を見ていた。
帰還してからまだ身体は完全ではないが、主鍵の反応が続いている以上、休んでいるだけにもいかなかった。
「ノノから連絡は?」
ハレルが聞く。
「さっき来た。向こうでも梓さんの反応は安定しているらしい」
「話せる?」
「昨日よりは可能性がある。ただ、まだ普通の会話ができる状態じゃない」
匠が端末をこちらへ向ける。
画面には、主鍵を中心にした簡単な接続図が表示されていた。
現実側。
主鍵。
深部。
白色コア――ではなく。
表示名は、すでに変更されている。
《榊原 梓》
ハレルは、その文字を少しだけ長く見た。
昨日までは
白色コア。
未知の意識。
そう呼んでいた。
今は
一人の人間の名前がある。
「短い言葉なら、反応を拾えるかもしれない」
匠が言った。
「でも、質問の仕方には気をつけろ」
サキが首を傾げる。
「質問の仕方?」
「ああ。たとえば最初から『現実へ戻りたいか』と聞けば、それだけで答えを狭める」
ハレルは昨日の白峰の言葉を思い出した。
――本人が自分で決める余地。
「じゃあ」
ハレルは考えた。
「何をしたいですか、でいい?」
匠が小さく頷く。
「それが一番近い」
その時。
主鍵が淡く脈打った。
一度。
二度。
三度。
ハレルたちの視線が集まる。
パソコンからノノの通信が入った。
『ハレル、今の分かった?』
「うん」
『こっちでも反応が上がった。梓さん、たぶん聞いてる』
サキが少し緊張した顔になる。
ハレルは椅子へ座り直した。
胸元の主鍵を外さないまま、手のひらでそっと包む。
「榊原さん」
主鍵が揺れた。
昨日とは違う。
名前に反応しているというより。
呼びかけそのものを認識したような、弱い揺れだった。
「俺、雲賀ハレルです」
一度。
光。
「昨日、名前を教えてくれてありがとうございました」
また僅かな反応。
ハレルは続けようとして止まった。
何から聞けばいい。
身体へ戻りたいか。
現実へ帰りたいか。
ユナに会いたいか。
聞きたいことはいくらでもある。
だが、どれも
こちら側が考えた選択肢だった。
ハレルは息を整える。
「榊原さんは」
少し間を置き。
「今、どうしたいですか?」
主鍵の光が。
止まった。
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/深部】
榊原梓の光は
長い間、動かなかった。
白峰律は少し離れた位置から、その反応を見ている。
近づかない。
名前も呼ばない。
昨日、梓自身が名前を選んだ。
なら次も
本人が答えるまで待つ。
Cの声が響く。
『外部質問情報を受信』
《質問内容》
《現在の希望》
カシウスは表示を見る。
「帰還意思を確認すれば早い」
白峰は視線を動かさなかった。
「それでは同じです」
「何が」
「戻ることを前提に聞いている」
「身体は現実側にある」
「だから戻りたいとは限らない」
「昨日も同じ話をした」
「なら、もう分かっているでしょう」
カシウスは何も言わなかった。
梓の光が僅かに揺れる。
Cが反応を拾う。
『言語形成』
白峰の目が動く。
最初は音にならない。
一つ。
また一つ。
断片。
それが主鍵の経路へ流れ始めた。
◆ ◆ ◆
【雲賀家】
スピーカーから小さなノイズ。
サキが身を乗り出す。
「来た?」
匠が手で制した。
「待て」
ノイズの奥。
女性の声。
まだ遠い。
『……から……』
ハレルが聞き返しそうになったが、止めた。
梓自身が続けるのを待つ。
もう一度。
『……分から……ない……』
ハレルの表情が変わる。
サキも何も言わない。
『……何を……したいか……』
短い呼吸のようなノイズ。
『まだ……分からない……』
その答えにハレルは少しだけ安心した。
「分かりました」
すぐに言う。
「今決めなくていいです」
主鍵が淡く光る。
『……』
ハレルは続けた。
「分からないなら、そのままで大丈夫です」
匠が静かにハレルを見る。
サキも頷く。
すると梓から
次の言葉。
『……でも……』
光が強まる。
『知りたい……』
ハレルが聞く。
「何を?」
数秒。
何も来ない。
そして。
『……身体……』
全員の表情が変わった。
『私の……身体……』
サキが小さく息を呑む。
梓の声が途切れながら続く。
『まだ……ある……?』
ハレルはすぐには答えなかった。
分からない。
だから、分かったふりはしない。
「ある可能性は高いです」
言葉を選ぶ。
「でも、まだ見つかっていません」
主鍵の光がゆっくり揺れた。
ハレルは続ける。
「白峰さんが昔、身体を生命維持装置で保存していたことは分かっています。そのあとカシウスに預けて、別の場所へ移されたらしいです」
『……カシウス……』
梓の声に僅かな変化が混ざった。
恐怖なのか
怒りなのか
まだ判断できない。
ハレルはそこへ意味を決めつけなかった。
「警察も探してます」
少し間。
「でも」
ここからが大事だった。
「榊原さんが、それを望まないなら」
サキがハレルを見る。
「俺たちは」
言葉を続ける。
「身体を探すのを止めます」
匠は何も言わない。
ただ主鍵を見ていた。
梓から返事はない。
五秒。
十秒。
十五秒。
長い。
だが。
ハレルは待った。
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/深部】
梓の光の中。
断片的な記憶が浮かんでいた。
手。
キーボード。
指先。
自分の手。
コーヒーカップを持つ手。
ペンを回す指。
冬。
冷えて。
ポケットへ入れた手。
ユナのコードを指差す手。
次
鏡。
顔。
自分。
朝。
髪を直す。
眠そうな目。
また。
白い実験室。
椅子。
身体が遠くなる。
自分の手が見えなくなる。
『身体が遠い』
自分で言った。
そこから。
長い。
長い時間。
身体を感じていない。
それでもあれは。
自分の身体だった。
戻りたいのか
分からない。
あの身体へ戻った時
今の自分が
どうなるのかも分からない。
怖い。
だが知らないまま
誰かの手元に置かれていることも
怖かった。
自分の身体なのに。
自分がどこにあるのか知らない。
梓の光が。
ゆっくり。
主鍵へ向く。
◆ ◆ ◆
【雲賀家】
声が届く。
『……探して……』
ハレルが顔を上げる。
『……ほしい……』
サキの手が膝の上で握られる。
梓はもう一度。
今度は少しだけはっきり。
『私の身体を……』
一度
途切れる。
『探して……ほしい』
ハレルはゆっくり頷いた。
「分かりました」
少し考えてから付け足す。
「見つけたあと、どうするかは」
主鍵へそっと触れる。
「その時、また榊原さんに聞きます」
光が一度、強くなる。
それが。
返事のように見えた。
◆ ◆ ◆
【一ノ瀬家】
同じ通信を。
ユナとリオも聞いていた。
『私の身体を……探して……ほしい』
ユナは画面を見たまま
涙を拭った。
「先輩」
声をかけようとして一度止まる。
以前なら
すぐに言っていた。
帰ってきてください。
戻ってきてください。
また会いたいです。
もちろん今もそう思っている。
強く思っている。
でも、それを
梓の答えにしてはいけない。
ユナはマイクを入れた。
「先輩」
リオが横を見る。
「探します」
ユナはゆっくり言った。
「身体がどうなってるか、ちゃんと探します」
一度、息を吸う。
「それを見てから」
声が少し震える。
「先輩が決めてください」
主鍵経由の反応が僅かに返る。
ユナはそれ以上。
何も言わなかった。
◆ ◆ ◆
【警察関連施設/臨時合同分析室】
城ヶ峰は
匠から共有された内容を聞き終えると、椅子へ深く座り直した。
木崎が机へ手を置く。
「本人が探してほしいって言ったんだな」
「ああ」
匠が答える。
「少なくとも今は、それが本人の希望だ」
日下部が榊原梓の捜査資料を開く。
顔写真。
旧社員記録。
搬送履歴。
湾岸地域。
複数のダミー会社。
生命維持設備。
これまで捜査側は
梓の身体が犯罪の証拠になる可能性を追っていた。
それは今も変わらない。
だが、意味が一つ増えた。
その身体の持ち主本人が。
探してほしいと望んでいる。
城ヶ峰が言った。
「捜索は続ける」
木崎が頷く。
「最初からそのつもりだ」
「ただし」
城ヶ峰は資料を見る。
「目的を混ぜるな」
日下部が顔を上げる。
「どういう意味ですか」
「俺たちは捜査として探す。本人の意思があるからといって、証拠を飛ばして突っ込むことはしない」
「ああ」
木崎も言う。
「逆に、見つけた後どうするかを俺たちが決めるわけでもない」
匠はその言葉を聞いて静かに頷いた。
城ヶ峰が日下部を見る。
「前に絞った湾岸の関連施設」
「はい」
「もう一度洗い直せ」
「どこから?」
「会社じゃない」
日下部はすぐに理解した。
「消費記録」
「ああ」
電力。
医療用酸素。
保存液。
交換フィルター。
非常用発電機。
保守作業。
人間一人を何年も生かし続けるなら消せないもの。
木崎が言う。
「今度は候補を全部並べるぞ」
日下部が頷いた。
「三つまでなら、今日中に絞れると思います」
「やれ」
城ヶ峰の短い言葉で
捜索が再び動き始めた。
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/深部】
現実側との接続が弱まる。
梓の光は
再び静かになった。
白峰律は離れたところからそれを見ている。
カシウスが言った。
「身体を探させるのか」
白峰は答えない。
「見つかれば、戻すつもりだろう」
「まだ分かりません」
「本人が身体を探してほしいと言った」
「探してほしいと言っただけです」
カシウスの目が細くなる。
「同じことだ」
「違います」
白峰は今度はすぐに答えた。
「身体がどこにあるのか知りたい」
「身体へ戻りたい」
「同じではありません」
「面倒な区別だな」
「人間は面倒なものです」
カシウスは少し黙った。
白峰は梓を見る。
「以前の私なら」
静かに続ける。
「身体が見つかった時点で、戻す準備を始めたでしょう」
「今は違う?」
「ええ」
「なぜ」
白峰は白い光を見ながら答えた。
「身体を探すと決めたのは」
一度、言葉を切る。
「私ではないからです」
その時。
少し離れた観測領域で
別の警告が一つだけ灯った。
《人格定着異常》
《被験体A/B》
白峰が振り返る。
Cの声が響く。
『実験対象に自己認識の変動を検出』
カシウスもそちらを見る。
榊原梓とは別の場所。
以前
死者の身体と
別人の意識と
他人の記憶を組み合わせられた男。
表面上はすでに自分をAだと認識していたはずの人物。
その男が眠りながら
小さく何かを呟いた。
Cが音声を拾う。
白峰の表情が変わる。
男が口にしたのは
Aの名前ではなかった。
書き換える前。
意識コアの持ち主だった。
Bの。
元の名前だった。
コメント
1件
「私の身体を……探してほしい」 梓さんが自分の言葉でそう言えたこと、本当に良かったね……。分からないままでいい、と言われた後の「知りたい」って気持ちが、ちゃんと梓さん自身の意思として出てきたのが尊かった🥀 ユナが「先輩が決めてください」って引くところも、梓さんをちゃんと一人の人として尊重してて好きだよ。白峰が「人間は面倒なもの」って言ったシーンも、作品のテーマが凝縮されてたと思う。 最後の被験体A/Bの異変も気になる。Bの元の名前……この世界、梓さんだけじゃなくてまだ終わってない人がいるのか……。続きが楽しみだよ。橘さん、今回は梓さんの選択を待って書いてくれてありがとう。