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おお……第312話、めっちゃ重かった…… Aの身体にBの意識、ってだけじゃなくて、ちゃんとBの記憶が“下”に残ってるってのがゾッとしたわ。寝てる時に無意識に名前が出たり、映像で再現されてない調味料に手を伸ばす描写、めちゃくちゃ生々しかった。 「この顔、ずっとこの顔だった感じがしない」って台詞、グッときたね。自分の感覚と記憶がズレてるって、一番怖いよな。 それに最後の「終わっていなかった」で一気に他の被験者にも波及してて、このままどう転ぶか気になって仕方ない。白峰が「本人の話を聞くべきだった」って言えたのは、この話の中で一番の成長だと思ったわ🔥
第312話 残った違和感
【どこでもない層/深部】
男は眠ったまま、もう一度その名前を口にした。
Aの名前ではない。
今の身体の持ち主でもない。
書き換えられる前。
この身体へ入れられた意識コア――被験体Bが、生きていた頃の名前だった。
白峰律は表示を見つめる。
《睡眠時発話》
《発話名称・被験体B登録情報と一致》
《表層自己認識・A》
《基底意識反応・B》
カシウスが静かに言った。
「夢を見ただけだろう」
白峰は男から目を離さない。
「何の夢です?」
「記録に残っているとは限らない」
「そういう意味じゃありません」
男の呼吸は穏やかだった。
起きている時
彼は自分をAだと信じている。
Aの家族を知っている。
Aの仕事を覚えている。
Aが好きだったものを好み、Aが嫌っていたものを避ける。
鏡を見ても
そこにいるのは自分だと言う。
実験直後、カシウスたちはそこまで確認した。
だが眠っている今
誰にも質問されず。
何も見せられず。
自分から出てきたのは
Bの名前だった。
白峰がCへ尋ねる。
「直前の反応を遡ってください」
『確認します』
睡眠中の記録が表示される。
脈拍。
呼吸。
微弱な意識反応。
その中に幾つかの山。
Cが結果を反映する。
『被験体B由来と考えられる記憶参照反応を検出』
カシウスの眉が僅かに動いた。
「どの記憶だ」
『完全な内容復元はできません』
『ただし、被験体Aへ付与した記憶群とは一致しない反応が複数あります』
白峰が言った。
「戻ってきている」
「何が」
「Bがです」
カシウスは男を見る。
「Bは消していない」
「上からAを重ねただけだから?」
「そうだ」
「なら」
白峰は表示を指した。
「下にあるものは、消えたわけではなかった」
◆ ◆ ◆
男が目を覚ましたのは、それから二十分ほど後だった。
「……何だ」
ゆっくり身体を起こす。
#探偵
橘靖竜
6,601
4,465
にゃいにゃい
74
Aの顔。
Aの声。
Aの身体。
男は白峰たちを見ると、少し不機嫌そうに眉を寄せた。
「また検査か?」
オルガが観測値を確認する。
「眠れた?」
「まあ」
「夢は?」
男の動きが一瞬だけ止まった。
「……見てない」
白峰が反応する。
答えるまでの間。
ほんの僅か。
カシウスも気づいていた。
オルガが聞く。
「本当に?」
「覚えてない」
男は寝台から足を下ろした。
「それより、いつまでここにいるんだ。俺はもう問題ないんだろ?」
自分をAだと信じている。
少なくとも表面上は。
白峰は椅子を一つ引いた。
「少しだけ話をさせてください」
男が白峰を見る。
「何だよ」
「昨日のことは覚えていますか」
「昨日?」
「ここで何をしたか」
男は少し考える。
「質問された」
「他には?」
「記憶の確認」
「その前は」
「……何の話だ」
白峰は
Aの人生について聞いていく。
母親。
父親。
学生時代。
仕事。
事故。
男は答える。
ほとんど正しい。
次に。
Bの人生に関する質問。
最初は答えられない。
出身地。
家族。
仕事。
知らない。
男は苛立ち始める。
「誰の話だよ」
白峰は答えず、最後に一枚の画像を表示した。
地方の住宅街。
古い二階建ての家。
庭の隅に小さな木。
Bが幼い頃に暮らしていた家だった。
男の顔から表情が消えた。
「……」
オルガがすぐ数値を見る。
《基底意識反応・上昇》
白峰は聞いた。
「知っていますか」
「知らない」
答えは早い。
だが男の目は
家の二階から離れない。
「行ったことは?」
「ない」
「本当に?」
「ないって言ってるだろ」
声が強くなる。
白峰は画像を閉じようとした。
その時
男が言った。
「待て」
白峰の手が止まる。
「何です」
男は自分でも分からないような顔で画面の端を指した。
「そこ」
小さな窓。
「何か?」
「……違う」
「何が」
男が眉を寄せる。
「そこじゃない」
「何がです」
「木」
庭の隅。
白峰たちが見る。
一本の木。
男が言った。
「昔は、もっと右にあった」
沈黙。
男自身が一番驚いていた。
「……何で」
白峰が静かに聞く。
「何で分かるんです」
「知らない」
「見たことがある?」
「知らない!」
男が立ち上がる。
呼吸が速い。
「何なんだよ、これ」
Cの表示。
《被験体B記憶反応・明瞭》
《被験体A付与記憶との関連なし》
白峰はもう確信していた。
上書きした記憶とは別に
元の人生がまだ残っている。
◆ ◆ ◆
次に見せたのは食卓だった。
写真ではない。
Bの記録から再構成した簡単な映像。
母親。
父親。
子どもの頃のB。
夕食。
男は最初
「知らない」
と言った。
だが、母親が皿を置いた瞬間。
男の右手が無意識に動いた。
テーブルの端へ
何かを取ろうとするように。
「今、何をした」
オルガが聞く。
男は手を見る。
「……何も」
「手を伸ばした」
「知らない」
再生
同じ場面。
母親が皿を置く。
また右手。
今度は男自身も気づいた。
「何だよ……」
その場所には映像上何もない。
白峰が過去記録を確認する。
Bの家では
夕食時、その位置に
いつも小さな調味料入れが置かれていた。
映像再構成では省かれている。
なのに
身体はそこへ手を伸ばした。
いや
身体はAだ。
だから正確には
Bの意識が覚えていた。
男が自分の右手を見つめる。
「俺は……」
白峰は何も言わない。
男が自分の顔へ触れる。
頬。
鼻。
額。
鏡を求めるように周囲を見る。
オルガが小さな鏡を出した。
男はそこに映るAの顔を見た。
以前なら普通に自分の顔として受け入れていた。
今は長く見つめる。
「……おかしい」
白峰が聞く。
「何が」
「この顔」
声が僅かに震えている。
「知ってる」
「はい」
「俺の顔だって分かる」
「はい」
「でも」
男が鏡を持つ手を強く握る。
「ずっとこの顔だった感じがしない」
◆ ◆ ◆
カシウスはその様子を黙って見ていた。
男は鏡を置き自分の腕を見る。
手。
指。
爪。
筋肉。
「この傷」
手首に古い傷跡。
Aが若い頃に負ったもの。
「覚えてる」
「何が」
「どうやってできたか」
男は答えた。
Aの記憶と一致。
「なのに」
傷に触れる。
「痛かった感じがない」
白峰の目が動く。
「記憶はあるけど?」
「自分が怪我した気がしない」
次、男が胸を押さえる。
「何なんだよ」
誰もすぐには答えなかった。
Aとしての記憶。
Bとしての感覚。
同じ場所に二つ。
いや混ざり始めている。
男が白峰を見る。
「俺に何した」
以前説明している。
実験前にも
実験後にも
だがその時
男はAとして受け取っていた。
今は違う意味で同じ質問をしている。
白峰は誤魔化さなかった。
「あなたの意識を」
ゆっくり言う。
「別の人間の身体へ入れました」
男が固まる。
「……は?」
「その身体の元の持ち主は死亡しています」
男が鏡を見る。
「その人の記憶と人格情報も、あなたへ書き込みました」
「待て」
「その結果」
「待てって言ってるだろ!」
男が立ち上がる。
「じゃあ」
鏡を指す。
「これは誰だ」
白峰は答える。
「身体はAです」
「俺は?」
「元の意識はB」
男の顔がゆっくり歪む。
「じゃあ何で」
頭を押さえる。
「俺はAの母親を知ってる」
「書き込まれた記憶です」
「Aの仕事も知ってる」
「同じです」
「この身体の傷も!」
「記憶としては」
「じゃあ」
男の声が急に弱くなる。
「さっきの家は何だ」
白峰は
少しだけ間を置いた。
「Bの記憶だと考えています」
男は何も言えなくなった。
◆ ◆ ◆
カシウスが口を開いた。
「問題はない」
白峰が振り返る。
男もカシウスを見る。
「は?」
「二つの記憶が競合しているだけだ」
「競合?」
「どちらかを優先すれば安定する」
白峰の目が鋭くなる。
「また上書きするつもりですか」
「必要なら」
男が一歩下がる。
「待て」
カシウスは続ける。
「Aとして生きるなら、Bの残存記憶を抑える」
「やめろ」
男が言う。
カシウスの声は変わらない。
「Bへ戻りたいなら、Aの付与情報を除去する」
「やめろ!」
男が叫んだ。
空間に声が響く。
カシウスが初めて男を見る。
男の呼吸は荒い。
「勝手に決めるな」
白峰の表情が変わる。
「俺が」
男は頭を抱えたまま必死に言葉を探す。
「俺がAなのか」
「Bなのか」
「今は分からない」
「でも」
顔を上げる。
「お前が決めるな」
白峰は何も言わなかった。
カシウスも
数秒。
黙っていた。
やがて
「では、自分で決められるのか」
男の顔が強張る。
カシウスは冷静だった。
「どちらの人生を選ぶ」
「……」
「Aか」
「Bか」
男は答えられない。
当然だった。
つい数十分前まで自分はAだと思っていた。
今、Bの記憶が戻り始めている。
そんな人間へ今すぐどちらか決めろ。
それ自体が
白峰には間違っているように思えた。
「決めなくていい」
白峰が言った。
男が見る。
カシウスも白峰へ視線を向けた。
「今は」
白峰は続ける。
「分からないなら、分からないままでいい」
カシウスが言う。
「榊原梓と同じことを言うのか」
「同じです」
白峰は答えた。
「答えが出ていない人間に、答えを要求する必要はない」
「不安定なまま置く?」
「だからといって、私たちの都合でどちらかを消す理由にはならない」
男は白峰とカシウスを交互に見る。
そして
小さく呟いた。
「……俺」
言葉が止まる。
「俺って」
Aの顔で
Bの記憶を持ち
Aの人生も覚えている。
「どっちなんだ」
白峰は静かに答えた。
「分かりません」
男の目が揺れる。
だが白峰は続けた。
「少なくとも」
男を見る。
「今のあなたを、AかBのどちらかだけだと、こちらが勝手に決めることはできません」
◆ ◆ ◆
その夜
男は再び眠った。
監視は継続。
Cが意識反応を追う。
白峰は少し離れた位置で記録を確認していた。
Aの記憶。
Bの記憶。
二つが以前より頻繁に交互に現れている。
その途中
男の頬から
涙が一筋落ちた。
眠っている。
意識的に泣いているわけではない。
Cが夢の反応を拾う。
『記憶参照』
白峰が見る。
「どちらです」
『被験体B』
短い映像。
小さな家。
夕方。
玄関。
誰かが帰ってくる。
顔までは再現されない。
だが男の口が動く。
「……母さん」
Bの母親。
次。
場面が変わる。
Aの家。
今度は別の母親。
男の表情がまた動く。
二人。
どちらも懐かしい。
どちらも記憶がある。
どちらも自分の人生のように感じる。
白峰は画面から目を離せなかった。
「記憶を足しただけじゃない」
オルガが隣で言う。
白峰が見る。
「今の彼にとっては、両方が感情と結びつき始めてる」
「……ええ」
「この状態で片方を消したら」
オルガはそこで言葉を止めた。
白峰が続ける。
「今の彼の一部を消すことになる」
カシウスは
少し離れた位置でその会話を聞いていた。
「なら」
二人が見る。
「今の人格を固定すればいい」
白峰の目が細くなる。
「何を基準に」
「現在だ」
「今の混乱まで?」
「それも含めて」
白峰は
数秒。
カシウスを見る。
以前なら興味を持ったかもしれない。
AでもBでもない。
二つを混ぜた。
新しい人間。
その状態を固定したら何ができるのか。
だが、今は
最初に別のことを考えた。
本人はそれを望んでいるのか。
「明日起きたら」
白峰が言う。
「本人に聞きます」
カシウスが眉を寄せる。
「何を」
「どうしたいか」
「また選択か」
「ええ」
白峰は眠っている男を見る。
「実験結果を決める前に」
一度息を吐く。
「本人の話を聞くべきでした」
◆ ◆ ◆
Cが新しい警告を出した。
《被験体C/D》
《自己認識変動》
白峰が顔を上げる。
続いてもう一件。
《被験体E》
《削除済み記憶領域・再反応》
一人ではない。
AとBだけではない。
これまで
「成功」と記録した被験者たち。
その複数に
同じ時間帯。
変化が始まっていた。
カシウスが表示を見上げる。
白峰は低く言った。
「成功したんじゃなかった」
オルガが見る。
白峰は続ける。
「まだ」
画面には
書き換えられた人間たちの反応。
「終わっていなかったんです」