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そのターゲットは、“狐”と呼ばれていた。
正確にはコードネーム【狐 - FOX】。
偽名、変装、声色を巧みに使い分け、組織の暗殺指令を次々とすり抜ける男。
捕らえることはおろか、顔を見た者さえほとんどいない。
その日、栞と翠に与えられた任務は──
「“狐”を追跡し、情報を奪取。その後、処理(始末)せよ」というものだった。
「……顔もわからない相手を、どうやって追うのよ……」
薄暗い地下施設の作戦室。
モニターに映された数少ない記録映像を見ながら、栞はうんざりした声を漏らした。
「会話パターン、身長、足の癖、呼吸の仕方……判断材料はいくらでもある。問題は、お前が気づけるかどうか」
「う……」
隣で腕を組む翠の言葉に、栞は小さく肩をすくめた。
それから三日後。
2人はターゲットの痕跡が確認されたという、下町の情報屋のアジト跡を訪れていた。
廃ビルの3階。窓のない部屋。
電灯は切れており、足元にはガラスの破片と血の跡。
「……ついさっきまで、ここにいた気配がある」
「えっ……ほんとに?」
翠はガラス片を拾い上げ、匂いをかぐようにして目を細めた。
「この血、生きてるヤツのだな。しかも動きながら負傷してる。つまり“狐”は、誰かに襲われた」
「……え、じゃあ別組織が先に?」
「それもある。だが──おそらく“狐”自身が仕組んだ罠だ」
そう言って翠は一歩、床に足を踏み出した瞬間──
「伏せろ!!」
バシュッ──!
頭上から鉄杭のような針が打ち込まれ、壁に突き刺さった。
間一髪で床に飛び込んだ栞の上に、翠の腕が覆いかぶさっていた。
「……罠、ね」
「やっと状況が見えてきたな」
彼は立ち上がると、軽く顎をしゃくって合図した。
「ここに“狐”はいない。だが、足跡はある。今夜、奴は“祭り”に出る」
「えっ?」
「明日、この町で大規模な仮面パレードがある。狐の仮面がモチーフの祭りだ。……それがヒントだ」
「じゃあ、そこに?」
「“顔を変え、名前を持たない男”が紛れ込むには、最高の場所だからな」
***
その夜、町は提灯と音楽に包まれていた。
狐の面をつけた人々が、踊り、歩き、笑っている。
異様なほど華やかで、それでいて不気味な光景。
「……もう、誰が誰だか」
群衆の中、栞は白い狐面をつけていた。
すぐ隣、黒い面をつけた男──翠が、耳元で囁く。
「歩き方に注目しろ。演技の下手なヤツは、どこか不自然だ」
栞は周囲を見渡す。
(呼吸……肩の揺れ方……背筋の張り方……)
すると、一本の細い路地へと抜けていく“仮面の男”に目が止まった。
「……あれ……?」
「気づいたか」
翠はすぐに反応した。
「あいつだ。行くぞ」
2人は気づかれぬよう、静かに尾行を開始した。
だが、狭い路地に入った瞬間、男の気配が消える。
「……逃げた!?」
「いや、待て──」
風が吹いた。
次の瞬間、真後ろから迫る気配。
「殺し屋のくせに、祭りなんて似合わねぇな」
──その声と同時に、背中に冷たい刃が迫る!
「しおりっ!!」
翠の怒声が飛んだ。
栞は反射的に身を低くした──
刹那、翠の銃声。
仮面が砕け、血飛沫と共に“狐”の顔が露わになる。
「──チッ、殺す気だったんだな。……でも、俺を仕留めたら、お前らが追ってる情報は闇の中だぜ?」
そう言って、苦笑いを浮かべた“狐”は、意外にも余裕を失っていなかった。
翠は構わず、無言で銃を再装填した。
「言っても無駄だな、お前ら。特にその女……目が死んでない。まだ“殺す意味”を知らない目をしてる」
栞は息を呑んだ。
「……お前に言われる筋合いはない」
翠が静かに言い放つ。
「だが、コイツが殺す覚悟を持った時、お前みたいなクズは真っ先に撃たれる」
そう言って、翠は引き金を引いた。
“狐”の胸に弾がめり込み、血が飛び散った。
男は崩れ落ちる直前、笑いながら呟いた。
「……面白いバディだな」
***
任務は完了した。
“狐”が持っていたデバイスには、組織の裏切り者の記録が残されていた。
その中には、翠と栞の名前も──“今後消すべきリスト”として刻まれていた。
任務の終わりは、同時に新たな始まりでもあった。
栞は夜の帰路でぽつりと呟いた。
「……さっきの“殺す意味”って、何だったんだろうね」
「お前がそれを知った時……たぶん、もう後戻りできなくなる」
「それでも、前に進むよ。だって──バディだもん」
そう言って笑う栞を、翠はちらりと見た。
そして何も言わず、目を伏せたまま歩き出した。
(……ほんと、変なバディだ)
けれどなぜか、その言葉にほんの少し、救われた気がしていた。